新新☆もこほじゃほろみ日記

煩悩と私事のサイト

等活地獄・その長さ

2007-05-30 | 宗教
朝爽やかに午後から夕方から激しい数時間続く。

 さあ今夜も地獄巡りの続きだよ!

 人間の五十年を以って四天王の一日一夜となして、その寿(いのち)五百歳なり四天王天の寿を以ってこの地獄の一日一夜となして、その寿五百歳なり。殺生せる者、この中に堕つ。<已上の寿量は倶舎に依り、業因は正法念経に依る。下の六もまたこれに同じ>優婆塞(うばそく)戒経には、初天の一年を以って初地獄の日夜となす。下去(しも)はこれに准ず。

 これは地獄の時間の長さの解説。人間界に最も近いとされる四天王天では、人間界の50年が1日にあたり、なおかつ寿命が500歳まである。その四天王天の寿命が等活地獄の1日にあたる。それが500年続くという。結局人間界に置き換えると、50×365×500×365×500=1,665,312,500,000(1兆6653億1250万)年が等活地獄における寿命、すなわち苦しみを受けねばならない期間(刑期?)というわけである。そして殺生の罪を犯した者がこの地獄に落ちるという。

 期間(寿量)については「倶舎論」を業因(殺生のこと)は「正法念経」に根拠があり、続く六つの地獄も同様であるという。また「優婆塞戒経」にはまた別の計算法があり、その場合は寿量は上記の500分の1だから3,330,625,000年となり大分短く感じるが?天文学的長さであることには変わりはない。

 次回は等活地獄をとりまく「別処」について述べましょう。16もあるんだよ!

   
気分を変えて爽やかな話題も(笑)。5月30日しーちゃんの日記から。

そこのリンクで、日本人のかわいらしい小さな女の子が滑っていたのですが、ナント!!!
スケート靴の縁がヒョウ柄の毛皮じゃないですかっ!!!!!そしてかかとにもヒョウ柄ハートが!!!!!
完全に興味をそそられてしまった私たちは、その女の子に色々と質問の嵐...(^^;)
何でも、カスタメードらしいのだけど、毛皮の他にもラインストーンを使ったり、イニシャル入れたり、自分の好きな柄やデザインがスケート靴にできるのだとか!!


自分の好きなデザインのできるスケート靴に興味を示し、子どもを質問攻めにするしーちゃんとレナちゃん(笑)。そのあげく、
なんともステキすぎますっ☆★☆★☆
やりたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーいっ(>▽<)!!

と、ほとんど絶叫しているのであります。

しかし、
そのオーダーできるスケート靴と、自分の履く靴のメーカーが違い、渋々一旦は諦めかけるも、すぐにどうにかできないかな~~~、とやっぱりどうしても忘れられない私たちなのでした~~~(^o^)/
あらま~残念!

でもしーちゃんて前は「S」のイニシャル入りの白いスケート靴履いていたよな。だからしーちゃんが自ら希望を出せば、今のメーカーでもやってくれるんじゃないでしょうか?
おいらがもし靴職人だったら(ありえない妄想をする)喜んで大サービス価格(いくらだ?)でやっちゃうよ!?

等活地獄

2007-05-30 | 宗教
 昼 午後から

 平安時代の比叡山の僧源信の「往生要集」は日本仏教史上燦然と輝く名著中の名著である。内容は一言で言えば「極楽往生マニュアル」といったところ。その第一の章は「厭離穢土」。この世が厭うべき穢土であることをこれでもかこれでもかと経典を引用して力説する。読み始めてすぐ読者はまず地獄の強烈な描写に肝を潰すこととなる。しばらくは源信の言葉に耳を傾けよう。出典は岩波文庫版「往生要集(上)」(青316-1)による。なお()内の註はシフによる。

 第一に、地獄にもまた分かちて八となす。一には等活(とうかつ)、二には黒縄(こくじょう)、三には衆合(しゅごう)、四には叫喚(きょうかん)、五には大叫喚、六には焦熱(しょうねつ)、七には大焦熱、八には無間(むげん)なり。

 初めに等活地獄とは、この閻浮台(えんぶだい:人間の住んでいる世界)の下、一千由旬(ゆじゅん:距離の単位。一説に1由旬は14.4KM)にあり。縦広(たてひろさ)一万由旬なり。

 この中の罪人は、互いに常に害心を懐けり。もしたまたま相見れば、猟者の鹿に逢へるが如し。おのおの鉄爪を以て互いに摑み裂く。血肉すでに尽きて、ただ残骨のみあり。或は獄卒、手に鉄杖・鉄棒を執り、頭より足に至るまで、遍く皆打ち築くに、身体破れ砕くること、猶し沙だん(砂の塊)の如し。或は極めて利(するど)き刀を持って分々に肉を割くこと、厨者の魚肉を屠るが如し。涼風来り吹くに、尋(つ)いで活(よみが)へること故(もと)の如し。くつ然(たちまち)としてまた起きて、前の如く苦を受く。或は云く、空中に声ありて云く、「このもろもろの有情(うじょう)また等しく活へるべし」と。或は云く、獄卒、鉄叉を以て地を打ち、唱へて「活々(かつかつ)」と云ふと。かくの如き等の苦、具(つぶ)さに述ぶべからず。<已上は、智度論・瑜伽論・諸経要集に依りて、これを撰ぶ>


(シフによる現代語訳)

 第一に地獄も八つに分かれる。一には等活(とうかつ)、二には黒縄(こくじょう)、三には衆合(しゅごう)、四には叫喚(きょうかん)、五には大叫喚、六には焦熱(しょうねつ)、七には大焦熱、八には無間(むげん)である。

 初めに等活地獄とは、この人間世界の地下一千由旬にある。縦の広さ(面積?)は一万由旬である。

 この中の罪人は、互いに害する心を持っている。もしたまたま出会うと猟をする者が鹿に逢ったようなものだ。お互いに鉄の爪で摑み裂き合う。血肉はえぐり取られ、ただ骨だけが残る。或は獄卒が手に鉄の杖や鉄棒を持って、頭から足まで叩き潰すので、身体は破れ砕けまるで砂の塊みたいになる。或は極めて鋭い刀でばらばらに肉を割くのが、まるで料理人が魚や肉を切りさばくみたいである。涼しい風が吹くと元通りに生き返る。たちまち起き上がり前のように苦しみを受ける。或は、空中から「もろもろの生き物みな等しく活えるべし」と声がするともいう。或は、獄卒が鉄叉で地面を打ち「活活」と唱えるともいう。このような苦しみを詳しくのべることはできない。<ここまでは智度論・瑜伽論・諸経要集の引用である>

    
 何度も「等しく活みがえる」ので等活地獄というわけです。生き返っちゃまた同じ苦しみを受けるわけですね。それが延々と続く。昔の人の残酷さに関する想像力は脆弱な現代人の遠く及ばないものがありますね。いやはや凄い地獄の描写とお思いでしょうが、まだまだこれから(笑)。今夜はこれくらいに。等活地獄まだまだ続きます(ゾゾ~~)。

仏教と日本人

2007-05-29 | 宗教
 涼しく風爽やかな日。風に吹かれて草原で昼寝をしたいぞ。

5月27日しーちゃんの日記より

オープニングの最後、みんなが出て行くパート寸前で、グエンダールがふざけてエフゲニーにボトルウォーターをパシャッと!!! エフゲニーさん、やられて大人しく黙って・・・?! いるワケが・・・ 
ありませんよねぇ~~~~~~(^o^;;)
次の瞬間、追っかけてってパシャッ!!!!!!


こいつら本番中に何やってんだ!?

そんな2人はもちろん出遅れ、合流してきた時にはグエンダールは案の定、自慢のロングヘアーから水しぶきをあげて踊っておられました...(>o<;)
彼の周りで滑る私たち、もちろん彼から放出される水しぶきにやられたのであります。。。(@o@;)


マジメで小心者の私(?)には考えられない無茶苦茶ぶりであります(笑)。一流の演者にのみ許された逸脱というべきか。しかしあのプルシェンコ(だよね?)にちょかいを出すグエンダールもスゴイ!?

   

 「仏教と日本人」(ちくま新書660)という本を購入。著者が阿満利麿と云う人でどう読むのかと云うと「あま・としまろ」だそうです。世の中にはまだまだ私の知らない苗字・名前があるのう。

 この本はともすれば「葬式仏教」とインテリからさげすまれがちな日本仏教が、やはりれっきとした仏教であることの論証を試みるものである。その姿勢は好感が持てる。これから読むのであるが期待するところ大である。

 大サービス?で目次だけ紹介しておこう(笑)。

 第1章 地蔵の頭はなぜ丸い
 第2章 「地獄」はいつの間にか「極楽」に
 第3章 日本の僧侶はなぜ肉食妻帯なのか
 第4章 日本に親しい仏たち
 第5章 神さま仏さま
 第6章 葬式仏教

 いずれも私好み(笑)のテーマである。読み終えたらレポート(感想)を書こう。

ネコアレルギー

2007-05-28 | 荒川静香
 暑すぎず爽やかな一日。夕方の風が涼しいぞ。

 やや旧聞になるかもしれないが、5月25日しーちゃんの日記に、

 私、実はネコちゃんアレルギーがあり、ほとんどのネコにはアレルギー反応を発してしまい、同じ空間にいられないのですが、このマドンナは唯一アレルギー反応しないことが判明!!!!!!!!!!

 とあり、さらに、

 ネコを飼っているお宅にて、ネコ不在の時にもヒドいアレルギー反応が出てしまい、外に出ないと治まらないくらいのネコアレルギーがあるので、初め、マドンナが近くに寄らないようにレナちゃんが気を遣ってくれて窓を開けていてくれたりしていたのですが、不思議としばらく経っても私のアレルギーは顔を出さず・・・!

 ふう~~ん?私しゃネコアレルギーって、てっきり「綿の国星」のお母さんみたいに精神的なものかと思っていたら、花粉アレルギーみたいに身体症状がでるものだったのね(我が不明を恥じる)。で、少しネットで調べてみたら、あるわあるわぞろぞろとヒットしたぞ。ちなみにペットアレルギーというのはネコに限らず、犬、ウサギ、ハムスター、ミドリガメなどいろいろあるんですね。

 しかし犬が大丈夫でネコがだめなのはなぜか。まあもともとしーちゃんは花粉アレルギーは持っているみたいですね。

 で、ネコと犬を比べると、ネコは風呂に入れたりする習慣がないし、ネコってのは放し飼いが多いから、狩猟本能のままにネズミがいるような狭くてキレイとはいえない場所にも入ったりする。要はネコの方が不潔になりやすいというのが一つ。またアレルギーの原因は抜け毛やフケやダニらしいが、ネコのそれは犬のより細かくてより飛散し易い、なんてことが読み取れました。マドンナちゃんがアレルギー症状を起こさないのは、ひょっとしたら手入れが良くて清潔にしているからかな?なんて思った次第。

 ともあれ、

 私が唯一触れ合うことができるネコ、マドンナ(*^_^*)
 本当に本当に不思議ですが、嬉しい発見だったのです♪


 よかったね~♪もともとネコも好きだったっていうじゃなあ~い?この調子でうまい具合にアレルギーが治れば、ひょうっとして!!!!

今日も今日とて

2007-05-27 | 芸術
 けっこう風強し。どうも鼻の具合がイマイチだと思ったら黄砂のせいか?

 今日は午前中愚息は池袋で礼拝。なんと7時20分集合ということで6時前に起きて(起こされて)出て行った。親たちは寝なおしてそのあと買い物。午後、愚息のお抱え運転手で成城へ。

 今夜はいつものソルフェの後、また公開講座がある。講師は前回と同じ東京G大のN先生。「声楽曲の発達が器楽曲に(作曲面で)及ぼした影響」といったテーマだが、興味の中心はトリビアにあるといってよい。話の大きな流れとしては、言葉(歌詞)のディクションを重視する立場とそれを様式化する立場が存在し、前者がレシタティーヴォに後者がアリアに発展していくこととなる。
 同一フレーズ内で反復進行がおこるか
 旋律がくりかえされるかどうか
 同じ音形が異なった声部でくりかえされるか
 同じモティーフを同一の声部で異なったフレーズで反復するか
 歌詞の反復がどのように生じるか
などが着眼点だそうです。それを主にモンテヴェルディを例にとり説明していく。これが喋ること喋ること。休憩も無しで2時間びっしり実演つきで喋りつづけたのだった。

 説明の中に「プラティカ・セコンダ(第2作法)」という言葉や、「コロラトゥーラ」の語源は「コロラーレ・イン・ネロ(黒い色に)」つまり音符が多くなり黒っぽくなることから来ているなんていうトリビアが入る。トリビアいえば、バロック時代のイタリアオペラでは伝統的に「ズボン役」というのがあり、つまり女性が男性を演じる(それも恋人役を)というまるで宝塚みたいな話もあり、「ケルビーノやフィデリオなどもその名残りといえますね」ときた。これは思わず「10へえ」でした(笑)。

 で、豊饒なトリビアの世界が延々と続いた挙句、器楽におけるレシタティーボの例として、「トッカータ」という形式とか、偉大な例としてはベートーヴェンの「第9」の第4楽章を挙げていた。(他にもF.バッハとかC.P.E.バッハとかいろいろ挙げていたのよ)あまりにも盛りだくさんでまとめきれないが、トリビアについてはおいおい紹介することもあろうかと思う。で、終ったのが8時半をもう過ぎていた。

 さて前回車を置き去りにした話は覚えておられるだろうか。今回はその反省の上に立ち、有料駐車場(以下Pと略)で会場に近く安い場所がないか探した。そうしたらとある教会の前に「30分100円」のPを見つけた。しかも8時過ぎは「1時間100円」となり、上限は1800円でそれ以上はとらないという。大体成城周辺のPは「20分100円」が多いので、これは「やった~♪」と思いそこに止める。心の中で(まあ全部で700円でいけるかな)などと計算しながらPに戻ると何だか様子がおかしい。出入口の料金支払機(っていうの?)に「故障」の紙が貼ってあり、Pの会社の車が止まっている。見ると車止めの板が全部下りている??

 会社の車の人がこっちに向かって、「あ、車止め下りてますよね。そのまま行っちゃって下さい」「ああ?そうですか??」半信半疑で車を出し、結局そのまま金を払わずに帰ってきてしまった。どうも料金機が壊れ、仕方なく止めてあった車は全部タダにしたらしい。前回はアンラッキーだったが今回はアンビリーバボー?にラッキーなのだった。場所が教会の前というのもねえ。何だかジーザスにサービスされているような気がしたぞ。

 家に帰ったら10時だった。今日は大臣の誕生日本番なのでプレゼントを渡した。愚息のはヒミツ(笑)。小生からはストラディバリウスをプレゼントしたとだけ言っておこう。

誕生祝い

2007-05-26 | 雑感
 雨上がる。朝から暑くて風が強い。

 本日、財務大臣(妻ともいう)の誕生祝をやった。本当は誕生日は明日なのだが明日は夜まで予定がビッシリ入っているので前倒し。法律上は誕生日の前日に歳をとるそうなのでまあいいか。

 とはいえ今日も予定ビッシリなのだ(愚息のね)。愚息は昼まで学校。午後まず埼玉県T市でオルガンの練習。大臣が付き添う。家に帰りすぐに3人で車で仙川(作曲のレッスン)。レッスン中大臣と買い物。レッスン終了後帰宅するもすでに8時半。それから準備をして9時よりパーティー?開始。

 グレープジュース(ワインともいう。愚息は本物のジュース)に、買って来たサラダ、鳥唐、スープ、パエリヤなどオール買って来たもの(^^;)を並べ、乾杯!以前は時間に余裕がある時は小生が怪しい料理の腕をふるったこともあるが(笑)今回は妥協。

 それでも量だけはあったのですごく満腹になり、別腹もすぐには受け付けず少し休憩して、ケーキ(トルテともいう写真参照)に移る。これは小生が国○寺で買っておいたものだが、大臣のお気に召したようで良かった。まあこのように、我が家のパーティー?はひたすら喰ってばかりいるのである。それでも楽しけりゃいいじゃん!?

 プレゼントは明日渡す。ちなみに中身はまだヒミツである。

旅の心得

2007-05-25 | 雑感
 一日中降る。まるで梅雨だよ??

 合唱団の練習に参加。それにしてもみんな歳を取ったものである。最初にこの合唱団に来てから20年以上たったからねえ。無理もない。歳をとると声に独特のビブラートがかかる。筋力が衰えるせいだろうか。みんな美輪明宏みたいな声だ。ちょっと言いすぎた。

 おせいさんの言葉。(「おせい&カモカの昭和愛惜」より)

 旅にいる身の心持ち。若いときの旅は過密スケジュールを消化するのにいそがしく、何かを見逃しても、惜しがりもせず、
 (そのうちいつかまた来ればいい)
 と想い捨てていた。
 いまはちがう。旅の風趣がすべて身に沁み、
 (ああ、もう二度とこの町へも来ることはあるまい)
 と思う。万物みな、一期一会のなつかしさ、しかしそれは若い人が想像するだろうように、悲しくも淋しくもない。ほっとするような安らぎである。何もかもがこの世での見納め、と思えば、時間も濃密に流れ、人生の楽しみの底は深くなる。
 わが身は変わらぬけれど、まわりの景色が変わってゆく、それを知るのは面白い。


 簡単に感想を言えば、同感。小生も50を迎えてこういうことが理解できるようになった。これは単なる旅にとどまらず、人生そのものに対する言葉であろう。

 何もかもがこの世での見納め、と思えば、時間も濃密に流れ、人生の楽しみの底は深くなる。

 そう。こういうのを珠玉の言葉というのだろう。年輪を重ねてこそ、こういう言葉も素直に出る。さすれば歳をとるのも悪くない。

ワンちゃんとしーちゃん

2007-05-24 | 荒川静香
 蒸し暑い一日。

 5月23日「アメリカ・アイスショー紀行」より

 ワンちゃんの服を買いまくるしーちゃん。

 昨晩レストランに行った時に見つけ、目を付けたショップ(もう閉まっていたので...)にて、待ちに待った心トキメクショッピング~♪
日本で胴を長くして待ち、お留守番してくれている我がかわいい娘たちへ、カワイイお洋服2着ずつ♪♪♪


 ダックスだから「胴を長くして…」笑いをとるのを忘れない?!

 自分自身のものには目もくれず、ワンちゃんグッズの店にばかり「吸い込まれる」しーちゃん。

 言われてみれば最近、日本にいる時に限らず、世界中どこに行ってもする買い物と言えばわんこの物ばかり・・・ いーーーんですっ!! 「だから私は頑張れる」・・・Tiramisu なのですから...(*^_^*) 笑

 自著「だから私は頑張れる」の引用(シャレ)までして、いいぞ!座布団1枚!!

 昨年5月福澤朗のラジオ番組の中で、EXILEの「ただ会いたくて」をリクエストした時、「ただ会いたい人はいますか?」と福澤の問いに、「私、ワンちゃんに会いたいです!」と答えていたしーちゃん。愛犬の様子を愛情豊かに語っていたが、その時のワンちゃんがチョコちゃん。

次回はチョコに♪ 忘れないでね!とチョコちゃん?!

   
おせいさん(田辺聖子)の言葉

 女は人に可愛がられるのが幸福なのだ、という神話を、女の子をもつ親は信じていますが、でも女の両手はいつも可愛がるものを求めて宙にさし出されているのではないでしょうか。



老いと若さ

2007-05-23 | 荒川静香
 暑くなったのう。

 前にもちょっとだけ紹介したが、田辺聖子の「おせい&カモカの昭和愛惜」(文春文庫538)はとても面白い。人生のその時時の感想を味わい深い言葉で述べている。作者のいう「人生の瞬景」。箴言集である。「珠玉のような」という形容詞がある。これがまさにそれである。

 元はといえばNHK朝ドラの「芋たこなんきん」の原作(原案?)ということで大臣(妻ともいう)が買ってきた物である。笑いと涙あり。深い洞察あり。大阪ならではのノリのよさ。遊び心と諧謔と。

 折を見て紹介しましょう。今夜はこれ。

 老いは驚きや発見を失うことなのだ。
 しかし私はそれを悲しむよりは、そういう<老いの風景>に興味を感じて、面白くてたまらない。若い人は、<何をみても既知感があるなんて、人生索莫たるものじゃありませんか>というかもしれないが、これが案外そうではない。
 ああ、こういうの、以前にもあった、・・・・・・と思うのは何だか手馴れた温みに漬かっているようで心地よいものだ。人生そのものが、ようく使いこんで身に合ってきたという風情である。


 そろそろ老いを感じつつある小生、目からウロコが落ちる思いで読みました。人生そのものが身に合ってきた・・・なるほどねえ

   
5月21日の「アメリカ・アイスショー紀行」より

 大きなアイスを前にゴキゲンなしーちゃんの写真。実に良い顔をしてるぞ。

 フェリー出航までに時間が少しあったので、みんな(注 私だけではありません!)が大好きなチョコレートとアイスクリーム、パフェetcデザートで知られるスイーツカフェへGo(^o^)♪
私が選んだのは、アイスクリームの上にホットチョコレートを流し、アイスクリームをさらに乗せ、モコモコのホイップでデコレートされた「チョコファジ☆」なのですが、ワァ~オ!!
3層になっております!トロけるチョコとアイスのコラボ!! ゴージャスですわっ!!
おいすぃ~~~~~~~~(*^o^*)-☆ ん~~~幸せねっ☆


 好きな食べ物を描写する時のしーちゃんは、とっても嬉しそう。具体的に本当に美味しそうに書く。きっと本当に美味しいのでしょう(笑)。
 いいねえ、若さの魅力あふれる文章ですね。本当に生き生きしてる。昨年のともすれば孤独感や自戒の念の勝っていた文章に比べ、なんてのびのびと楽しそうなんでしょう。逆境に強く、順境でさらに開花するしーちゃんなのだな。

 こうして色々な場所に出会えたチャンスをとても嬉しく、大事に思ったのでした!!
明日は次の町へと1日移動になりますが、また残りのツアー頑張って行こうと思えるオフが過ごせたような気がします♪


 まとめが真面目でいいねえ。感心だねえ。感じ良いねえ。賢そうな子だよ!

野山への想い

2007-05-22 | 雑感
気温高く初夏らしい陽気。家の中に蚊が出てきたぞ。

 木々の緑がすっかり濃くなりもはや新緑とはいえぬ。まだ虫にも喰われぬ葉は幾重にも重なり合い、鬱蒼とした林の中はは緑にほの暗く、今最も充実した生命力満てる時期である。天気の良い日には野山を歩きたくなるのだが、なかなかそうも行かぬ。空想で我慢するしかない。

 若い時分、浪人生の時、勉強するのに行き詰まり、予備校の帰りこっそりと奥多摩のある場所の、小さな滝まで行ったことがある。軽い運動と、滝のマイナスイオンが良かったのか?けっこうすっきりとした気分で帰宅したものである。人間ときにはサボることも必要である(と言ってサボってばかりいる私?)。

 狭山丘陵もよく行った。あの低い丘陵の内側に、どれだけ豊かな自然が息づいていることか。近年は「トトロのふるさと」とかで有名になったが、昔からあそこは私の遊び場であった。遊ぶと言っても縦横に歩き回る、あるいは自転車で駆け抜けるのがメインだったが。昔は体も軽く、また体力もあったのである。

 野山を歩くのは、何か身体全体を根源的に癒す効果があるように思う。音楽からですら得られない、もっと全身的な満足感。単なるスポーツとは違う自然との一体感。夕ぐれの人気のない里山の淋しさやわけのわからぬ恐ろしさ。なんかそういう原体験があるから現在の自分がいるような気がする、今日この頃である。