2004年5月28日、今から9年ほども前、わたすはこんな文章を書いたのだな。
いやさ、ここ数日の手抜き企画(笑)「○○酒大作戦」の「大作戦」つながり(つながってないよ)で、「昆虫大戦争」を思い出したのである。
このブログの古くからの読者の方はすでに既読かとは思いまするが、懐かしいので再録することとする。
「昆虫の館」
もうずいぶん前になるが、世田谷区給田というところに住んだことがある。駅で言うと、京王線の千歳烏山と仙川のちょうど中間になる。実はこれは、私が家を出て一人暮らしを始めた最初の場所である。
その家は、仙川の不動産屋で紹介された。行ってみたら、築何十年か不明なボロい一戸建の2階屋をベニヤ板のようなもので仕切り、1階2人用、2階に1人用になっていた。
私の住まいとなるのは1階の奥の(一応)東南の角部屋で、6畳一間と4畳半くらいのキッチンがあった。水道とガスはあった。家の外にベニヤ板で作ったような小屋があり、そこがトイレだった。しかも汲み取り式だった。私は世田谷区に汲み取り便所が残っていたことにも驚いたが、家の外にトイレがあることにはもっと驚いた。これはどうやら、その不恰好さといい、大家のトミオカが自分で作った物らしかった。
正式な玄関はなく、六畳部屋の奥にベニヤにクギを打って作ったような戸があり南京錠で施錠するようになっていた。これもトミオカが家の壁をぶち抜いて自分で作ったらしかった。家の中の仕切りもベニヤ板で、トミオカは何でも?ベニヤ板で作るらしかった。
家の隣は寿司屋で、間にはコンクリの塀があった。塀と部屋の間に細長い庭があり、その一角に手作りトイレがあるのだった。庭にはアルミサッシの出入り口から出入りでき、トイレにはそこから行った。これで大体の様子がお分かりいただけただろうか。ちなみに千歳烏山駅まで徒歩10分、最寄りの風呂屋までは5分、コインランドリーは家の横の旧甲州街道を渡った正面にあった。
なんともすさまじい建物だったが、家賃が月2万円という安さと、水道料がタダ(独立したメーターがなかったため)というのに惹かれ、また私は当時登山をやっており、山小屋と思えば上等の部類と思ってしまったのである。そんなわけで契約してしまった。
引っ越したのは2月でまだ寒かった。異変に気がついたのは暖かくなりはじめた頃だった。
ある日、閉めてある部屋の中を赤黒い小さな虫が徘徊しているのに気がついた。よく見るとそれは尻にハサミを持つハサミムシだった。私は鳥肌が立ち、サッシの戸を開けてハサミムシを外に掃き出した。
4月のある夜、私は不覚にも生ゴミの入ったポリ袋を、翌朝捨てるつもりで庭に出しておいた。部屋でテレビを見ているうちに、何だかいや~な気配を感じた。すごく小さな「シワシワシワシワ…」という音がどこからともなく聞こえてくるような気がした。胸騒ぎがして、私は戸を開けた。その瞬間!水色だったはずのポリ袋が真っ黒になって内部が細かく蠢いているのが眼に飛び込んだ。
ポリ袋の中には、でかいアリが無数に入り込んで中身をあさっているのだった。口をきつく閉めたはずなのに、いったいどこからと見ると、ポリ袋のあちこちが食い破られて穴が空いており、アリはそこから出入りしているのだった。そのアリのでかいことと言ったら!私はそれまで「おつかいありさん」のような童謡もあり、アリにはどちらかというとキュートなイメージを持っていたが、そんな気持ちは瞬間的に吹き飛んでしまった。
朝になるとアリの群れはなぜか姿を消していた。私はコンビニで殺虫剤を買い込み臨戦態勢を固めた。
夜になり満を持して戸を開けると、そこは様々な虫たちの饗宴の場となっていた。例のアリに加えて、這い回るハサミムシたち。ダンゴムシ、ヤスデ、それになぜかミミズまでいた。それらがその庭では皆図体がいやに大きく、力強く動き回るのだった。私は総身の毛を逆立てながら、虫たちのサバトに上空からキンチョール攻撃を開始した。
とたんに虫たちの動きがビデオの速送りのように速くなりサバトは大混乱した。それは見るからにおぞましい光景だった。私はなおも毒ガスを撒き続けた。庭全体に白い霞が立ちこめるまで撒いた。さすがに自分でも呼吸が苦しくなり、私は戸を閉めて部屋の中に入った。その夜は不安で熟睡できなかった。虫に襲われる夢でも見ていたかも知れない。翌朝庭を見ると虫たちの死骸が累々と転がっていた。私は安堵した。しかしそれは、これから始まる昆虫大戦争の序章に過ぎなかった。
2~3日は平穏な日が続いた。部屋の中で例のデカいアリを見かけたのはそんな頃だった。えっ!?私は戸を開けた。地面には黒光りするアリたちや赤光りするハサミムシたちが再び這い回っていた。この並外れて大きく丈夫な虫たちには、ちょっとやそっとの殺虫剤は効かないらしかった。翌日私はさらに強力な殺虫剤を求めて店を廻った。夜、再び毒ガス散布が行われ、翌朝再び地面には累々たる虫たちの死骸があった。ここまで読んで賢明な読者は予測がついたと思うが、この効果も2~3日しか持たなかったのである。2~3日後、虫たちの跳梁は振り出しに戻った。
こうして何日かおきに、大して効果の無い殺虫剤を撒く生活が、果てしなく続くのであった。しかし、恐ろしいことはそれだけではなかった。
GWに出かけていた私は、何日かぶりで虫の館と化したトミオカ荘に戻ってきた。夜遅い時間だった。とりあえず大きい方がしたくなったので、トミオカお手製のトイレに入った。下方の便槽を見て思わず心臓が止まりそうになった。薄暗い電灯に照らされた水面では、なにやら無数のものが蠢いていたのである。私は驚きのあまり、出かかったものも引っ込んでしまい、恐怖で息を荒くしながら部屋に戻った。その夜は大小便もせずに寝てしまった。翌日私がウジ虫用の殺虫剤を買いに走ったことは言うまでもない。
カルピスによく似た瓶入りの白い薬を見つけ、買って帰るなり便槽にドボドボと注いだ。瞬間ウジどもの悲鳴が聞こえるような気がした。便槽の蠢動は止んだ。私は安心して雲古をした。しかし、賢明な読者は予測がついたと思うが、この効果も2~3日しか持たなかったのである。こうして何日かおきに、便槽にカルピスを注ぐ生活が続くのであった。しかし恐ろしいことはまだ終らなかった。
暑くなるにつれ、どこからともなく蚊が飛んで来るようになった。あるとき腕に止まった蚊を平手で叩くと、そいつはひしゃげて畳の上に落ちた。次の瞬間、なんとその蚊は、再び飛び立ち、私に向かってきた。な、なんなんだこいつは。叩いても死なないのかよ!何という種類かは知らないが、腹の黄色い大型の蚊だった。私が翌日、蚊取線香とベープマットを買いに走ったのはもちろんである。
だんだん私なりに事情が呑み込めて来た。どうやら諸悪?の根源はトミオカ式手作りトイレにあったらしい。シロウトが池なんか作るとよく水が漏るように、このトイレも便槽から糞尿が地面に滲み込み、周りの土地を富栄養化しているらしい。それでここの虫は丈夫ででかいんだ。要はオレの糞尿を栄養にこいつらはこんなに肥えていやがるんだ。そういうことかよ。あと、隣の寿司屋で出す生ゴミも美味しいエサだったかもしれない。
こうして虫たちとの付き合いは、どんどん深まっていった。盛夏にはさらに真打登場、不快害虫の王者、生きた化石といわれる例の黒光り虫も加わり、まさにトミオカ荘は虫の館、昆虫王国の姿を呈していた。私はそれらと、夏の間中むなしい消耗戦を闘っていたのである。その間に私は、すっかり筋金入りの虫嫌いになってしまった。
しかし、考えてみると、実は最も不可解なのは私自身の行動かもしれない。そんな思いをしながらも、結局私はそのトミオカ荘に2年いたのである。虫嫌いのくせに、なぜかもうひと夏、恐怖の虫の館で虫たちと過ごした私って一体…??