新新☆もこほじゃほろみ日記

煩悩と私事のサイト

歩く石仏

2007-05-18 | 宗教
爽やかに風が吹き渡る。

 私は子どもの頃から妙にお寺や神社が好きだった。何かあの一種怖いというか不思議な異界の雰囲気が好きだったのかもしれない。

 小学校4年生の時だったと思う。家から20分くらい歩いたところにけっこう古い寺があった(といっても開基は江戸時代)。わりと大きな寺で臨済宗円覚寺派に属していて(というのは後の知識)私の住んでいる地域では最も由緒ある寺院だと思う。お寺の南側には大きな墓地があった。墓地を散策するのもまたちょっと不気味な面白さがあった。墓地の一部に、使い古し?らしき石仏が集めてあった。墓地の区画整理でもしたのかもしれない。

 その時、何故か不思議な衝動に駆られた私は、その一つを抱えて持ち上げた。首をかしげ頬杖をついた姿は弥勒菩薩か如意輪観音だったと思う。石仏は思ったより重かった。20kgはあっただろうか。私はそれをよろよろと持って歩き、寺の正面入口横にあった「○○寺」という大きな石柱の裏側に置いたのである。全く何を考えているのだろう。何が面白いのか?今でも我ながら理解に苦しむ。しかしその時重たい石仏を抱えて歩いている時、ひょっとしたら石仏と一体になる快感みたいなものを感じていたかもしれない??考えれば考えるほどわけの分からない子どもである。

 その石仏はその後長くそのままになっていた。お寺もお寺である。気がつかなかったわけがないのに、ず~っと放っておいたのであろうか。実は中学生になってから、その石仏について、友人に「あれをあそこに置いたのはオレなんだ」と告白したことがある。そうしたら友人は「え~?あれはずうっとあそこにあったよ」と言ったものである。結局友人は私の言うことを最後まで信じなかった。あまりにも荒唐無稽な話だったからか(笑)。それにしても石柱の裏側に石仏のある必然性なんてないのだが。

 2~3年前にその寺に行き、石仏の様子を見たら、新しい仁王門の工事が始まっていて、石柱も石仏も姿を消していた。寺の歴史に一時代を刻んだあの石仏はどこに行ったのか。まさかまた変な子どもがどこかに動かしたわけでもあるまいが(苦笑)。以上私がいかに変な子どもだったか物語るエピソードでした。