新新☆もこほじゃほろみ日記

煩悩と私事のサイト

どれが

2011-08-14 | 図書館
ブログを書き続けてゐる人が、それを本にまとめることがある。
それがベストセラーになる場合もある。
「生協の白石さん」なんかその部類であろう。

そもそもブログとはインターネット上のヴァーチャル文字文化であって、実体はない。
つまり本といふ形に実体化したとたん、ブログではなくなるといふこと。
それでも本にしたくなるのは何故なんだろう。

ネット上のデータはサーバーが停止すると跡形なく消滅する。
本にしておくと一応半永久的(かどうかは知らないが)に残る。
なによりも実体化したものは簡単に書き換えたり消去したり、変更ができない。
その意味で「完成」感がある。
ネット上の電子データはどこか「假」の気分がついてまわる。

例へば、図書館で「夏目漱石全集」を買ふとしやう。
岩波書店から事実上の定本として有名な権威ある印刷物が出てゐる。
假に電子ブックが出たとして、図書館で買ふのにふさわしいのはどちから。
電子ブックは破損の心配や、貸出中で他の人が利用できないなどの不都合が生じない利点がある。
しかし、電子ブックって、図書館の蔵書といへるのか??

極端な話、蔵書が全て電子ブックの図書館があったらどうだらう。
それってどんな建物になるんだらう。
閲覧席に端末が置いてあるだけ?
それでも図書館なのだらうか。
図書館の定義ってなんだ(笑)?


デジタル

2011-08-13 | 図書館
デジタルの時代である。
(スペルは「digital」であるが何故か「ディジタル」ではなく「デジタル」と発音する)

デジタルになってわたすが強く感じることは、これはこと文字を書くことに関しては手書きから電子データへの移行であるといふことである。
平たく言へば、デジタルになって直接手で文字を書くことが少なくなったと思ふ。
仕事上の文書はほぼ例外なくワープロソフトで打っているし、もちろんこのブログもそうだ。

そういう時代にあっては、オリジナルとは何なのか、大変分かりにくくなってゐる。
例えば、作家の生原稿っていまどのくらいあるんだらう。
いまどき原稿用紙に万年筆で書いてゐる作家なんていやしないだらう。
原稿を送るのも、ファックスやメール添付が多いんぢゃないか?

このブログのオリジナルってのも果たして存在するのか?
ブログ自体が、ヴァーチャルな仮想空間のデータに過ぎないからね。
わたす自身の思考の投影ではあるのは確かだが、オリジナルデータといへるのは提供してゐるサーバの中にあると考へるべきなのだらうか。

皆さんが目にしてゐるこの文字群はオリジナルそのものであるともないともいへる。
コピー文化。寸分たがわぬコピーが可能な文化。コピーが全てでオリジナルが存在しない文化。
なかなか面白い。
が、人間には最終的には物質化することで安心する部分もある。
次回はその辺を考えてみやう。


一次二次

2011-06-17 | 図書館
「ザッサク」を使って、あるテーマについて、どんなタイトルの記事がどんな雑誌の何巻何号に載っているかを調べる方法を述べた。これは記事の本文がザッサクで直接読めるわけではなく、あくまでも目次のやうに記事の掲載誌と掲載ページがわかるだけである。こういう情報を「目次情報」と呼ぶ。

で、雑誌に載ってゐる記事本文を「一次資料」といふ。それに対し目次情報のやうな情報を「二次情報」といふ。この分け方に馴染みのない方の為にもう少し解説すると、一般的な本や論文の本体を一次資料、どの本や雑誌にどんな情報が載ってゐるかを調べるためのツールが二次資料である。

この二次資料の電算化による充実こそが、ユビキタス時代の図書館の最大の特長と云っても過言ではない。

云ってみればOPACとはPC上の二次資料である。昔ならこれがカード目録や冊子体の目録だったわけで、これを使ってNDCなどの分類を手掛かりに目指す本を探すのは相当大変だった。今ではパソコンを使へる人ならば、いとも簡単に百万冊以上の本の中から目指す本の在りか他の情報を手に入れることができる。

さらに「雑誌記事索引」の冊子版といふものも当然ながら存在した。編集がすごく大変で、そんなに頻繁に更新できない上に、どんだけ引きにくいか想像するに余りある。かつてはそれらのレファレンスツールといわれる二次資料を使いこなすのはレファレンサーといふ専門の職員でないと難しかった。特に最先端の研究をする人が類似の研究論文を探す上で、ザッサクのやうなオンラインで利用できる二次資料の存在価値は大きい。

実はザッサクは数ある二次資料の一つに過ぎない。優れたオンライン上の目次情報検索ツールは多々あるが、ザッサクは無料で使え内容も良いのでここで紹介した。


ザッサク

2011-06-15 | 図書館
前回は雑誌の巻号の記述法を学んだ。
ではちょっと応用してみやう。

自分の知りたいテーマがどんな雑誌の何巻何号にあるか手軽に調べる方法。(しかも無料で)

いよいよ「ザッサク」すなわち「国立国会図書館雑誌記事索引」の登場である。
リンクはこちら↓
http://opac.ndl.go.jp/

リンク先を開くと、NDL-OPACすなわち国立国会図書館のOPAC画面が開くはずである。
画面真ん中よりやや右の方にボタンが並んでいるので、
「雑誌記事索引の検索/申込み」
といふボタンをクリックしませう。
(暗号化うんぬんは「はい」で大丈夫よ)

「雑誌記事索引検索」という画面になったら、
論題名の窓に、たとえば「荒川静香」なんて入れてみる。
「検索」ボタンをクリックすると、ずらりと論題名(記事タイトル)・著者名・掲載誌名・巻号・刊行日などのリンクが出てくるはずである。
どれでもいいけどクリックすると、記事情報の詳細が開く。
じゃあ1番上を開いてみようか。

論題 荒川静香を強くした五輪直前の飛行機事故 (「勝つ日本」40の決断--真のリーダーは、たった一人で空気を変える!)
著者 吉井 妙子(ヨシイ タエコ)

請求記号 Z23-10
雑誌名 文芸春秋
出版者・編者 文芸春秋
巻号・年月日 88(11) [2010.9]
ページ 275~277

本文の言語コード jpn: 日本語
記事種別コード 4: 特集
記事登録ID 10772433
雑誌記事ID 828280408

こんな感じの画面になるはずである。
要するに、文藝春秋の88巻11号[2010年9月刊]275~277ページに「荒川静香を強くした五輪直前の飛行機事故 (「勝つ日本」40の決断--真のリーダーは、たった一人で空気を変える!)」という吉井妙子さんの書いた記事が載っていることがわかる。
さらに「所蔵詳細/申込み」を開くと所蔵館がわかる。もっともこれはNDL-OPACなので、国立国会図書館のどの巻にあるかがわかるだけだが。

あとは該当巻号を所蔵している公共図書館などを探し、現物にあたってみればいいわけ。
なお、「申し込み」とはコピーの依頼のことなので、有料となります。


たとえば

2011-06-11 | 図書館
図書といふのは、書誌データの下に通例1冊、同じ本を何冊か所蔵してゐる場合(副本といふ)はそれと同数の所蔵データがついてゐる。
それに対し雑誌といふのは、書誌データの下に巻号の古いのから最新まで多くの所蔵データが所蔵冊数分ついてゐるわけである。

なので、どんだけ所蔵してゐるのか、所蔵データを一つ一つ見てゐってもよいが、冊数が多いと見るのが大変なため、全体をまとめたデータを書誌と所蔵の間に表示するのが通例である。
これを、「一括所蔵」とか「雑誌所蔵」と呼んでゐる。

表記法にはいろいろあるが、NACSIS-webcat(またわからない名前が出た?)のやり方を紹介しませう。
やはり文藝春秋でいきましょか。
これは東大の総合図書館の一括所蔵。

5(2,4-12),6-8,9(1-9),10-12,13(1-3,5-12),15(1-3,6-8,10,12-14),16(1-8,10-12),17(1-10),
18(3-4,6-12),19(1-11),20-21,22(6-12),23(1,3,10-12),24(1-3,5-7,9-10),25(1-4,6-11),
26(1-10),27(3-7,12),28-29,30(1-2,4-5,8-11,13,16-17),31(1-2,4-8,10-12,14,16-19),
33(1-17,19,21-22),34-35,36(1-8,10-13),37-47,48(1-8,10-15),49-72,73(1-2,4-6,8-11,13-15,17),
74-76,77(1-5,7-9,11-12),78-80,81(1-11,13-15),82-88,89(1-6)<1927-2011>+

さあ、どうです、意味がわかりますか(笑)

最初の、5(2,4-12) とは、第5巻の2号と4号から12号までを持っているよという意味。
つまり()内は号を意味し、持っている番号だけを書くのが規則である。
逆にいへば、1号、3号は持ってゐないことがわかる。(あともし13号以降があればそれも)
次の6-8は、6巻から8巻まではコンプリートに持ってゐるという意味になる。
9巻は10号以下がないわけで、13巻は4号がない。
以下同様に読み解いてゐくと、どの巻でどの号が欠落してゐるかわかるやうになってゐる。
最後の<1927-2011>+は、所蔵している巻号が1927年から2011年までで、+は現在も受け入れ継続中の意味。

文藝春秋のやうな長期にわたって続いてゐる雑誌の場合は、このやうに長くて複雑な表記となるが、読み方はさう難しいものではない。


だから

2011-06-08 | 図書館
巻号の意味が分かったところで、先ほどの文藝春秋の書誌を見ると、

注記: 付録: 73巻14号 (1995.10)に23巻4号 (1945.10)を復刻 (B6版に縮小)
し、「綴込み付録」とする ; 32巻12号 (昭29.8)を「32巻11号」と誤植


つまり、23巻4号を復刻し73巻14号の付録としたこと、および32巻12号であるべき巻号を誤植で32巻11号としてしまったことが述べられている。後者は逆にいへば、つまり32巻11号が2回出てしまった(内容は異なる)、そして32巻12号が飛んでしまつたことになる。こういう時、初心者の図書館屋(ライブラリアンともいう)は、現物にある巻号で受け入れるべきか、想定される正しい巻号で受け入れるべきか、おほいに悩むのである。つまらない悩みのやうに思ふかもしれないが、実際にアナタがその仕事をやってみれば、やはり同じやうに悩むであらう。

これは書庫に32巻12号を探しに行った人は、その巻号が見当たらなくて途方にくれるかもしれないし、あるいは32巻11号を探しに行った人は、それが2冊あるのでどちらが正解なのか悩むことでもある。

で、そのやうな悩みの解決法の一つとして、現物はあくまで正しいと思はれる巻号で受け入れし、書誌には注記を入れておくといふ方法があるわけだ。そして現物をどうするか、手で巻号を直しちゃうか、なにか付箋のやうなものをつけておくか、図書館によってやり方は異なるだらう。

そんな具合で、雑誌については、書誌そのものと同じくらい、所蔵データが重要になってくる。ちなみに図書(単行本)はOPACでその書誌がヒットすれば、その本がその図書館に所蔵されていることと同義といってよい。
しかし、雑誌の場合所蔵データまで確認しないと求める巻号が所蔵されているかどうかわからない。

次回は雑誌の所蔵データの話を、その表記法を中心にしてみやうと思ふ。


巻号

2011-06-07 | 図書館
雑誌にはまず巻号がある。
巻と号の関係は、
巻=1年単位
号=巻の下で出た順番
であることが多い。

月刊誌であると12号で1巻になることが多いが、別冊や特別号、あるいは合併号があったりすると、そうとも限らない。
季刊誌だと4号で1巻になるわけ。

例えば月刊誌である「文藝春秋」といふと、
2010年9月号が巻号でいふと「第88巻第11号」となってゐる。
これは第88巻の中で11番目に刊行されたことを意味する。
かように月数と号数が一致するとは限らない。

さらに雑誌によっては、創刊以来の通号(通し番号)を持つ場合もある。
雑誌によっては通し番号しか持たなかったり、
通し番号のことを巻と呼んでいたり、けっこうテキトーなんである。
よろしかったら手近なところにある雑誌で巻号を確認してみてくださひ。

普通、雑誌は「何年の何月号」と呼ぶ場合が多いが、
図書館屋は何巻何号で呼ぶことの方が多い。
なので、もしアナタがどこかの図書館で雑誌の出納をお願いする場合は、
巻号(これに刊年を加えるとなお良い)で指定するのがよろしい。
なんとなれば、たいがいの図書館では、所蔵データを巻号で管理してゐるからである。

ん?所蔵データ?
話が少し難しくなった?大丈夫だよね。

次回は所蔵データの話かな。


こういうこと

2011-06-06 | 図書館
とりあえず行ごとに解説しやう。
①文藝春秋 / 文藝春秋 [編]<ブンゲイ シュンジュウ>. -- (AN00278208)
タイトル(誌名)/ 責任表示(ここでは編集者である出版社名)<ヨミガナ>. --(ナクシスコード)
②1巻1号 (大12.1)-. -- 東京 : 文藝春秋, 1923-
創刊号が大正12年1月に始まった。出版地は東京、文藝春秋社、大正12年すなわち1023年である。
③注記: 付録: 73巻14号 (1995.10)に23巻4号 (1945.10)を復刻 (B6版に縮小)
し、「綴込み付録」とする ; 32巻12号 (昭29.8)を「32巻11号」と誤植
注記には付録情報ほか様々な情報を載せる。
④別タイトル: 文芸春秋
「文藝」は新字体で「文芸」とも書く
⑤吸収前誌: 文藝讀物
⑥派生後誌: 文藝春秋special ; オール讀物
この⑤⑥は継続関係を表す。この前誌・後誌にはいろいろな種類があるからまた述べる。
⑦著者標目: 文芸春秋<ブンゲイ シュンジュウ>
著者標目は雑誌の場合1人に特定できないので編集者(ここでは出版社自体)を書く。

次回に続く。


チクカン

2011-06-04 | 図書館
チクカンこと逐次刊行物とは図書館の一大ジャンルである。
図書館によっては「逐次刊行物課」という独立した部署があるくらい。

図書と逐刊の違いをおさらいすると、
図書は基本1冊で完結。(最初から多巻で出されるものもあるが)
逐刊は一つのタイトルのもとに終わりを想定せずに出続ける。
なので、書誌にも図書と異なるいくつかの特徴がある。

例えば「文藝春秋」という雑誌の書誌を見てみませう。
文藝春秋 / 文藝春秋 [編]<ブンゲイ シュンジュウ>. -- (AN00278208)
1巻1号 (大12.1)-. -- 東京 : 文藝春秋, 1923-
注記: 付録: 73巻14号 (1995.10)に23巻4号 (1945.10)を復刻 (B6版に縮小)
し、「綴込み付録」とする ; 32巻12号 (昭29.8)を「32巻11号」と誤植
別タイトル: 文芸春秋
吸収前誌: 文藝讀物
派生後誌: 文藝春秋special ; オール讀物
著者標目: 文芸春秋<ブンゲイ シュンジュウ>


さあどうだ。どう違うかわかりますか?(笑)

次回はこの書誌についてもう少し詳しくみてみませう。


いろいろ

2011-05-29 | 図書館
一口に「本」というても実はいろいろ。

一般的なのは「単行本」。
先日書誌を紹介した「フィギュアスケートを100倍楽しく見る方法」は単行本である。
著者があり(編者の場合もあり)原則として1冊で完結している。

では、「上・下」巻があったり、「第1巻、第2巻、第3巻・・・」と巻がいくつもあるものはどうか。
こーゆーのは「多巻もの」なんて呼んでますね。

長い文学作品なんかでよくありますね。

個人全集、例えば「漱石全集」「鴎外全集」みたいなものも何巻もある。

百科事典なんかも、たいがい何巻もある。こういうのは「多巻もの」である。

巻ごとにタイトルがついているものもある。
「ハリー・ポッター」なんかそうですね。
「ハリー・ポッターと賢者の石」とか
「ハリー・ポッターと秘密の部屋」とか
「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」・・・・・
こういうのは「シリーズもの」といいますな。
これらもまあ「単行本」の範疇に入ります。

シリーズものは原則1タイトルにつき1つの書誌を持つ。
全集物や辞典・事典は別。ていうか微妙。
共通しているのは、1冊ごとに自分自身のISBNを持っていることであります。
ISBNってなんだ?と思われる方は、何でもいいからお手元の「単行本」を手にとってみるとよろし。
裏表紙とか奥付にISBNがあるはずです。

これは、その本に与えられる国際標準番号で、同じ本なら同じ番号です。
ちなみにしーちゃんの「フィギュアスケートを100倍楽しく見る方法」には、
ISBN 978-4-06-215716-2
という番号がついています。

ちなみにISBNは、
International
Standard
Book
Number
の頭文字を取ったものです。

全集ものとか多巻ものは一つの書誌の中に、ISBNが巻号分書いてあることが多い。
シリーズ物は、タイトルごとに書誌が分かれまする。
んで、「シリーズ名」という項目が追加される。
シリーズのナンバーがあればそれもつける。
「○○ブックス」とか「○○新書」なんてのがそういう場合が多い。

じつは図書館野郎は、これら単行本の範疇にはいる本を十把一絡げに「図書」とか「図書資料」と呼んじゃう。
知らない人が聞くと、「図書館にある本は全部図書ちゃうんか?」なんて思ったりする。
じゃあ「図書」じゃない本、「図書」の対立概念はなにかといふと、「雑誌」であります。

今、不用意に「雑誌」と言ってしまったが、正確には「逐次刊行物」と言うべきかもしれない。
「逐次刊行物」聞き慣れない言葉でしょうか。

「チクジカンコウブツ」図書館の人間は略して「チクカン」と呼ぶことが多い。

では次回はチクカンの話かな。