新新☆もこほじゃほろみ日記

煩悩と私事のサイト

入院

2016-02-27 | 私事
MRIとPETの結果、とりあえず脳および周辺臓器への転移は無いと言われた。
これは本当にホッとした。
まずは死神さんは少し離れたようである。

しかしより一層はっきりしたことは、
右の胸膜全体に悪性細胞が散らばっているとのこと。
これは後で知ったが「胸膜播種」といい大変よろしくない状態である。

これも後で知ったことだが、
胸膜播種があり悪性胸水があるステージⅣの肺がんの場合
1年生存率(5年にあらず)は35%ぐらいだそうですな。
それが5年生存率となるとその10分の1くらいであると。
ま、あくまで統計上の話である。

さらに付け加えると、
その統計の基礎となるのは2004年あたりまでのデータで、最新とは言い難い。
早い話が、わが国で分子標的薬が認可されてからの数値は入っていないのではないか。
リアルタイムでどのくらいの確率になっているかは知るべくもないが
死神さんはそう遠くもない処におわすのかもしれない。

ただしその時は、そこまではっきり自分の状況を把握していたわけではなく、
ただ自分に「なるようになる」と言い聞かせるのが精いっぱいだった。
それとともに早く治療を始めたいと思った。

その夜、私は発熱した。
やはり精神的にまいったせいもあるのかもしれない。
深夜、タクシーで病院に乗り付け、そのまま一日早く入院することとなった。

さて

2016-02-14 | 私事
MRIとPETまでの一週間の心情はというと・・・

転移していたらやだなという恐れ。
ちょっと不調を感じると転移のせいではないかと思ったり。

一番悪い想像は、
もうあちこちに転移しまくっていて
どうしようもない状況であるとか。
肺がんは脳に飛びやすいとも言うし。

セカンドオピニオンを勧めてくれる人もいた。
私自身それを望んだが、いつどこに行けばよい?
一週間の間にできるのかいな?

従来型の抗がん剤は嫌だな。
苦しみながら死んでいった母親を思い出す。
でもそれは30年も前の話。
今はよほど医学も進歩しているはず。
父親の場合はまたいろいろ異なっていたがね。
でも両親とも大腸がんだった。肺がんではない。

そんなことを考えているうちに、
何となく呼吸が苦しく右胸に鈍い痛みが・・・
病は気から、とも言いきれない。
死への秒読みが始まったことだけは間違いない。
カウント終了はそう遠くない???

そう考える自分はとにかく今現在生きている。
あれこれ考えても結局はなるようにしかならない。
なるようになる。これは諦めでも悟りでもない。
厳然たる事実である。

一日一日をそんな感じで生き、
MRIとPET検査の日を迎えた。

生存率

2016-02-06 | 私事
まずは「途方に暮れた」というのが正直な気持ちだった。
要するに自分の病気が、完治という意味では「治らない」ことだけはわかった。
「がん」を体内に抱えたまま共存するしかないらしい。
ステージⅣの進行がんは、こうしている間にも全身に転移し、増殖しているかもしれないわけだ。

あとどれだけ生きられるのか。
余命については聞く気が起きなかった。

主治医は薬の耐性の話をした。

「イレッサという薬があります。とても良く効く薬ですが、やがて効かなくなります。
そうしたらタルセバという薬があります。
それも効かなくなったら、ジオトリフ(多分そう言った)という薬があります。
それも効かなくなると従来型の抗がん剤になります。」

私は両親をがん(大腸がん)で亡くしている。
私の中で抗がん剤は最後の手段だった。

思い切って尋ねてみた。
「それが寿命ということになりますか?」
「そう考えて下さって結構です」

もし「あとどれくらい生きられるでしょうか」という形で余命を訊いたら、主治医は答えただろうか。

その時聞かなくて幸いだったかもしれない。
あとで知ったが、
日本における肺がんの死亡率はがんの中で一位。
5年生存率は20%らしい。

主治医「幸いなことに、シフさんの遺伝子タイプはイレッサに有効です」

後で知ったが、EGFR遺伝子変異のことらしい。
とりあえずそれは良かったと思った。
ちなみに分子標的薬という名前を知ったのはだいぶ後のことである。

翌週の金曜日に、転移を診るための頭部MRIとPET-CTを受けることになった。
その後の月曜日からイレッサを飲みながら3週間の入院となる。

当面の予定はたった。