新新☆もこほじゃほろみ日記

煩悩と私事のサイト

再録 死語?の世界

2006-02-28 | 雑感
まあまあ 意外に気温は低い。


 あなたはこれらの言葉を使ったことがありますか。もし違和感なく使っていたら、その人は私と同じ立派な中年です。(すべて順不同)

1.単語編 

 おニュー   新しいおろしたてのもの。
 いの一番   一番を強調する表現。
 スピード時代 現代社会を批評する言い方。
 ゲルピン   金が無いこと(ゲルト:独より)。
 ルンペン   ドイツ語で「乞食」。今はホームレスなどと言う。
 レゲエ    ホームレスを指す言い方。髪型が似てるから?
 ごふじょう  御不浄。すなわちトイレのこと。公家言葉?
 BG     ビジネス・ガールの略。OLのこと。
 ハイカラ   今風でお洒落と言うか。
 ナウい    現代的でカッコイイというほどの意味。
 ボイン    巨乳。
 グラサン   サングラスを洒落て言った言葉。
 ヤング    若者のこと。
 アベック   恋人同士の男女を指す。フランス語。
 えもんかけ  衣紋懸け。ハンガーのことらしい。
 メーカー品  有名メーカーの製品。すなわち優良品を意味する。
 ビフテキ   ビーフステーキのこと。「テキ」と略す言い方も。


2.風俗編 

 モーレツ社員  猛烈によく働くサラリーマン。私の周囲にはいないようだ。
 スチャラカ社員 私のようにいいかげんなサラリーマン。
 アンノン族   有名観光地によくいた若い女性観光客。
 竹の子族    原宿で揃いの衣装で踊っていた少年少女。
 太陽族     昭和20~30年代のブルジョワ家庭の不良少年。
 みゆき族    実はよくわからない。銀座のみゆき通りに関係あり?
 ゲバルト    暴力を意味するドイツ語。棒を振り回す過激派学生。
 ヤリガイ君   TVCMにそんなのがあった。モーレツ社員とほぼ同義?
 ミツグ君    プレゼントをする男。実はいいように女に利用される。
 アッシー君   車での送迎に利用される男。


3.合ってるのかどうか自信ない編 

 タンクトップ → キャミソール
 パンタロン → ベルボトム
 ヘアダイ → カラーリング
 とっくり → タートルネック
 コール天 → コーデュロイ
 ビロード → ベルベット


4.セリフ・口語表現編 

 「~してくれたまえ」 文学作品の中でしか見たことがないかも。
 「ウハウハ」    喜びの表現。
 「ひゃっほ~ぅ!」 爽快感を表す叫び。
 「許してチョンマゲ」 なぜチョンマゲがつくのか不思議ではある。
 「あたり前田のクラッカー」 最近SMAPの歌に出てきた。
 「パーマをあてる」 パーマをかける事を「あてる」と言った。
 「バイバイキ~ン」 別れの挨拶。「それ行けアンパンマン」から来た?
 「バイナラ」    やはり別れの挨拶。
 「シビれるぅ」   感動の表現。「鳥肌が立つ」という方がナウい?
 「お茶する」    喫茶店でコーヒーや紅茶を飲むこと。
 「ぎゃふん!」   一本取られたときの感嘆詞。


 現代の学生が使う言葉もオジサンにはとても難解である。やたらに「チョー」をつけるのもそのうち死語化するのだろうか。関係ないが方言も面白いものだすね。

エアチェック

2006-02-27 | 芸術
一日中

 久し振りに仙川詣で。往復の車内でiPodで音楽を聴く。これはiPodにFMの発信機をつけてカーラジオで聴くもので、コドモが「そういうのがあるんだよ」というので買ったものである。コドモはそういうのを覚えて使いこなすのだけは速い。どこで知識を仕入れてくるのやら。

 FM電波を使うのでときおりザーとかジーとかノイズが入る。ノイズ交じりの音楽を聴いているうちに、昔、中学生の頃、FMエアチェック(放送を録音すること)をしながら一生懸命音楽を聴いていた頃の感覚を思い出した。

 音楽は大好きだった。自分は本当に音楽が好きなんだと自覚した時は、もうピアニストやヴァイオリニストになるのは無理な年令だった。その歳からでも習得可能な楽器はあったが、習わせてはもらえなかった。聴きたい曲は山ほどあった。欲しいレコード(当時はLP)が自由に買えるほどは小遣いが貰えなかった。

 そんな私は、中学2年生の頃にFM放送から録音することを覚えた。家にあったTEACのオープンリールのデッキの前で、番組表で調べておいた時間になると座り込んで録音のタイミングをうかがった。録音用のテープでさえ自由には買えなかった。60分テープや90分テープが合わせて2~3本。それにナレーションは入れずに音楽だけを録るのである。やがて私は曲目紹介が終って曲が始まるほんの一瞬の間に曲の頭が欠けることなくスイッチを入れ、曲が終わりナレーションが入る一瞬前にスイッチを止める名人となった。失敗もした。テープの残量が足りなくて曲の最後が切れてしまったこともあった。母親はそんな息子に「勉強にもそんな熱意があればいいのにね」といつもいやみを言った。

 その限られたテープに録音された音楽を、次の録音に消される長くて1ヶ月、短くて数日までの間に、繰り返し繰り返し聴いた。そこで鳴っている全ての音が、音色が、フレージングが、海綿が水分を吸収するように、あるいは石に文字を刻むように、脳に深く刻まれた。今でもあの頃のそういう体験が、私の音楽理解の原点になっている。あんなに一生懸命、誰にも理解もされず純粋に音楽を聴いた時期は無い。私はひたすら音楽の引力に吸い寄せられていた。

 FM電波にはよくジージーいうノイズが混ざっていた。それらのノイズは一生懸命聴いた音楽と一緒に私の脳裏深くしまわれた。その後、自分で稼いでレコードを買える身分となり、エアチェックはしなくなった。今日、何十年ぶりかであの頃の感覚を思い出した。

 歳をとって不意に昔の自分が蘇える。その頃の満たされない思いも蘇える。美しくも哀しいものよ。これ、若い人には分かるまい。

再録 小川未明

2006-02-26 | 雑感
雨上がり すっきりと


 小川未明という童話作家がいる。時々妙に読みたくなる。新潟県高田(現在の上越市)の生まれだそうで、そのせいか作風には北方的な翳りがある。あるいは裏日本的というと叱られるだろうか。代表作『赤いろうそくと人魚』にも幻想的な美しさと不気味な恐ろしさが同居している。

 子どもの頃これを読んだ時、「…であります」といった独特の語り口と不思議な雰囲気に、思わず吸い込まれていったものだ。冒頭からして暗く寂しい北の海の様子やそこに棲む人魚の孤独感あふれる描写が胸に迫る。しかし次の人魚の独白はちょっと耳が痛い。

 「人間は、この世界の中で、いちばんやさしいものだと聞いている。そして、かわいそうなものや、頼りないものは、けっしていじめたり、苦しめたりすることはないと聞いている。いったん手づけたなら、けっしてそれを捨てないとも聞いている。(中略)一度、人間が手に取り上げて育ててくれたら、きっと無慈悲に捨てることもあるまいと思われる。・・・・・人魚は、そう思ったのでありました。」

 小川未明の人魚は荒くれた海の動物の仲間だったようだ。そして人魚は自分の子を人間に委ねる。その結末は… それは読んでのお楽しみとしよう。


 読みながらいつも私は、情景がありありと目に浮かんだのでした。しかもそれがあんまり生々しいので、自分でも不思議なのであります。

 「おばあさんは起きてきて、戸を細めにあけて外をのぞきました。すると、一人の色の白い女が戸口に立っていました。(中略)おばあさんは、ろうそくの箱を取り出して女に見せました。そのとき、おばあさんはびっくりしました。女の長い、黒い頭髪(かみのけ)がびっしょりと水にぬれて、月の光に輝いていたからであります。女は箱の中から、真っ赤なろうそくを取り上げました。そして、じっとそれに見入っていましたが、やがて金を払って、その赤いろうそくを持って帰ってゆきました。おばあさんは、燈火(ともしび)のところで、よくその金をしらべてみると、それはお金ではなくて貝がらでありました。おばあさんは、だまされたと思って、怒って、家から飛び出してみましたが、もはや、その女の影は、どちらにも見えなかったのであります。」

 月明かりに浮かぶ色の白いぬれた黒髪の女。なんと不気味でまたどこか官能的ではないか。こういうのに魅了される子供ってどうなんだろう。


 小川未明のマイベストとしては、一番はやはり『赤いろうそくと人魚』だが、以下順不同で好きな作品を挙げておく。

『牛女』 雪国ならではの描写も。ちょっと可哀相で感動的。
『野ばら』 結末が胸に沁みます。
『金の輪』 綺麗でちょっと怖い。
『眠い町』 不思議な面白さ。結末も不思議。
『月夜と眼鏡』 美しく幻想的。絵を見ているみたい。
『大きなかに』 雪国的不思議譚。主人公の夢も妙に面白い。
『港に着いた黒んぼ』 美しく残酷。どうにも可哀相なお話。

参考文献:「小川未明童話集」新潮文庫お-7-1

荒川静香金メダル

2006-02-25 | 荒川静香
午後から 雪にはならない模様。


 朝起きたら、荒川静香金メダルの表彰式をやっていた。朝から気分良いいことこの上なし。荒川は立ち姿から美しくて惚れ惚れしたなー。あのカテリーナ・ビット以来だなそう思ったのは。

 演技を見た。プッチーニの「ネッスン・ドルマ」歌詞の最後の「ヴィンチェロー、ヴィンチェーロー(勝利、勝利)」というのが象徴的。隅々まで滑らかな所作。音楽でいうところのレガートな動きが美しい。得点にならなくたってイナバウアーにはうっとりする。スパイラルのなんという美しさ。「しなやか」とは本来こういうのをいうのだろう。ジャンプとかの大技(=荒技)しかとりえの無かった、従来の日本フィギアのイメージを塗り替える快挙。

 そして表彰式。国旗日の丸が揚がり国歌君が代が流れる。かすかに唇を動かし唱和している荒川。思わず涙ぐんでしまった。日の丸のデザインはシンプルで美しい。日の丸をまとってのウィニング・ランもよい。君が代は荘厳で民族的で世界でも稀に見る優れた国歌だと思う。国旗の下の儀仗兵?の敬礼がキリっとしてカッコイイ。

 荒川静香は東洋的美女だと思う。この人の顔って千住真理子に似てるかも。

今夜は予定を変更して荒川静香金メダルの感想をお届けしました。

ここは京都?

2006-02-24 | 雑感
のち 目がかゆいぞ。

 そろそろ日も長く暖かくなってきた。帰り途、大学から高○不動まで歩くこととする。この冬は特に寒かったので3ヶ月ぶりくらいであろうか。やけに雲の分厚い夕方の空の下、未だ茶色い雑木林を抜け、動物園の前からホドクボ川という小さな川べりを歩く。

 この川は小さいながら冬は鴨が渡って来るし、夏場は魚獲りをするカワセミの姿を見かけることもある。今の時期は中途半端なのか、どちらの姿も見られなかった。

 高○不動の近く、川崎街道の交差点付近からは、不動尊の五重塔がよく見える。昭和50年代建立の新しい塔だが、京都醍醐寺の塔に似た?プロポーションはなかなか美しい。周りのごみごみした街さえ気にしなければ、一瞬京都にいるみたい?でも京都だって、大通りを歩いている分には案外ごみごみしてるんだよねー。そう考えるとそんなに変わらない??大学からモノレール高○不動駅まで約20分の小散歩である。

 今日(正確には昨日)はその後、立川でクライバーのベト7ライブ盤を買った。その話はまたた今度!

写真は川崎街道の交差点から見た五重塔です。(2004年6月撮影)

確かに歳をとったと思うとき

2006-02-22 | 雑感
うす 花粉はまだ少ない

 タモリが「自分が大人になったと感じた時」というお題で、「高校野球の選手たちが皆年下になった時」というのを挙げていた。私もこの歳になるといろいろな場面で自分も大人(あるいは中年、初老)になったんだなあと感じるときがある。

 例えば、コドモの幼稚園・小学校の担任が自分より年下である。それどころか先生方の多くが自分より年下である。かつて私を指導し時には叱っていた立場の人々が、いつの間にか私より年下になっているのである。もちろん私を叱った本人が若くなったのではないが。

 オレより年下の若造がコドモにどんな顔で指導するするつもりか。考えてみると私の親は、親自身より若いかも知れないような若造のつける成績に一喜一憂していたわけである。そう考えると何だかバカバカしい気がする。教師をわけもなく軽視してはいけないが、こんな若造に何が判るくらいの気持ちは常に持っていた方がよい。いかなる場合にも余裕を持って接することができるのではないか。

 例えばテレビのアナウンサー。女子アナはいうには及ばず、ベテランと思われるアナウンサーでも意外に自分と歳が変わらなかったりする。あるいはドラマに出ている役者、歌手、タレントもそうである。自分より若いそういう人々のなんと多いことか。政治家ですらそうだ。

 私が若い頃、若手アイドルだった人々が、ある者は今でも若いかのような顔で、あるものはすっかり大人になって、テレビに出ている。去年の朝ドラで酒井○リピーが母親役を演っているのを見て時の流れを感じた。かと思うと某巨乳アイドルが変わらぬ芸風で入浴剤のCMに出ていたりもする。

 友人たちもいろいろである。早くに結婚しすでに大学生の子どもがいるかと思えば、いまだ未婚で変わらぬ独身時代を続けている者もいる。後者はあるいは学生時代のまま時が止まっているであろうか。

 久し振りに会った人がすっかり老けていて驚くことがある。ちょっと見ないうちに老け込んでいると余計驚く。頭が禿げていたり真っ白になっていたり。すごい中年太りになっていたり、いつの間にか入院していたり。ある日ぽろりと死んでしまったり。自分と同世代である。

 自分と同じ年令の時、大家といわれる人たちがどんなに素晴らしい仕事をしていたか。不遜ながら自分と比較しながらそういう作品を味わうのが密かに好きである。当たり前の話だが、天才が自分よりいかに天才であるか、前よりわかるようになった。

 なぜかいつ行っても変わらぬ印象を受けるもの。スーパーで買い物をするオバサンたちは、いつ見てもオバサンである。なぜか自分より年下には見えない。何故?
 

茨木のり子氏逝去

2006-02-21 | 雑感
朝  のち 

 詩人の茨木のり子さんが逝去されました。次に紹介する詩は、何か叱られているようで(つまり思い当たる部分が多くて)また自虐的な気がして、決して好きなわけじゃないんだけど、なぜか心に訴えるものがありました。時にはこういうものもきちっと読んで、自分の心に喝を入れましょう。 合掌


   自分の感受性くらい

  ぱさぱさに乾いてゆく心を
  ひとのせいにはするな
  みずから水やりを怠っておいて

  気難しくなってきたのを
  友人のせいにはするな
  しなやかさを失ったのはどちらなのか

  苛立つのを
  近親のせいにはするな
  なにもかも下手だったのはわたくし

  初心消えかかるのを
  暮しのせいにはするな
  そもそもが ひよわな志にすぎなかった

  駄目なことの一切を
  時代のせいにはするな
  わずかに光る尊厳の放棄

  自分の感受性くらい
  自分で守れ
  ばかものよ

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 十方三世一切仏
   諸尊菩薩摩訶薩
   摩訶般若波羅蜜 

映画『アマデウス』の字幕

2006-02-20 | 芸術
時々

 今年はモーツァルト生誕250年で記念行事がいろいろあるようである。モーツァルトといえば、以前、映画『アマデウス』が大ヒットしたことがあった。モーツァルトとサリエリを描いたこの映画は、もともとはピーター・シェーファーという人の戯曲で、日本の舞台ではモーツァルト・江守徹(のちに市川染五郎)、サリエリ・松本幸四郎で上演したのを見に行った。映画版の台本もシェーファー自身が書いているようである。この映画は世界中で大ヒットしアカデミー賞も受賞した。私はこれをレンタルビデオ(実はこっそりコピーしました;ゴメン!)で見、今は無き?LDで所蔵し、そして最近DVDを購入した。(1500円という安さ!)

 これ開けてみたらDVDには珍しい?両面ディスクである。少なくとも私ははじめて見た。A面が終了したら1度出して盤をひっくり返す必要がある。まあいいんだけど。

 「アマデウス」とはラテン語の「Amor(愛)」と「Deus(神)」が合体した人名で、「神が愛した者」という意味で、モーツァルトのミドルネームである。それ自体は珍しい名前ではない。この名前が特別な意味を持つのは、サリエリがモーツァルトの才能に嫉妬し自分の凡庸さを思い知るのだが、それを「神のえこひいき」と捉えたからである。つまり才能は神が与えるものでモーツァルトにはそれが与えられサリエリには与えられなかった。自分に冷たい神に対しサリエリは復讐を企てる。それがこの作品のテーマである。

 舞台の方ではサリエリ対モーツァルトという感じで、神への復讐という印象はイマイチだった。映画の方がある意味説明的というか、神様ご贔屓のモーツァルトを殺害することで神に復讐するというテーマが(十字架を焼いたりする行為などで)より明確になっていたと思う。

 ところでこの日本語字幕は戸田○津子という大ベテランがやっていたと思うが、ひとつ重大な誤訳があった。サリエリの告白で「First I must get the death mass and then ... 」という部分を「まずデスマスクを手に入れ」と訳していた。このセリフはそれから「そして彼を殺すのだ」と続く。デスマスクではまるで意味が通じない。お分かりのように「death mass」を「デスマスク」と訳しているのである。戸田○津子ほどの人がなんということ。

 ヒアリングだけで訳したとしか思えないが、よほどキリスト教に無知なのか忙しくて調べるヒマが無かったのか。お分かりのようにこれは「死のミサ」すなわち「レクイエム」のことである。英語でミサのことをmassという。例えばクリスマスの「マス」がそれである。戸田○津子ほどの人が知らないわけないと思うのだが。マスクはないだろう。勝手にkの音を加えちゃいかんよ。

 ちなみに今回購入したDVDは「字幕翻訳…松浦美奈」となっていた。例の部分は「まず鎮魂曲を手に入れる」と訳してあった。これならOK!松浦さんも大ベテランの誤訳に気がついたに違いない。

近代日本仏教の驚き

2006-02-19 | 宗教
 風冷たく寒い。冬の抵抗続く。

 明治維新の際に維新政府によって出された「神仏判然令」が結果的に神仏分離・廃仏毀釈を招き、仏教界に大打撃を与えたことは周知の事実である。これにより棄却・焼却され、あるいは海外に流出した仏像仏具仏典の類は想像もできないくらいの量にのぼる。しかし明治以降の日本仏教界が受けた衝撃はこれに止まらなかった。どういうことか、ごく簡単に記す。

 廃仏毀釈のような混乱はあったものの、日本の仏教関係者は日本こそ世界で唯一といってよい大乗仏教の国だと自負していた。そこへ西洋の学問とともに西洋流の仏教学が入ってきた。その内容が彼らを驚愕させた。

 西洋の仏教学は、いわゆる「南伝仏教」のパーリ語大蔵経を中心とするもので、さらにサンスクリット原典による研究もあった。これらの言語はインド・ヨーロッパ語族であるヨーロッパの学者にとって、かなりストレートに理解が可能なものであった。

 一方、日本仏教は永らく漢訳経典を拠り所として敬って来た。しかしこれらは翻訳というフィルターの産物で、しかもサンスクリットやパーリなどのインドの言語と中国語は言語的にかなり隔たっている。学問的正確さという点において西洋流の仏教学の方が限りなくオリジナルに近い解釈をしているらしいことを知って日本の仏教界は大きな衝撃を受けたのであった。しかも日本仏教は長年の歴史の積み重ねにより、インドのオリジナルの姿とかなりかけ離れた内容に変貌していた。そこへ仏教と縁の無さそうな西洋から、より釈迦の真説に近いかもしれない仏教がもたらされたのである。まさに面目丸潰れといったところである。

 そこで日本仏教がとった道、というのが本稿のテーマにならなければいけないのだが、それは今後の研究課題として(コラ! )、一つだけ述べておく。それはチベット仏教の存在である。当時鎖国していたチベットの大蔵経に着目した僧がいた。それが河口慧海である。慧海は全体像がまだ世界に明らかでなかったチベット大蔵経を学ぶことにより日本仏教を盛り返そうという志を立てたのか(どうか実はよく知らないが )単身鎖国の禁を犯しチベット僧に成りすまし入国に成功する。足掛け17年にも及ぶ密入国により多くの経典類を請来した。かつての玄奘のようなことをしたわけである。その労苦は『チベット旅行記』にまとめられている。

 チベット大蔵経の意義についてはいずれ述べる。