新新☆もこほじゃほろみ日記

煩悩と私事のサイト

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右手首の痛みは

2008-05-31 | 雑感
大分引いたのである。
単なる疲労のようでした。

ちなみに私は右手首に「マウスだこ」がある。
いつも手首をついてマウスを使っていると擦れる所が黒っぽく固くなるのね。
本当はマウスを使う時は手首を浮かせて使うものらしい。

決してリストカットの跡ではないのでご心配なく(誰もそんなこと思ってねぇよ!)

明日の夜あたりから本格復帰したいものである。
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まさか

2008-05-30 | 雑感
右手首が痛い。
マウスの使いすぎ?
腱鞘炎ですかのう。
ま、まさか手首が痛風(もどき)!?
今夜は短くしときましょう。

来週の木曜の件とは無関係よ!
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今夜は・・・

2008-05-29 | 雑感
ううむ・・・これはやばいぞ・・・・・・・・・・
また思わせぶりな書き方であるが、真相は来週の木曜日明らかになるであろう。

おんころころせんだりまとうぎそわか
おんころころせんだりまとうぎそわか
おんころころせんだりまとうぎそわか

今夜はここまで!!!
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仏縁?

2008-05-28 | 宗教
4月から新しい職場に移り丸2ヶ月がたとうとしている。
ようやく慣れてきたような、まだまだ慣れてないような…(どっちなんだ!?)

ただ、このわずかな期間に仏縁とも言うべき?出会いがいくつもあったことは小さな驚きである。

まず4月の歓迎会で向かいに座った青年が、チベット語を専攻しチベット仏教にも詳しいことが分かった。「ナルタン版」「デルゲ版」「北京版」なんて言って通じるんだもんね(笑)。驚いたっす(親切な註:それぞれチベット大蔵経の版をさす)。(ただし政治的な話はしないのがパーティーのマナーである。我々も無論そうだった)

続いて、わが部屋に来た新人の男が、なんと私と同じ京都のB大出身者であった。B大時代は卒論にナーガールジュナ『中論』を選んだと言う。『中論』は大乗仏教の「空」の思想を代表する大著であるが、その難解さも只者ではない。私も何度か読みかけたが挫折したのだな。この機会に再トライすることにした。でも…やっぱ難しいね(笑)

さらにである。最近バイトの女の子が親鸞の『教行信証』なんかを広げているので、「どうしたの?」と訊くと、大学の授業で親鸞を読んでいると言う。ちなみに彼女の学校は仏教系ではない。『和讃』や『御消息』なども読んだようである。ひとしきり親鸞の話が弾んだ。夏に茨城県の稲田御坊に合宿に行くらしい?

それにしても、こんなに立て続けに仏教を深く学んだ人間が身近に現れるものだろうか。これぞ仏縁と言うべきではないか??仏に導かれているような気になったぞ。ちなみに何度も言うが、私はクリスチャンである。
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誕生日大作戦

2008-05-27 | 雑感
本日は日曜出勤の振休だった。また同時に、なんと!我が家の財務大臣の誕生日だったのである(だから今日を振休にしたんだけどね)。

ところで、小生は都合さえつけば、財務大臣の誕生日にディナー(ってほどでもないが)を作るサービスをしている。昨夜はブログもそこそこにレシピの研究をしたのだった。

さて、誕生日企画の第一弾、午前中『相棒』劇場版を観に行く。ウチの大臣は意外にも?サスペンスドラマが好きなのである。一緒に映画に行くのは2年ぶりだろうか。水谷豊と寺脇康文の活躍を楽しく観た。ともに警察を舞台にしているが『踊る大走査線』よりはこちらの方がアダルト(Hという意味じゃないよ!)な雰囲気があるな。岸谷五朗がちょっとだけ出てくるところは笑えた。

それから二人でランチ。毒ギョーザ事件以来?空いているらしい立○中華街へ(笑)。空いてて美味かった。そのあと別れて買い物。材料とケーキを買う。

帰宅して休憩後、夕食作り。料理は久し振りなので、手順が悪くいろいろ混乱する(汗)。格闘の末どうにか完成。

テーブルを囲みささやかにお祝いをする。

メニューはこんなもの。
鎌倉ソーセージ入りオニオンコンソメスープ
手製トマトソースを使ったスパゲティカレー風味
エビとトマトと玉ネギのサラダイタリア風
それにまろやかな甘口イタリア産発泡ワインという、イタリア尽くしのメニューであります。

スパゲティは作りすぎて余ってしまったが、味はなかなか好評だった。完成の時間がよめず、パスタが少し茹ですぎになってしまったのと、ジャガイモが煮崩れを恐れるあまり茹で時間が足らず固かったのが残念であった。でもこれで美味しいトマトソースの作り方がわかったので、次回(っていつだ?)に応用してみようと思う。

それから、ケーキを食べ、プレゼントを渡した。小生からは『相棒』関連グッズ(とだけ言っておこう)、愚息は自作の曲(短いけど)でした。

そんな風にして、今年も楽しく家族で過したのだった。とにかくもスパゲティがなんとか美味しくできて、ホッとしたぞ。
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明日は

2008-05-26 | 雑感
ちょっとした大計画(なんだそれは?)があるので今夜はほどほどに。
明日は日曜日の代休。されど朝から予定が盛り沢山??
全貌は明日の夜明らかになることであろう。(なんだこの思わせぶりは?)
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平中

2008-05-25 | 芸術
百人一首つながりで私好み(笑)のシモネタ噺を見つけてしまった。

今昔物語巻三十「平定文本院ノ侍従ヲ仮借スル語第一」より

平定文(通称「平中」)は、当時在原業平(通称「在中」)と並び称された色好みであった。

この平中が「侍従の君」なる女に懸想した。ところがこの女、大変聡明で機知に富んだ人で、遊び人の平中になど見向きもしない。

文(手紙)を書いても返事もよこさないので、ある時『せめて見たという返事だけでも下さい』と書いて送ったら、数日後、平中の文中の「見た」という文字だけが切り張りされた紙が送られてきた。

すげなくされることで、かえって恋の炎を燃え上がらせた平中は、ある夜思い切って侍従の君の屋敷を訪れた。ついに部屋の中に通された平中に、侍従の君は「では鍵をかけてまいります」といって立ち上がった。

いよいよ今夜はものにできる!と思い、平中が興奮しながら待っていると、待てど暮らせど来ない。不審に思った平中が部屋を出ようとすると、外から鍵がかけられていた。平中は朝までその部屋に閉じ込められたのだった。

何をやっても女の方が一枚上手なので、プライドの高い平中も女を諦めざるを得ないと思った。

ところが、恋の炎を鎮めるために平中はとんでもないことを考えた。女のウ○コを見てその臭いでもかげば、その汚さに燃える心も冷めるのではないかと考えたのである。

平中は女の屋敷に忍び込み、侍女が下げる筥(はこ=現在のおまる)を奪い取り、近くの空き家でそれを開けた。

筥の中には薄黄色の水の中に親指ほどの固形物が三切れほど浮んでいた。

ところがそのあまりの高貴な香り(?)に、平中は幻滅するどころかかえって女への想いが募ってきた。

ついに平中は思わずその固形物を手にして、口に入れて噛んでみた!すると・・・

『美味い!??』

それは野老(ところ)の練り物と丁字(ちょうじ)を煮た汁。要するに糞尿に似せた食べ物だったわけである。

平中の行動を先読みし、このような茶目で頓知な仕掛けをする女に、平中は完全に魂を奪われ、ついには病の床に伏せってしまった。女のことを焦がれながら昇天したそうである。女好きが色気に冒され死んだのなら本望と言うべきであろうと作者は結んでいる。



ちなみに「見た」という切り張りの返事をしたのは、史実では百人一首で知られる女流歌人の伊勢だったそうです。

難波がた みじかき葦の ふしのまも あはで此の世を すぐしてよとや

難波潟――その水辺に生える短い葦の節の間のような、ほんのわずかの間さえ、あなたと逢わずに、この世をむなしく終えてしまえとおっしゃるのですか という情熱的な歌を詠んだ人ですね。お茶目な機転の利く人でもあったんですねぇ・・・。
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百人一首

2008-05-24 | 雑感
愚息が授業で百人一首をやっている。
暗誦の手伝いを兼ねて自分も読むと、これがなかなか面白い。
今は並び順で二十首目までだが、最終的には全部暗誦するようである。

ちなみに百人一首の並び順は、最初が大化の改新で有名な天智天皇(=中大兄皇子)。

「秋の田の かりほの庵の とまをあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」

最後は、承久の乱に敗れ鎌倉幕府によって佐渡に流された順徳院。

「百敷きや 古き軒端の しのぶにも 猶あまりある 昔なりけり」

飛鳥時代~鎌倉時代。500年にも及ぶ時代順ですね。

ところで百人一首に「序歌」があったことを最近知りました。

「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今を春べと 咲くやこの花」

競技の最初に序歌として詠まれるそうです。(だからかるたの札はなし?)

これは、仁徳天皇が難波で皇子であられた時、弟皇子とたがいに譲り合って即位なさらず、三年も経ってしまったので、王仁(百済から帰化した学者)という人が気がかりに思い、詠んで奉った歌だそうです。仁徳天皇の御代の始まりを喜ぶ気持ちであると。この花は梅の花をさすらしい。

だとすると古墳時代だからずゐぶん古い歌だぞ。なんかあんまり古そうな感じがしないのは気のせい???
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愚息帰る

2008-05-23 | 雑感
愚息が北海道の修学旅行から帰ってきた。

今年最初の真夏日の名残りの東京を「暑い!暑い!」と盛んに言っている。北海道はかなり涼しかったらしい。

愚息は大馬鹿野郎なので、ちゃんと行けるか心配だったが、どうやらちゃんと行けたらしい(笑)。ものも無くなさなかったようだし、土産もちゃんと買ってきた。大きなトラブルもなかった様子である。

北海道では美味いものをたくさん喰ってきたようである。カニにシャケに成吉思汗に。風呂上りのアイス(この辺が子どもだ)がまた美味かったそうで。結構なことである。

ラフティングや乗馬体験も楽しかったようである。まずは川に流されたり、馬に蹴られたりしなくて良かった。乗馬は引き馬かと思ったら、自分で手綱を取って乗ったそうである。乗り手が愚息でもちゃんと歩くとは、よほど頭の良い優秀な馬だったのであろう。

馬術の経験のある先生のおかげで、名のある競走馬が引退後余生を送る牧場を特別に見学してきたそうで。写真は現在のディープインパクトだそうである(愚息撮影)。さすがに名馬は愚息が撮っても美しいフォルムをしている。

愚息が帰ると家の中が一気に賑やかになった。気のせいか少し逞しくなったような気がする??親バカというものであろう。
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キジを打つ

2008-05-22 | 雑感
最近はとんと行っていないが、これでも昔はけっこう山に登ったものである。

人工から離れ手付かずの自然に親しむ登山の爽快さは、他に比べようのないものだが、困るのは「キジ打ち」である。「キジ打ち」とはなぜかウ○コやオ○ッコを「雉を打つ」と隠語で表現した登山用語?で、大を「大キジ」小を「子キジ」トイレのことを「キジ場」などと言う。ちなみに女性の場合は「お花摘み」と言ったりする。

専用のキジ場のあるところならいいが、キジ場のある場所は山小屋のあるところなどごく限られている。したがって行動中、尿意または便意を催したら、人に見えない茂みの中などで排尿または脱糞(あるいは両方を)することになる。

人気の無い山ならいいが、人の大勢登る山では場所探しも大変である。こういう山では、わずかな踏み跡を辿って藪の中に入ると、明らかに人間のものと思われるウ○コが残されていることがよくある。自然発生的なキジ場といおうか。ちなみに人間のものはいっしょに紙が残っているのですぐわかる。

私も何回も青空の下でキジ打ちしたことがある。山の清澄な空気の中に異臭を放つ異物を放出するのは、環境汚染というべきなのかもしれないが、これも一つの自然現象であり、山の獣達が日常的にしていることではある。しかし少人数ならまあ笑って許されるが、大人数となると深刻な問題である。

山とキジ場の問題はけっこう深刻なものがあり、富士山頂直下の「白い川」(山頂付近の山小屋が垂れ流した汚物と紙の混ざった白いスジ)は有名である。富士山が世界遺産に指定されなかったのはそのためであるとされる。犬のウ○コでさえ飼い主がちゃんと拾って帰るのが常識となった今、人間のウ○コも自分で持ち帰るべきなのかもしれない??
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