新新☆もこほじゃほろみ日記

煩悩と私事のサイト

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あれやこれや

2013-11-30 | フラガール
わたすの好きな某ブログで拾ったもの。

ボジョレー・ヌーボーのキャッチコピー。

95年「ここ数年で一番出来が良い」
96年「10年に1度の逸品」
97年「1976年以来の品質」
98年「10年に1度の当たり年」
99年「品質は昨年より良い」
00年「出来は上々で申し分の無い仕上がり」
01年「ここ10年で最高」
02年「過去10年で最高と言われた01年を上回る出来栄え」「1995年以来の出来」
03年「100年に1度の出来」「近年にない良い出来」
04年「香りが強く中々の出来栄え」
05年「ここ数年で最高」
06年「昨年同様良い出来栄え」
07年「柔らかく果実味が豊かで上質な味わい」
08年「豊かな果実味と程よい酸味が調和した味」
09年 「過去50年でも素晴らしい出来」
10年 「1950年以降最高の出来といわれた2009年と同等の出来」
11年「近年の当たり年である2009年に匹敵する出来」


笑っちゃうね。
ボジョレーなんかが有名になったのはホイチョイプロダクションズの『見栄講座』からじゃないかな(と勝手に思っている)。
ちなみにわたすはワインは嫌いではないが全然「通」ではなく、
2千円以上のワインは我が家では高級ワインである(笑)。

で、口直し?にわたすの好きなフラガールの映像。
「クウレイオカピリアウモエ」
http://youtu.be/q23dFBiUPxg

「ラハイナルナ」
http://youtu.be/0V5sc9jld-U

どちらも現在の舞台ではやっていないんだな。
動画を見ると引退した人が何人も出ていて時の流れを感じる。
どちらもロゼラニさんが出ているのが嬉しい。

こんなのやってるのね。
光浦靖子がフラガールに?
http://bio.danone.co.jp/contents/mitsuhula/
マカレア麻衣さんのレッスンをもっと見たいな。
コメント (3)

その子

2013-11-29 | フラガール
この話はフィクションです。

+ + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +

 その子

その子はおとなしい女の子だった。
その子には人を和ませる優しい雰囲気があった。

私たちはフラガールのタマゴ。
第○期生として入学したばかりだ。
ダンサー志望の子たちが、一般に意志が強く、物事をはっきり言うタイプが多いのに対し、その子はいつも控え目で、めったに自分の意見を言わず、しかしやるべきことはちゃんとやるという、不言実行型の代表みたいな子だった。
厳しいレッスン、稽古場の掃除、寮の雑用、学院生の毎日をその子は黙々とこなしていた。
ふだんは目立たないけど、いざとなると頼りになるタイプ、
その子のメンバー内のイメージはそんな感じで定着していった。

私自身はその子とはタイプが異なったけど、
その子と私は不思議にウマが合った。
一緒にゴハンを食べたり、休憩時間を一緒にぼんやり過ごしたり、その程度だけど、その子といると自然に心が落ち着いた。
そればかりか、私たちは目で会話をすることができた。
目と目を見つめ合うだけで、お互いが考えていることがほぼ分かった。
交わす言葉は少なくても心を通わせることのできる、稀有な存在だった。

私たちの初舞台が近づいていた。
踊れる子、まだまだ人様にお見せするレベルとは言い難い子、
いろいろある中で、その子はまあまあ良い線いってたと思う。

が、その頃から、その子の様子がおかしいことに、私は気がついていた。
稽古の後、荒い息がなかなか静まらず、冷や汗をかいているようにも見えた。
でも、息が上がり気味の子は他にもいたし、稽古で汗をかくのはこれまたあたり前だった。
その子が平気そうにしていることもあり、
特別に体調が悪いようには見えなかった・・・

ある時、肩で息をしているその子に、私は訊いた。
「その子、大丈夫?」
「大丈夫。ちょっと息が切れただけ」
その子は、笑って答えた。
その表情を見る限り、まあ大丈夫なのかなと私も思ってしまった。
「初舞台、がんばろうね!」
その子はそう言ってにっこりと目で笑った。

私たち新人用の本番衣裳が届く前の晩。
お風呂から上がって、その子の部屋の前を通り過ぎようとした時、私はなぜかいやな予感がした。
「その子、いる?」
返事が無かった。
「その子?入るよ」
鍵はかかっていなかった。
そこで私が見たのは・・・
その子が鏡の前で倒れていた。
もともと色の白いその子だが、その肌の異常なまでの青白さが、事の重大さを示していた。
私は大声をあげて部屋から飛び出し、寮長さんの部屋に走った。
すぐに救急車が呼ばれ、その子は緊急入院することとなった。

その子の容体について説明があった。
病名を聞いてもよくわからなかったが、発見の難しい難病だということは辛うじて分かった。
かなりの確率で命にかかわるかもしれないということも。

数日後、私が稽古場で1人で休んでいると、すーっとその子が入ってきた。
「その子!」
その子は出来たての新しい衣裳を着ていた。
「その子?もう大丈夫なの?」
その子は笑ってうなずいた。
アイコンタクトで、一緒に踊ろうと言っていることがわかった。
私はその子の横に並び、舞台でのフォーメーション通りにスタンバイした。
音楽が流れ、私たちは踊り始めた。
その子は、にこにこと笑って踊った。
その表情は幸せそうに見えた。
そして、今まで見たどの時よりもその子の踊りは綺麗だった。
「その子、すごいじゃん!もうこれならバッチリだよ。今すぐ本番出られるレベルだよ!」
私が興奮して言うと、その子はちょっと照れたように笑った。
「みんなを呼んでくるよ!その子がもうこんなに元気になったって!」
その子は、ちょっと困ったように笑って、
「でも、時間だから」
「時間?」
「もう、私、行かなくちゃならないから」
「その子?行くって?まさか病院抜け出してきたの?」
その子は笑って首を横に振った。
「そうじゃないけど。でも、もう行かなくちゃ。今までありがとう。楽しかったよ。みんな大好きだよ。私のこと忘れないでね」
「その子!」
気がつくと私は稽古場でうづくまっていた。
(夢?)

それからまもなく、その子の訃報が知らされた。
亡くなったのは、ちょうど私が稽古場で休んでいた直後だった。
それがわかった時、私はどうしてもこらえきれず、先生やみんなの前であることを忘れ、号泣した。

その子はどんなに初舞台に立ちたかったことだろう。
どんなに新しい衣裳を着たかったことだろう。
どんなにみんなと一緒にフラガールとして踊りたかったことだろう。
私は、その子が最期に踊る相手に、私を選んでくれたことに感謝した。
たとえ夢のなかであろうと。

その子のことは一生忘れないよ。
私たちの心の中にはいつもその子がいるよ。
みんなと一緒に初舞台に立とうね。

時間だ。
さあいくよ!

(おわり)
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ちょっとね

2013-11-28 | 芸術
疲れ気味なので、これ。

チョー懐かしい、名曲。


高校時代が蘇る~(泣)

ヨッチンはわたすの分身である。むはは。
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お別れの会

2013-11-27 | 芸術
お葬式、のようなものに行ってきたのである。
http://www.kioi-hall.or.jp/20131127k1900.html

このHPには名前が出ていないが、「他有志」扱いの合唱団として出演してきた。
モーツァルトの「Ave verum corpus」を歌ったのだが、
追悼コンサートで歌う宗教曲はまた格別であった。
しかも歌詞の最後が「in mortis examine(死の試練)」だからね。
初めて実用の場でこの曲を歌ったぞ。

高名な指揮者の追悼であるから、有名音楽家もかなり来ていたようである。
私が確認できたのは、下野竜也さんだけだったけど。

そうそう、皇太子殿下からも献花が届けられ、
追悼のお言葉が司会者によって読み上げられた。
皇太子殿下が学生時代以来所属されていたオーケストラは、
この堤先生が創られ指導しておられたゆえであろう。

さて、堤俊作先生とは、何回か合唱の練習後にみんなで一緒に飲んだことがある。
とても付き合いの良い方だった。

あるとき、
「実はお経も好きなんだ」
みたいなことをおっしゃる先生に、私が、
「黛敏郎の『涅槃交響曲』を振られたことはありますか?」
とお訊きすると、
「あるよ!」
と即座に答えられ、私が、
「ブラボー!」
と拍手すると、
「『曼荼羅(交響曲)』も振った」
と得意そうに言われた。
なぜかそんなことを覚えている。

堤先生の指揮で『涅槃交響曲』を歌いたかったな。

 謹んで堤俊作先生のご冥福をお祈りいたします。 合掌

コメント

Credoについて

2013-11-26 | 宗教
ちょっと長いけど。(^_^;)

隠れ切支丹のシフです。
ここでは、ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」からひとまず離れて、「クレド」のテキストそのものを考えてみたいと思います。
初めにお断りしておきますが、私自身は(隠れ)クリスチャンではありますが、この文章の内容はできるだけ客観的に書いております。もし、敬虔なクリスチャンの方から見ると?な点があったら寛大にお許しいただきたく願います。

「クレド」とは「ニケア・コンスタンチノープル信条」ともいい、キリスト教会がイエス・キリストの神性・人性の問題、三位一体説などキリスト教の正統的信仰の教義を簡潔にまとめたものです。例えば「グローリア」がクリスマスの賛歌に起源を持ついわば文学的作品であるのに対し、「信仰宣言」ともいうように一種の声明文(マニュフェスト)です。

キリスト教会が重要事項を決めるために開く会議のことを「公会議」といいます。今から1700年ほど昔、ローマ帝国の時代、帝国でキリスト教が国教化される過程で、何回もの公会議が開かれました。「クレド(ニケア・コンスタンチノープル信条)」は、ニケア公会議(325年)で教義決定された内容を信条に盛り込み(ニケア信条)、第1コンスタンチノープル公会議(381年)によって僅かに補足され(ニケア・コンスタンチノープル信条)、カルケドン公会議(451年)にて満場一致で承認されたものです。

「クレド」の内容は、信者が信ずるべき神はどんな存在なのか、イエス・キリストは神なのか人なのか、父と子はどういう関係か、あるいは聖霊とはなにかなど、当時から教会内に存在した様々な考えや解釈を整理し、教義を統一し、信徒が神の教えを大事な点で間違えることがないように、簡潔にまとめたものです。したがって、「クレド」をよく読めば、キリスト教で正統とされる教義の根幹を理解することができると言っても過言ではありません。
ちなみに公会議で否定された教義は「異端」とされ、教会から破門されました。例えばニケア公会議で敗れたアリウス派は、破門され、当時ローマ帝国からは蛮族とみなされていたゲルマン人へ布教しています。また後に破門されたネストリウス派は中国(唐)まで布教し「景教」と呼ばれたことが知られています。

それでは、前置きが長くなりましたが、全文を読みながら意味を考えたいと思います。

まず「クレド」の文体の特徴は、主語が単数形の「私」であることです。ラテン語では動詞の語尾変化だけで主語を判断できるので、「ego(私)」は省略され「credo」だけで「私は信じる」という意味になります。

ミサ中に唱えられる他の祈り、例えば「グローリア」「アニュス・デイ」などは、「miserere nobis(我らをあわれみたまえ)」という言葉が出てくるように、信者は信者同志の共同体として神と向かい合っています。しかし、「クレド」は信者一人一人の宣言として「私は信じます」という形をとります。これは信仰というものが、神と人間の一対一の契約関係であることを意味します。そして各人が同時に信仰を宣言することで、その人たちがキリスト教的共同体のメンバーであることが明らかになるわけです。

さて、「クレド」全文を通して、「私」を主語とする動詞は、わずか3つしかありません。
1「Credo=(私は)信じる」
2「Confiteor=(私は)認める」
3「Expecto=(私は)待ち望む」

では1番目から見ていきましょう。言うまでもなく「クレド」大半を占めるのはこの部分です。
これを、さらにグループ分けしてみます。
第1のグループ(①とします)は「父なる神」
第2のグループ(②とします)は「イエス・キリスト」
第3のグループ(③とします)は「聖霊」
第4のグループ(④とします)は「教会」

①第1グループ「父なる神」
Credo in unum Deum, Patrem omnipotentem, factorem caeli et terrae, visibilium omnium, et invisibilium.
我は信ず、唯一の神、全能の父、天と地、みゆるもの、見えざるものすべての造り主を。

・唯一神(unum Deum)であること。→他の神と称するものは全て偽物。
・全能(omni-potentem)、すなわち、あらゆる(omni-)能力(potentem)を有する。
・創造主(factorem) 天(coeli)地(terrae)や、見えるもの(visibilium)見えないもの(in-visibilium:例えば空気とか?)あらゆるもの(omnium)を造った。
この3点が父なる神について信ずべき内容です。なお()内の文法事項(格変化・人称)は無視し、本文の形をそのまま載せます。
※覚えておくと良い言葉:
uni-, unum(唯一の)
omni-, omnium(全ての)
in-(あとに続く言葉を否定)

②第2グループ「イエス・キリスト」
ここは長いので、さらに部分に分けて見てみます。
まずは序ともいえる部分。
Et in unum Dominum Jesum Christum, Filium Dei unigenitum.
Et ex Patre natum ante omnia saecula.
Deum de Deo, lumen de lumine, Deum verum de Deo vero.
Genitum, non factum, consubstantialem Patri: per quem omnia facta sunt.
(我は信ず)、唯一の主、神の御ひとり子イエズス・キリストを。主は、よろず世の先に、父より生まれ、神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神。造られずして生まれ、父と一体なり、すべては主によりて造られたり。

ここでは、イエス・キリストについての基礎概念が語られます。
・イエス(カトリックではイエズスという場合が多い)・キリストもまた唯一の主(Dominum)であり、神の御ひとり(uni-genitum)子(Filium)である。
※「キリスト」は「救世主」を意味するヘブライ語「メシア」のギリシャ語訳。
・イエス・キリストは、天地創造以前にすでに父より(ex Patre)生まれていた。
・イエス・キリストは、神より(de)の神であり、光より(de)の光であり、まこと(vero)の神より(de)のまことの神である。
※exもdeも「~より」を意味する前置詞だが、exはどちらかというと方向性を示し、deは原因・理由を示すようです。またveroはAve verum corpusのverumと同じ言葉です。
・イエス・キリストは、造られたものではなく(non factum)、父なる神から生まれ(genitum)、父と本質が合わさっている(con-subustatialem)ものである。
※con-subustatialemはcon-とsustatialemに分解されますが、con-, com-, はいずれもcumと語源的に関係があり「~と共に」という意味を持ちます。substantialは英語のサブスタンス(本質)の語源で、con-と合わさることで「本質が合わさる」すなわち「同体である」の意味になります。
・イエス・キリストは、創造主である。(なぜなら父と同体であるので)
つまりここでは、イエス・キリストが神の子であり、父と同一の存在であることを宣言します。
※覚えておくと良い言葉:
ex ~より(方向性)
de ~より(原因・理由)
con-, com-, (cum) ~と一緒
genitum genero(産む、生ずる)から。ちなみに「天地創造(創世記)」のことを「genesis」という。類似の言葉にnatumがあるが、あくまでイメージだがこちらはnaturalの語源となっているように、より自然現象的な印象がある。

ここからしばらくイエス・キリストの「仕事」についての話になります。

まずは、降誕について。
Qui propter nos homines, et propter nostram salutem descendit de caelis.
Et incarnatus est de Spiritu Sancto ex Maria Virgine: Et homo factus est.
主はわれら人類のため、またわれらの救いのために天よりくだり、
聖霊によりて、おとめマリアより御からだを受け、人となり給えり。

・イエス・キリストは人類を救うために、天から(地上に)降った。
・イエスの母マリアは、処女懐胎した。
・神は人となった。
この3点が重要です。
クリスマスのことを、「降誕祭」というのはこのためです。
人が神として祀られる宗教はよくあります。
しかし、神が人となる、ここにキリスト教最大の神秘があります。
神が人類の救いのため、自ら身をやつし人間の仲間入りをする。
それほどまでに、神は人類を救おうとしてくださった、愛してくださった、というのが正統的な解釈です。
またここで初めて聖霊(Spiritu Sancto)が登場します。
聖霊も、父と子と同じく、唯一の神のペルソナ(パーソナリティ)の一つです。
聖霊については、またあとで述べることになります。
※覚えておくと良い言葉:
qui 関係代名詞。~であるところの。
nos 我々。nostrum, nobisもnosが格変化したもの。
in-carnatus in-とcarnatusから成る。この場合のinは否定語ではなく方向性を示す。carnatusは「肉」なので、incarnatus「肉体化する(受肉)」こと、さらに英語のbe動詞に相当するestがついて受動態であることがわかり、子種が宿る、つまり聖霊によって処女マリアが妊娠したことを意味する。
factus 成す。ここではやはりestとともに受動態で「成された」。結局、「(神が)肉体化」し「人間(homo)に成った」。

そして受難について。
Crucifixus etiam pro nobis: sub Pontio Pilato passus, et sepultus est.
ポンシオ・ピラトのもとにて、われらのために十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ給えり。

ここは読んでわかる通り、イエス様が十字架に磔になり苦しんで死んだことを述べています。
では「われらのため」とは。
イエス・キリストが降誕したのは、人類の「救い」のためでした。
受難によって救いの計画は完成します。
なぜかというと、イエス・キリストが、我々人類の冒したあらゆる罪を背負って、代わりに苦しんで死刑になってくれたからです。
十字架に直接釘で体を打ち付けて、死ぬまで放置するなんて、それ以上の残酷な殺し方があるでしょうか。逆に言えば、人類の犯した罪の大きさというのは、それほどまでの罰を受けるに値するわけですね。
神の「救い」とは、人類を罪の淵から救うこと、放っておけば人類は自らの罪のため自滅する、地獄に落なければならないのを、代わって神が神自身を罰することで、信ずる者をすくい上げることにありました。
神を信ずる者は、神様が自分の代わりに罪を背負ってくれたことを信じます。
したがって神の仲間に加えてもらうこと(具体的には「教会」)で、罪からの解放、神とともにある喜びにあずかれることになるわけです。
つまりここでは、イエス・キリストが、自分の罪を背負って、死刑になってくれたことを信ずると宣言するわけです。
※覚えておくと良い言葉:
etiam その上、さらに。「人となっただけではなく、さらに」という意味になります。
pro ~の前に、~のために、~の代わりに、~のように、などいろいろな意味を持つが、ここでは「~のために」。
sub 下へ、~頃に、~のもとへ、などの意味を持つが、つまり「下」ということ。英語でもsubway(地下鉄)、sub leader(サブリーダー)なんて言いますね。
ちなみに、ポンシオ・ピラト(ポンツィオ・ピラト)とは、十字架刑を許可したローマ帝国から派遣されていた執政官の名前です。当時イスラエルはローマ帝国の属領であり、死刑執行には帝国から派遣された執政官の許可を得る必要がありました。
またの機会にお話したいと思いますが、実は十字架刑はローマ帝国の反逆者(政治犯)に対して与えられる刑罰で、ユダヤの律法には十字架刑はありません。イエス様は、ユダヤの律法に基づいて大祭司たちから死刑の判決を言い渡されたのですが、結果的にはローマの刑法で処刑されたことになります。その辺りの大祭司たちとピラトのやりとり(ロジックのすり替え)は、聖書(福音書)の中でも最も面白い部分でもあります。


受難の次は、復活・昇天です。
Et resurrexit tertia die, secundum Scripturas.
Et ascendit in caelum: sedet ad dexteram Patris.
聖書にありしごとく、三日目によみがえり、天に昇りて父の右に座し給う。

聖書とは旧約聖書のこと。私は浅学ながらどの部分に書かれているのかよくわかりません(「ヨナ記」かな)。
復活は神の計画のクライマックス。一度死んだイエス様が、死を退け、永遠の命に入ったことを示します。よって、神を信ずる者は、キリストと同様、死から解放され、永遠の命に入ることができるのです。
ただし、現時点では永遠の命に入ることが約束されるところまでで、実際に永遠の命に入るのはもう少し後になるようです。その前に我々は「休息」と称する「仮の死」を迎えなければならないようです。
そして、地上での計画を全て完了したイエス・キリストは、本来の住まいである天上の父なる神の隣に戻って行きます(昇天)。
ここまでが、歴史的存在としてのキリストの生涯と「仕事」について述べた部分で、もちろんこれも「信じます」の中に入っているわけです。
※覚えておくと良い言葉:
re-surrexit 復活する。「繰り返し(再び)」を表す接頭語re-と「立ち上がる」を意味するsurgoが合体して「再び立ち上がる(復活する)」。英語でも「復活」をthe Resurrectionと言う。
die 日。英語のdayの語源。
secundum ~に沿って、~にしたがって、で「聖書にあるように」となる。
a-scendit 昇る。反意語はもちろんde-scenditです。
ad ~へ、~まで、そばに。(英語のatか?)
dexteram dexster右方。(sinister左)ちなみに右は「幸福」、左は「不吉」な意味があるそうです。

地上でのイエス・キリストの仕事は終わりましたが、実は未来にはこんなことが待っています。それは主の「再臨」です。
Et iterum ventrus est cum gloria, judicare vivos et mortuos: cujus regni non erit finis.
主は栄光のうちにふたたび来たり、生ける人と死せる人とを裁き給う。主の国は終わることなし。

・主は栄光のうちに再臨する。(終末)
・主は生ける人と死せる人を裁く。(最後の審判)
・そのあとで、永遠の神の国が到来する。(神の王国)
この3点がポイントです。つまりいつの日か(そう遠くない未来、と言っているうちに2千年が過ぎた)イエス・キリストは雲に乗って再びこの地上にやってきます。
それは、この世界に終止符を打ち、神の計画の最終段階であるところの永遠の王国をもたらすためです。
この過程で、「七つの封印の書」の封印が解かれ、あらゆる災いが起き、御使いにより七つのラッパが鳴らされ、キリストと反キリストとの最終戦争が起きます。その戦場がハルマゲドンです。そして神の勝利とともに、まず千年王国が実現し、しかる後に「最後の審判」があり、正しい者は神の国に、正しくない者は永遠に地獄に堕ちます。
それらのことは、新約聖書の預言書である「ヨハネの黙示録」に事細かに書かれています。
そして、「最後の審判」に際し、その時点で生きている者はもちろん、いったん「仮の死」で眠っていた者たちも復活します。これが第一の「死者のよみがえり」です。その上で、キリストの審判を受け、神の王国に入ることを許された者、これが第二の「よみがえり」になります。
たった1行のうちに、こんなに大変な内容が込められているわけですね。
イエス様に関する記述はこれでとりあえず終了します。
※覚えておくと良い言葉:
iterum 再び。itero(繰り返す)から。
venturus 来る。venio(来る)から。
judicare 裁く。英語のjudgeの語源。
vivos 生きるもの。vita(生命)から。英語でもvitamin(ビタミン)とかvitality(活力)とか言いますね。反意語のmoltuosはmors(死)から来ています。英語で否定の接頭語im-をつけてim-mortal(不滅の)などと言いますね。
regni 王国。regnum(王国、支配)から。ちなみに王はrex、女王はreginaですね。
erit est(be動詞のようなもの)の未来形。will be(であろう)。
finis 終わる。英語のfinishの語源。

③グループ「聖霊」
Et in Spiritum Sanctum, Dominum, et vivificantem : qui ex Patre Filioque procedit.
Qui cum Patre et Filio simul adoratur, et conglorificatur : qui locutus est per Prophetas.
(我は信ず)、主なる聖霊・生命の与え主を。聖霊は父と子よりいで、父と子と共に拝みあがめられ、また預言者によりて語り給えり。

マリア様に妊娠させた聖霊ですが、聖霊が生命の与え主であること、聖霊が父と子と同格であること、預言者を経由して(預言者に乗り移って)メッセージを伝えたことが書かれています。
実は聖霊の定義については、古代から論争の的になっており、Filioqueの-queをつけるつけないで大論争に発展した歴史があるそうです。今のカトリック教会ではつけることになっています。
※覚えておくと良い言葉:
vivi-ficantem vivi(生命)を与える、活気づけるということ。
pro-cedit 前進する。前に出る。現れる。
simul 一緒に。同時に。
adoratur 拝む。「グローリア」にadoramus teがある。
con-glorificatur con-(合わさる)とglorificatur(ほめたたえる)で、あがめる。
locutus loquor(話す、言う、告げる)から。
per ~を回って、~を経て、~によって
prophetas 預言者。

④グループ「教会」
Et unam sanctam catholicam et apostolicam Ecclesiam.
われは一・聖・公・使徒継承の教会を信じ、

カトリカムとあるように直接的にはカトリック教会を意味しますが、「カトリック」の本来の意味は「公」すなわち「普遍的」という意味です。これはイエス・キリストの教えが、遍く世界に広がっていくことを意味します。世界標準とでもいいましょうか。
その象徴として、カトリック教会では、1960年代に至るまで、世界中の教会でラテン語によるミサを行ってきました。全世界で同じ言語でミサを行うことにより、「普遍性」の証としたわけです。現在では、各国語によるミサが行われていますが、ラテン語のミサも未だに根強い人気があるのもまた事実です。
「使徒継承」とは、ローマカトリック教会が、キリストの一番弟子であるペトロを初代の教皇とし、そこから連綿と後継者を続けてきたことを意味します。つまり、ローマ教皇はペトロ(使徒)の後継者なのです。そして「神の代理人」である教皇を頂点にいただく、厳然たるヒエラルキーを持つカトリック教会に対する信仰宣言をここで行うわけです。
※覚えておくと良い言葉:
catholicam 普遍的。
apostolicam 使徒。キリストの弟子たちの中で特に選ばれた人たち。十二使徒。
Ecclesiam 教会。ギリシャ語で「人の集まり」を意味する「エクレシオ」が語源。

2.やっと二つ目の動詞である「confiteor(認める)」まで来ました。
Confiteor unum baptisma in remissionem peccatorum.
罪の許しのためなる唯一の洗礼を認め、

ここでいう「罪」とは、人類全てが生まれながらにして持っている「原罪」を意味します。人間は生まれながらにして罪を背負っているというのが、キリスト教の考えです。その根本は、アダムとエヴァの楽園での裏切りにまで遡ります。
で、「原罪」を浄めなければキリスト教徒になることはできません。その儀礼が「洗礼」で、やり方はちょろっと頭に水をかけるだけのもの(日本ではこれが主流)と、全身を水に浸すものがあります。キリスト教に入信する通過儀礼として必ず行われる洗礼の儀式、これを済ますと、信者の証として「洗礼名」が貰えます。ちなみに私も洗礼名を持っていますが、とりあえず秘密にしておきましょう(笑)。知りたい人は直接訊いてください(^_^)。
なお、イエス様自身も洗礼を受けており(原罪なんか無いはずなのに)、その時に洗礼を授けたのが洗礼者ヨハネ(バプテスマのヨハネ)という有名な聖人です。
※覚えておくと良い言葉:
baptisma 洗礼。おそらくギリシャ語語源。
re-missionem 送り返し、下げること、休養、緩和、容赦、免除、赦免。
peccatorum 罪。

3.最後の動詞「expecto(待ち望む)」です。
Et exspecto resurrectionem mortuorum.
Et vitam venturi saeculi. Amen.
死者のよみがえりと来世の生命とを待ち望む。アーメン。

「死者のよみがえり」とは、死に勝利して復活したキリストのように、キリストを信じて「仮に」死んだ者も、いつか死ぬであろう自分も、きっとキリストのように復活する(なぜならばミサで「キリストの体」をいただき、キリストと一体化しているから)ことになります。で、「待ち望む」その日とは、世界の終末、「最後の審判」になりますね。
そこで改めて神の国に入れられることを「第二の復活」といい、神の国で永遠の生命を得ることを意味します。これが「来世の生命」の意味です。
※覚えておくと良い言葉:
saecli 時代、統治期間、世紀。
amen そうでありますように。異議なし。「アレルヤ」や「オザンナ」とともに、元々ヘブライ語でキリスト教会に残った言葉の一つ。祈りの最後に皆で唱えて同意の意を表す。

まとめると、
1「Credo」の下に、
①「父なる神」 ②「イエス・キリスト(=子)」 ③「聖霊」 ④「教会」 があり、
※①②③「父と子と聖霊=三位一体」と④「教会」を信じる。
2「Confiteor」の下に「洗礼」があり、
※「原罪」を浄める。
3「Expecto」の下に「来世の生命」がある
※「終末」後に永遠の生命にあずかる。
という構造になっています。
これらを「私は」の主語のもとに信じることを宣言するのが「クレド(信仰宣言)」です。

テキストの意味は大体こんな感じですが、改めてベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」を見ると、部分部分で、かなり味付けの濃さが異なることがわかります。ベートーヴェンの歌詞の扱い方には、思い入れの強い部分と、それほどでもないらしい部分が存在します。それを知ることで、ベートーヴェン自身が、個人として信仰をどのように考えていたか、推察することが可能かもしれません。そこからベートーヴェンが「ミサ・ソレムニス」に込めた思いを知ることができるのではないかとも思いますが、その話はまたの機会にしたいと思います。

コメント

まさか

2013-11-25 | フラガール
いってみよう。

「みなさーん、アローハ!」
アローハ
「もう一度、アローハ!」
アローハァ
「元気ですね~。スパリゾートハワイアンズへようこそ!プールに温泉、そしてショー、お楽しみいただいてますか~?」
はーい
「ありがとうございます。それでは、本日のお客様、どちらからお越しになったか訊いてみたいと思います。元気よく手を挙げてくださいね。それではいきます。福島県内からお越しの方~」
はーい
「ありがとうございます。それでは県外からお越しの方~」
はーい
「はーい、たくさんいらっしゃいますね、ありがとうございます。それでは、ちなみに、一番前に座っている、落花生を鼻の穴に入れて飛ばしている方、今日はどちらからいらっしゃいました?」
(答えようとした途端にはずみで落花生が鼻の奥に入ってしまう)がふっ!げへっ!ぐはぁ~
「今日はどちらからいらっしゃいました?」
がほっ、ち、千葉県・・・(涙目)
「千葉県から!!遠くからありがとうございます。フラガールの元気な笑顔とパワーをぜひうけとってくださいね」

むう~(汗)、フラガール恐るべし?

※親切な解説:千葉県=落花生の連想から。
ちなみにWAHAHA本舗の梅垣義明は、越路吹雪の「ろくでなし」を歌いながら、
鼻の穴に詰めたピーナッツなどの豆類を飛ばすという荒芸?を披露している。
この千葉県からのお客は、梅ちゃんの真似をしようとして失敗したものと思われる。
良い子の千葉県民はそんなことしないよね。
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ちょっと

2013-11-24 | 雑感
わたすにしては長い原稿を書いていたら日付が変わってしまった。
もうヘロヘロよ。なんちゃって(笑)。

二連休もあっという間に終わってしまい、
明日からまた仕事である。
そろそろ怒涛の忘年会シーズンも近づいており、
体調管理(体重管理)に気をつけねばならない。

明日あたり「長い原稿」をここにUPしようかな。
あ、今回は大変固い話ですので、読んで驚かないように(まさかね)。
11/16の記事みたいな話ですよ(笑)。
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あれこれ

2013-11-23 | 雑感
村上佳菜子ちゃん、大変な不運もあったようで、モスクワ杯は残念な結果に。
GPファイナルは福岡開催なのに、日本人選手は女子シングルは浅田真央だけという。
願わくは、ここで悪運を使い果たして、ソチではいい結果が出ますように。

マンガ2冊

「聖☆おにいさん9」中村光
相変わらずコアなギャグがいい感じ(笑)。
聖書や経典をあそこまで読みこなすとは・・・まさに脱帽。
最初の桃太郎の話は可笑しくて電車の中では読めなかった。

「失踪日記2アル中病棟」吾妻ひでお
話題となった「失踪日記」の続編。なんと8年もかけて書き溜めたことになる。
人間の弱さ、自分勝手さ、哀れさ、可笑しさなどいろいろなものが見えてくる。
人は何のために生きるのだろう・・・。

で、唐突だが素敵な動画を見つけたので口直し?に。

カピリナ→カレフアウラ→カピリナ
アリアナ・セイユさん、綺麗だな~。最後に寝技を入れるんだね。

カレフアウラといえば、
「MAHALO」で、虹の女王が退場したあと、左の暗がりから登場する赤衣裳のマルヒアさんが好きだったな~
(動画でしか観てないけど~笑)
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大理石

2013-11-22 | フラガール
さらに、想像してみました。

「みなさーん、アローハ!」
アローハ
「もう一度、アローハ!」
アローハァ
「元気ですね~。スパリゾートハワイアンズへようこそ!プールに温泉、そしてショー、お楽しみいただいてますか~?」
はーい
「ありがとうございます。それでは、本日のお客様、どちらからお越しになったか訊いてみたいと思います。元気よく手を挙げてくださいね。それではいきます。福島県内からお越しの方~」
はーい
「ありがとうございます。それでは県外からお越しの方~」
はーい
「はーい、たくさんいらっしゃいますね、ありがとうございます。それでは、ちなみに、一番前に座っている大理石を彫っておられる方、今日はどちらからいらっしゃいました?」
Ελληνική Δημοκρατία!
「ギリシャから!!遠くからありがとうございます。フラガールの元気な笑顔とパワーをぜひうけとってくださいね」

な、なんでわかるんだ?
フラガール恐るべし??(@_@;)

おーい、大理石の粉飛ばすなよ。

※親切な註:Ελληνική Δημοκρατίαとは「ギリシャ共和国」のギリシャ語表記。「エリニキ・ジモクラティア」と発音するようである。
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またぞろ

2013-11-21 | フラガール
またしても想像してみました。

「みなさーん、アローハ!」
アローハ
「もう一度、アローハ!」
アローハァ
「元気ですね~。スパリゾートハワイアンズへようこそ!プールに温泉、そしてショー、お楽しみいただいてますか~?」
はーい
「ありがとうございます。それでは、本日のお客様、どちらからお越しになったか訊いてみたいと思います。元気よく手を挙げてくださいね。それではいきます。福島県内からお越しの方~」
はーい
「ありがとうございます。それでは県外からお越しの方~」
はーい
「はーい、たくさんいらっしゃいますね、ありがとうございます。それでは、ちなみに、一番前に座っているウォッカを飲んでいられる方、今日はどちらからいらっしゃいました?」
Владивосток!
「Владивостокから!!遠くからありがとうございます。フラガールの元気な笑顔とパワーをぜひうけとってくださいね」

ひぇー、この子はロシア語ができるんかい!
いや、いるかもしれない?

※親切な註:Владивостокとはロシア沿海地方の都市ウラジオストクのこと。
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