今を去る40年近く昔、私が中3だったか高1だったか忘れたが、ある日父(亡きG3のこと)が、モーツァルトの「レクイエム」のレコードを買って帰ったきた。
「何でこんなに安いんだろうな」などと言いながら、父が得意そうに取り出したのは、カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ合唱団・管弦楽団ほかによる演奏だった。テレフンケンの廉価版で1300円だったと思う。父はカール・リヒターの名を知っていたようで、高名なリヒターによる演奏がこんなに廉価で出ていることに、いたく感激しているようだった。とてもお得な買い物をしたと思ってご満悦だったようである。
そこでさっそく聴き始めたのが、私がモーツァルトの「レクイエム」(通称「モツレク」)を聴いた最初である。私が、歌詞カードがついていないことを発見すると、父は一瞬(そうかそれで安いのか?)という顔をしながらも、「いや、歌詞はみんな同じだからいいんだ」と言った。カトリック信者である父は、ミサ曲の通常文は皆同じなことを知っていたし、レクイエム(死者ミサ)の歌詞ぐらい暗記しているさというわけである。そんなものかと思いながら、私は父と一緒に「モツレク」を聴いていた。
やがて、父は「ここでモーツァルトが力尽きたんだな」と言った。今思うと「ラクリモサ(涙の日)」の8小節目から9小節目に移るところ、モーツァルト自身の死により絶筆となった部分である。私はそういう故事来歴にも興味がないわけではなかったが、それよりも当時バッハにはまっていたこともあって、モーツァルトがバッハ顔負けの複雑な対位法の曲を書いていることに驚いたのであった。
特に「キリエ・エレイソン(主よ、あわれみたまえ)」と「クリステ・エレイソン(キリスト、あわれみたまえ)」が対になった二重フーガにえらく感心した。それでバッハの権威リヒターが演奏しているのかとさえ思った。続く「ディエス・イレ(怒りの日)」ではモーツァルトがこんな恐ろしい曲を書いたのかと驚き、「トゥーバ・ミルム(不思議なラッパ)」で聴きなれたモーツァルトが帰って来たと安心したのだった。
そんなわけで、私にとって「モツレク」は、父と一緒に初めて聴いた時の思い出と分かちがたく結びついている。「モツレク」というと、帰宅した父が嬉しそうにレコードを取り出す顔と、昔の家の居間の家具調のステレオで、父と一緒にリヒターのレコードを聴いていた風景が蘇ってくるのである。