新新☆もこほじゃほろみ日記

煩悩と私事のサイト

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はや2年

2011-09-30 | 雑感
今日9月30日はG3の命日である。
たまたま休みがとれたのと、愚息もたまたま休校の日だったので、家族3人で墓参りに行った。
蒸し暑い陽気だったが天気はまずまず。

G3の墓は奥多摩の山々が平地と出会うその末端にある。
要は小高い丘の中腹ね。
秋色にはまだ早いが、彼岸も過ぎた柔らかな光が満ちてゐた。

あれからはや2年。
仏教でいへば三回忌に相当する。
この間いろいろあったなぁ。

ちなみにG3がこの墓に入ったのは約2ヶ月後の11月。
そこから数えても1年10カ月かな。
G3が遺した我楽多はずゐ分処分したが、まだまだ残ってゐる。
我が家は様変わりしたが、墓は時間が止まったかのやうだ。

G3は、大正13年3月、関東大震災の半年後に生まれ、激動の昭和を生き抜き、平成21年に没した。
昭和初期に少年時代を過ごし、青春時代は戦争の真っただ中、敗戦後の日本の復興から高度経済成長の時代、昭和元禄といわれた繁栄期、バブルの時代、昭和天皇の崩御、バブルの崩壊と、生活様式も価値観もぐるぐると目まぐるしく変わる時代の中を生きた。

考えてみると、G3の生きた時代はなんと重かったことだろう。
それともそう思うのは後から見る者の感想であって、本人たちは案外「そんなものさ」という感じで、淡々とマイペースに生きたのであろうか。
少なくとも私はG3の口から戦争に対する恨みや、社会の矛盾に対する怒りや糾弾を聞いた覚えがない。(ちょっとした皮肉や冷笑は聞いたことあるけどね)
ひょっとしたらG3は心のどこかで、生きるのがどれだけ大変でも、戦地や空襲で死んでいった人たちに比べれば自分は運がいい、恵まれているさ、と思っていたのかもしれない。

G3は東日本大震災が起こる1年半前にあの世に行った。関東大震災と東日本大震災という二つの巨大地震にちょうど挟まれた形になるG3の人生。ちょっと面白い。
まあ、故郷であるいわき市の惨状を目にせずに済んだのだけは幸いだったかもしれない。

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がんばっぺ

2011-09-29 | フラガール
わが心のふるさと、いわき市のシンボル的存在、
スパリゾートハワイアンズは3・11の大震災以来休館を余儀なくされていた。
半年を経て、来る10月1日、ついに部分的だが、再オープンの日を迎えることとなった。

この間、舞台を失ったフラガールたちは、全国きずなキャラバンを敢行し、いわきの人々、福島の人々、東北の人々、全国の人々、地震に遭った全ての人々に、笑顔と力と勇気を送り続けた。
ようやく迎える再オープンの日、彼女らはどんな気持ちで舞台に立つことだろうか。

わたすは涙なくしてこの映像を見ることができない。


ハワイアンズのHP
http://www.hawaiians.co.jp/

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主よ・・・

2011-09-28 | 芸術
「主よ人の望みの喜びよ」という名で知られるバッハの名曲。
もともとは「Jesus bleibet meine Freude」というコラール(讃美歌)を
カンタータ147番「心と口と行ないと生きざまは」の第1部・第2部の終曲として編曲したもの。
つまりオケの伴奏つきの合唱曲だった。
それをさらにピアノ独奏用に編曲したのがこれ。
わたすは原曲も好きだが、じつは編曲版の方が好きだったりする。


たぶんバッハの曲で一番有名な曲の一つだろう。
バッハは編曲したらしたで、バッハ独特の美しさが失われない、稀有な作曲家である。
対位法の大家であるが、とにかく和声が美しい。
生涯の友とするに足る音楽。
マイラ・ヘスの編曲も有名だが、これはたぶんケンプ自身による編曲だろうね。

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Qちゃん?

2011-09-27 | 芸術
キューちゃんといへば・・・
高橋尚子さん
オバケのQ太郎
もあるけれど
やっぱりとどめは坂本九だね。



九ちゃんの歌声は、人懐こく暖かく、
孤独な人を励ますごとく、
傷つく人を癒すがごとく、
聴いてゐるうちに思はず涙ぐんでくるのである。

この歌いろんな歌詞があるけど、
こんな純情な恋の歌だったのね。
「いつかきっと わかってくれるだろう」とは
そういうことだったのね。

若い人にゃ、吉本興業かウルフルズかね。
それももうけっこう前だが。

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そうね

2011-09-26 | 荒川静香
「女の子の話をしようか」
「いいよ」
「色の白い子って好き?」
「好きだよ」
「色の黒い子は?」
「別に嫌いじゃないけど白い方がいいな」
「しーちゃんって色白いよな」
「そうね」
「俺しーちゃん好きだな」
「ふーん」
「お前は?」
「俺もしーちゃん好きだよ」
「じゃあさ、細いのとぽっちゃりとどっちが好き?」
「ぽっちゃり!・・・もいいけど、あえていえば細い方かな」
「俺も!しーちゃんって細いよな」
「そうね。前よりちょっとふっくらしたかもしれないけど」
「俺しーちゃん好きだな」
「ふーん」
「お前は?」
「俺もしーちゃん好きだよ」
「そうだよな!じゃあさ、頭の良い子ってどう?」
「好きだよ」
「しーちゃんって頭良いよな」
「そうね」
「俺しーちゃん好きだな」
「ふーん」
「お前は?」
「俺もしーちゃん好きだよ」
「しーちゃんってほんとにいいよな」
「そうね。ところでさ」
「ん?」
「俺たちって、昨日もこんな話してなかったっけ?」
「そうね」

もしも同じクラスにしーちゃんがいたら
わたすはどうしていただらう・・・

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それは

2011-09-25 | 芸術
久しぶりに山村暮鳥の詩。
この人の作風は、
シュールで尖がった初期
ヒューマンな中期
それらを通り抜け涅槃寂静とした後期
で、この作品は後期の一つ。


  手

しつかりと
にぎつてゐた手を
ひらいてみた

ひらいてみたが
なんにも
なかつた

しつかりと
にぎらせたのも
さびしさである

それをまた
ひらかせたのも
さびしさである


こういうのがなぜか秋を感じさせるんである。
次のリンゴの連作もしみじみと不思議に胸に沁みる。

  りんご

兩手をどんなに
大きく大きく
ひろげても
かかへきれないこの氣持
林檎が一つ
日あたりにころがつてゐる

  赤い林檎

林檎をしみじみみてゐると
だんだん自分も林檎になる

  おなじく

ほら、ころがつた
赤い林檎がころがつた
な!
嘘嘘嘘
その嘘がいいぢやないか

  おなじく

おや、おや
ほんとにころげでた
地震だ
地震だ
赤い林檎が逃げだした
りんごだつて
地震はきらひなんだよう、きつと

  おなじく

林檎はどこにおかれても
うれしさうにまつ赤で
ころころと
ころがされても
怒りもせず
うれしさに
いよいよ
まつ赤に光りだす
それがさびしい

  おなじく

娘達よ
さあ、にらめつこをしてごらん
このまつ赤な林檎と

  おなじく

くちつけ
くちつけ
林檎をおそれろ
林檎にほれろ

  おなじく

こどもよ
こどもよ
赤い林檎をたべたら
お美味(いし)かつたと
いつてやりな

  おなじく

どうしたらこれが憎めるか
このまつ赤な林檎が……

  おなじく

林檎はびくともしやしない
そのままくさつてしまへばとて

  おなじく

ふみつぶされたら
ふみつぶされたところで
光つてゐる林檎さ

  おなじく

こどもはいふ
赤い林檎のゆめをみたと
いいゆめをみたもんだな
ほんとにいい
いつまでも
わすれないがいいよ
大人になつてしまへば
もう二どと
そんないい夢は見られないんだ

  おなじく

りんごあげよう
轉がせ
子どもよ
おまへころころ
林檎もころころ

  おなじく

さびしい林檎と
遊んでおやり

おう、おう、よい子

  おなじく

林檎といつしよに
ねんねしたからだよ
それで
わたしの頬つぺも
すこし赤くなつたの
きつと、さうだよ

  店頭にて

おう、おう、おう
ならんだ
ならんだ
日に燒けた
聖フランシス樣のお顏が
ずらりとならんだ
綺麗に列んだ

  おなじく

錢で賣買されるには
あんまりにうつくしすぎる
店のおかみさん
こんなまつ赤な林檎だ
見も知らない人なんかに
賣つてやりたくなくはありませんか

  おなじく

いいお天氣ですなあ
とまた
しばらくでしたなあ
おや、どこだらう
たしかにいまのは
榲桲(まるめろ)の聲だつたが……


わたすもリンゴの夢を見るか・・・

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この季節の定番

2011-09-24 | 芸術
ベタだけど。
てか、これも若いもんにはわかるめぇ??


おじさんは秋になるといつもこの曲を思い出すんである。
秋爛漫といふよりは秋になったばかりの感じですな。


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元気にゆこう

2011-09-23 | 芸術
偶然見つけた曲だがとても気に入ってしまった。
深夜、いや早朝ラジオの「歌うヘッドライト」のエンディング曲だったそうですな。
ちょうど夜が明ける頃、長距離ドライバーたちはこの曲を聴きながら走ってゐたのだな。
とても前向きな内容で、東日本大震災復興の応援歌になるな~なんて思った。
合唱にアレンジして合唱コンクールや卒業式で歌ってもゐゐんじゃないか。



実際の放送はこんな感じだったのだな。


  

なんて思ったら、やっぱり!慰問に行っていたんだね。
これは青森県八戸市にて。


なお、麻生しおりさんは青森県青森市の出身だそうです。

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あやうく

2011-09-22 | 雑感
昨日はあやうく帰宅難民になりかけた。

昼ごろにはまだ愛知県の沖合にゐたと思ってゐた台風が、いつの間にか速度を上げ、午後4時過ぎには関東地方は暴風域に入ってゐたのである。

5時に外に出たときはもの凄い暴風雨だった。一瞬で体中ずぶ濡れになり傘は全く役に立たなかった。
その中をなんとか後楽園の駅まで辿りつき、来た電車に乗った。空いている席はあったが、体中あまりにもびしょ濡れだったので座るのが憚られた。御茶ノ水に着き、橋から見下ろした神田川は初めて見る水量の多さで茶色く勢いよく流れてゐた。

中央線のホームは意外に人が少なかった。電車の間引き運転でホームに人が溢れてゐる様子を予想してゐたのでこれは意外だった。その時、「中央線快速電車は只今より運転を中止します」といふアナウンスが入った。「うへっ!」と思ったが、人々の反応は意外に淡泊だった。特に焦っている様子や困っている表情はなかった。わたすは西武線に望みを託し、池袋まで行くことにした。

池袋は人で溢れていた。そこでわたすは西武線全線と首都圏のJRのほとんど全てが止まってゐることを知った。駅の改札は全て規制され中には入れなかった。だがここでも人々は落ち着いてゐた。人々は声をあげるでもなく、駅員に詰め寄ることもなく、立ったまま電光掲示板を見ていた。また駅の改札あたりに設置してあるTV画面を静かに見ていた。

わたすはこの困難な状況下で少しも騒がない日本人の落ち着きに今さらながら感心した。3・11を経験した日本人。あの時に比べれば帰宅困難の度合いは大したことはないだろうと。毎年台風に見舞われる日本列島。日本人は皆台風は待っていれば過ぎ去ることを知ってゐるのだ。それにしても、いつ動くかわからない電車を立ったまま(並んでいるわけではない)待つのは疲れるだろうに。

わたすは職場に戻り、電車が動くのを待つことにした。辛うじて動いてゐた丸ノ内線に乗って、茗荷谷に着くと、「只今丸ノ内線は運行を中止しました」とのアナウンス。ええー、こんなところで。あと一駅なのに。いっそ歩いて行こうかと電車を下りた途端に、「まもなく運行を再開します」とアナウンス。あわてて車内に戻ったが、結局それから10分くらいしてようやく発車した。

後楽園駅に戻った時には雨は止み、激しい風が吹いてゐた。駅の地下でスシを買って職場に戻り、帰りそびれた部下と一緒に食べながら時間をつぶした。

8時ごろになり、ぼちぼち中央線も動き出したやうなので、再び御茶ノ水に向かった。外は風はまだ強かったが雨は完全に止み、雲の切れ間から星が見えた。路上には大量の木の枝や千切れた葉っぱが散乱してゐた。

御茶ノ水から乗った中央線は朝のラッシュ時を上回る混み方だった。途中駅では乗り切れない人が大勢ゐた。結局家に帰ったのは10時近かった。職場での調整時間を入れて5時間かかったことになる。まあ3・11の時は帰れなかったからね。それを思へばどうってことないさ。

ちなみに、池袋駅では、おそらく回線混雑のせいであろう、ケータイは通話は発信できなかった。メールは使えたので、自宅や職場への連絡はメールを使った。

しかし、しーちゃんは帰れなかったようである。しーちゃんも帰宅難民だったのなら遠く離れた場所ではあるが、少しはご一緒できたことになるのかな・・・なんて

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台風

2011-09-21 | 荒川静香
今日台風で帰宅時東京の電車が全部止まり、あやうく帰宅難民になりかけた。
(その話は明日しませう)
沖縄近海で迷走してゐた台風だが、浜松付近に上陸してからはやたらにスピードが速かったな。
もうすぐ日付が変わる今の時点でもう宮城県沖にいるやうである。
東京では午後4時から5時の間が一番雨風がひどかった。
電車がほぼ同時多発的に止まったのもその頃だ。
新幹線が止まったので、しーちゃんは京都から帰れなくなったみたいである。
唐突だが、ビリケン辯當を今度わたすも食ってみやう。

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