新新☆もこほじゃほろみ日記

煩悩と私事のサイト

インドの話 2

2008-09-30 | 雑感
その人たちを乗せた車が休憩で止まっていると、幼い少女が近づいてきた。

見ると手にはペットボトルを持っている。その中には水が入っている。
ボトルは新品ではない。水も薄茶色く濁っている。
拾ったペットボトルに自分で水を汲んでのであろう。

彼女はそれをその人に差し出した。
それを売ろうとしているのだと気がついた。

そんなものを買う人がいるのだろうか。
中には同情して買ってくれる人もいたのだろう。

それゆえ、彼女は金持ちそうな外国人とみると、自分で汲んだペットボトルの水を持ってくるのだろう。
一日中(あるいは何日も?)ペットボトルの水を買ってくれる人を待っているのだろう。
それが売れなければ、きっと女の子はお腹を空かせたまま寝るのだろう。
ひょっとしたら何日も何も食べていないのかもしれない。常に死と隣り合わせの生活。

本当に貧しいってこういうことなんだ、とショックを受けながらもその人は水を買わなかった。

あの時、自分は水を買うべきだったのだろうか。
その人は今でも自問するのだという。

一つだけ確かなことは、そんなの飲んだら腹下すにきまってる!!

インドの話

2008-09-29 | 雑感
先日、仕事でインドやネパールによく行く人(印度さん~仮名 以下「イ」と略)から、興味深い話を聞いた。

シ「インドの家にはトイレが無いって聞いたことがあるんですが・・・」
イ「ありませんよ」
シ「ではウ○コする時はどうするんでしょうか?」
イ「河原でするんです」
シ「はあ、野○ソですか?」
イ「朝みんな一斉に河原に行って済ますんです。朝の習慣ですね」
シ「男女一緒ですか?」
イ「いや、男女で行く時間はずらしてますね」
シ「少し安心しました(^^;)。でも河原がウ○コだらけになりませんか?」
イ「ウ○コを片付ける職業があるんです。それはアンタッチャブルの仕事なんですよ」
シ「アンタッチャブル?」
イ「不可触賎民。カースト最下位の人たちです」
(残念なことに清掃料を誰が払うのかは訊き洩らした)
イ「彼らの仕事は極端に細分化されていて、例えばウ○コ掃除の人は一生ウ○コ掃除だけをし続けるんです。庭木に水を遣るだけの仕事なんてのもあります。金持ちは何人も人を雇って、雇われた人は一つの仕事しかしないわけです」
シ「へぇ~っ!」
恐るべし、カースト制度!

シ「ところで、ウ○コの時、紙はどうするんですか?」
イ「紙は高級品だから使わないんです」
シ「えっ?じゃあ・・・」
イ「ウ○コのときは水を持っていくんですね。その水を手につけてお尻を洗うんです」
シ「素手ですか?」
イ「はい。そしてそれは必ず左手でします。右手は絶対に使いません」
シ「左利きの人は?」
イ「関係ありません。必ず左手です」
シ「はあ」
イ「だからインドの人は食事の時は右手だけを使い、左手は絶対使いません」
シ「インドでは直接手づかみで食べますもんね~」
イ「左手は汚い穢れた手なんですね。握手をするのも右手だけです。左手で人に触ったら大変です」
シ「すごい侮辱になるわけですね」
イ「たぶんね。まあやったことはありませんがね(笑)。だから水の入った入れ物を持って河原に向かう人がいたら、やたらに近寄らない方がいいですね(笑)」

それを聞いて、私は別のある人から聞いたこれもインドの話を思い出した。(続く)

同じ場所だが

2008-09-28 | 雑感
唐突ではありますが、地名には同じ場所だが書き方や言い方が複数ある場合がある。

まず表記が異なる場合。

・高原リゾート地で有名な蓼科「たてしな」。これは山の北側では立科となる。

・九州最高峰の久住「くじゅう」山。九重とする表記も。

・同じく九州の有名温泉地、由布院「ゆふいん」は湯布院とも。

・茨城県を古来より常陸「ひたち」というが、日立グループの「日立」は江戸時代に徳川光圀が現在の日立市周辺に「日立」の文字を当てたのが起源。

・わが生まれ故郷である福島県いわき市は、「岩城」「磐城」「石城」の表記があったため、合併に際しひらがなの「いわき」で統一した。

・細かい話だが、神戸市の三宮「さんのみや」駅は、阪急は「三宮」でJRは「三ノ宮」。

ここからは呼び方が異なる場合。

・宮城・岩手・秋田の3県にまたがる栗駒「くりこま」山は、宮城・岩手では栗駒山、秋田県では須川「すかわ」岳と呼ばれる。

・北アルプスの白馬岳は「はくば」と読む人が多い(JR駅名が「はくば」村名も同様)が、本来は「しろうま」。何となれば「代掻き馬→代馬」の雪形(残雪の形)がルーツだから。しかもその雪形は地肌が出て馬の形になるから黒いそうである。地域によっては「大蓮華」の名も。私はこの方が好きだ。

・北アルプス穂高岳は「ほだか」と読む人も多いが正しくは「ほたか」。ローマ字でもはっきり「Hotaka」と書いてある。

・茨城県「いばらき」(濁点なし)、大阪府茨木市「いばらぎ」(濁点あり)。茨城の人にうっかり「いばらぎ」と言うと必ず「い・ば・ら・き!」と訂正される。

・世界最高峰エベレストは、ヒマラヤ山脈を測量した時にインド測量局長官だったイギリス人のジョージ・エベレスト(George Everest)にちなむ。チベット名はご存知「チョモランマ」でチベット語で「大地の母」の意味。ネパール名の「サガルマタ」はサンスクリット語で「世界の頂上」の意味である。

今夜はこれくらいに。

充実の1冊

2008-09-27 | 雑感
先日『ウ○コに学べ!』の話をしたが、ようやく期待を上回る充実感を持って読み終えた。
環境問題を考える上で必須といってよい名著だと思う。

しかしそんなに構えて読まなくてもよい。ウ○コに関する多彩なトリビアに満ち満ちたこの本は、少しでもウ○コに興味がある人の良き友となって、フレッシュな話題や考え方のヒントを提供してくれることだろう。

今夜は諸事情で遅くなってしまったので、ちょっとした発見(私にとって)を報告するにとどめる。

以前『今昔物語』の「平貞文」通称「平中」の話をこのブログでとり上げたことを記憶されているだろうか。平安時代のプレイボーイ平中が利発な美女に一杯(ウ○コを?)食わされる話である。

この話は古来人々の愛するところだったようで、近代に至っても谷崎潤一郎と芥川龍之介という二人の文豪が小説化しているそうな。浅学にして知りませんでした。

谷崎は『少将滋幹の母』において、芥川は『好色』において、それぞれ平中の話を書いている。特に芥川龍之介のものは、『鼻』『羅生門』『藪の中』といった今昔物語を題材にした一連の作品の一つである。青空文庫で読めるので興味のある人はどうぞ。『少将滋幹の母』は青空文庫にはないので、別途入手して読もうと思う。

エコ本を読んでいてこんな情報が入ろうとは思わなんだ。これだけとっても『ウ○コに学べ!』が只者ではないことが知れようというものだ。

ガ~~ン!!!!

2008-09-26 | 雑感
世間で評判のGoogle Earthを
おいらのパソコンでも見たいぞと思ひ、
さっそくDLしinstallしたが動かず、
DirectXもDLしたが動かず、
OpenGLに切り替えても動かず、
散々苦労したがどうしても動かず・・・
あちこちのヘルプを探した末に、
見つけたのがこれだ!!!

4年以上前のデスクトップ コンピュータ及び2年以上前のノートブック コンピュータでは、実行できない可能性があります。

おいらのマシンは2002年のものだいっ!もう6年も経ってるじゃないの。こんなソフト削除してやるっ!!徒歩歩歩・・・

とりとめのない

2008-09-25 | 雑感
秋の夜長に聴く曲は、
ミケランジェリのドビュッシー
リヒテルの平均率
ヴァルヒャの「ドイツ・オルガンミサ」
鍵盤楽器ばかりだな

お経もしみじみとしていいもんだ
我昔所造諸悪業 がしゃくしょぞうしょあくごう
皆由無始貪瞋痴 かいゆむしとんじんち
従身語意之所生 じゅうしんごいししょうしょう
一切我今皆懺悔 いっさいがこんかいさんげ

西洋お経のミサ曲も
主よ憐れみたまえ
我らの罪を赦したまえ
我らに平安を与えたまえ とな

酔うた耳に聴くそれらの心地よさ
夜更けとともに風は冷たく窓から入る

無礼な投稿

2008-09-24 | 雑感
昨日、武田邦彦著『偽善エコロジー』(幻冬社新書081)についての記事を書いたら、さっそく未知の読者からコメントがあった。新しい読者からのコメントは大歓迎だが、このブログの風趣を理解せず、場違いな下品極まりない書き方によるものは、本来見つけ次第削除することとしている。コメント主はこの品の無い書き方について大いに反省していただきたい。

ただし今回に限り、リンク先の内容には興味深いものもあるので、逆に本記事として採用する。特に東北大学HPの「地球温暖化問題懐疑論反論コメントver2.4」は非常に読み応えがあり楽しめる。

私に言わせれば、この品の無いコメント主も、自分の信じたい情報を信じているに過ぎない。それが悪いとは言わないが、これらを読んだだけではまだ武田センセイへの一票を取り下げる気にはなれませんな。

もし私に意見したければ、もっときちんとした大人の態度で述べていただきたい。それからコメントそのものは削除する。ただし全文無修正で引用しているので、むしろ目立つことになるわけで、コメント主としても喜ぶべきことであろう。

以下そのまま引用。

Unknown (お前が騙されてんだよ)

2008-09-24 10:47:21

http://www.petbottle-rec.gr.jp/syoseki/index.html
http://homepage2.nifty.com/koshi-net/other/kaihou/73-2.htm
http://www.cir.tohoku.ac.jp/~asuka/
http://www.rakkousha.co.jp/books/ka_02.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E9%82%A6%E5%BD%A6

もう何から何までウソ
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1416150624
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3015591.html

引用終わり。

武田センセイの誤謬を突くのが目的なのか、環境問題そのものについて考えたいのかはっきりした方がよい。前者であるならば勝手にしろ。後者であるなら武田センセイの『偽善エコロジー』はとても示唆に富んだ面白い本だと思う。なおこのブログの以前からの読者で、私のものの考え方を理解している人であるならば、武田センセイへの私の視点とういか立場を理解できるだろう。楽しく本の読めないやつは去れ!

偽善エコロジー

2008-09-23 | 雑感
『ウ○コに学べ!』に次ぐ異色の?エコ本第2弾(実はこちらを先に読んだ)『偽善エコロジー』武田邦彦著(幻冬社新書081)。タイトルがなんだかな~(おいらは「偽善」とか「欺瞞」とか「ナンセンス」とかなるべく使いたくない)だが内容はとても面白い。

なにしろこの本によると、「レジ袋を使わない→ただのエゴ」とか「温暖化はCO2削減で防げる→防げない」とか「ゴミの分別→意味なし」などと強烈なことが書かれている。現在エコロジーの常識とされていることがほとんど否定されているのですな(笑)。武田センセイはそれらにひとつひとつきちんと納得の行く説明をしている。

ではなんでそんな出鱈目がまかり通っているのか。センセイはその理由も教えてくれる。興味のある方は是非お読みください。

この本は2008年5月に出たばかり。本文でとり上げられているように、これまでのエコロジーの常識のいくつかは、近年の技術革新のおかげでかつてできなかったことが可能になり、意味を成さなくなったものもある。しかしそれ以前にそもそも重大な問題があることをセンセイは指摘する。それはタイトルにある通り「偽善」。意図的な感情論、お役所の硬直性およびウソと利権にまみれたエコロジー運動のいかがわしさが見えてくるのである。

この本で述べられていることを論破するのは相当難しい。それはセンセイの姿勢が科学技術の深い知識に立脚し、客観的なデータに裏付けられているからである。ムードや印象操作に弱い人こそ、こういう本を読んでショックを受けるとよろしいかと(笑)。ショッキングな内容ゆえ、抵抗や反発を覚えるかもしれない。信じようと信じまいと読者の自由である。しかし人は自分の信じたい情報を信じるものである。よって私は武田センセイに一票投ずることとする。

たまたま2夜連続でエコ本の話題となった。こういうのもたまにはいいでしょう。

ウ○コに学べ!

2008-09-22 | 雑感
新聞で書評を読んでからずっと気になっていた本をやっぱり買ってしまった。

題して『ウ○コに学べ!』(○の中に好きな文字を1つ入れてください)有田正光・石村多門共著、ちくま新書316。大変インパクトのあるタイトルだが、今年の夏、愚息の夏休みの宿題の関係で「ふれあい下水道館」にも行ったし、constipationにもなったし、私自身なんとなくウ○コブームになっていたのである。はい嘘です。でもこの本は真面目にエコを考える上で非常に重要なテーマを扱っているのである。

まあここでは目次を紹介するにとどめよう。興味のある人は読んでみて下さい。

第1章 あなたのウ○コはどこに行くのか
 1 海に捨てられるウ○コ
 2 カウボーイも英国紳士も海まで運ばず川に捨てた
 3 下水処理の手品の真相
第2章 水田-土と水とウ○コのパラード
 1 ペリーが驚いた世界一清潔な国
 2 生きるとはウ○コを食べることである
第3章 ウ○コの黄金時代と○まみれの経済
 1 日本のウ○コの大河ドラマ
 2 ウ○コ処理と財政問題
第4章 ウ○コをしない自立とする連帯
 1 エコノミーからエコロジーへ
 2 陰翳礼賛
 3 ウ○コをひらない身体
 4 学校でウ○コができない子どもたち
第5章 ウ○コに学ぶ環境倫理
 1 みんなのおかげでウ○コができる
 2 ウ○コとは死ぬことと見つけたり
 3 ウ○コに親しむ環境教育

目次を見ているだけで、なんとも心躍る内容ではないか。

実はこの本の初出は2001年と、エコエコと世の中がうるさく言われ出した頃のものである。この本がどれくらい私を満足させ楽しませるか、大いに期待と先入観を持って読みたいと思ふ。

神戸雑記 2

2008-09-21 | 雑感
19日朝、1時間の余裕を使って神戸市北野町散策。

まずカトリック神戸中央教会へ。実はここは昔中山手教会といって双搭を持つゴシック様式の美しい教会堂だった。

十数年前に新婚旅行のついでに寄った思い出深い建物だったが、震災で壊れてしまい、現在は新しい様式の建物が建っている。おいらは古い方が好きだったな。

次いで回教寺院へ。すぐ隣のマンションの階段がミナレット(イスラム教寺院特有の搭)と並んでしまい見た目はトホホだが、建物自体は趣があってよろしい。これは日本で最初の回教寺院だそうですな。

トアロードを上り、右に折れて異人館通り入る。いくつか古い建物はあるが、異人館通りと呼ぶのは大げさかもしれない??途中で左に入るとユダヤ教会。建物自体はどうてっことないが、イスラム教、ユダヤ教と国際色豊かでさすが港町神戸である。

そこから風見鶏の館を目指したのだが、道が細くて解りにくい。とはいえ、神戸のこのあたりは、至る所に地図のついたプレートがあるので大体の場所はわかる。

やみくもに登っているうちに、うろこの家を見下ろす展望台に出てしまった。ずゐぶん上まで来てしまった。道理で急だと思った。しかし神戸市街や港を見下ろす眺めは素晴らしい。カメラを持って来ればよかったと思った。

道を引き返し改めて風見鶏の館やうろこの家周辺を歩く。山のけっこう急な斜面に瀟洒な洋館が点在する景色は神戸ならではのものだろう。いや函館がちょっと近いか?小樽はどうだ??でも神戸が一番洗練されてお洒落だね(笑)。

半分駆け足の散歩を終えて、ホテルで荷物を受け取り会場に。もう朝から汗びっしょりである。冷房の効いた会場にいるうちにしだいに汗が引いた。

昨夜よく眠ったせいか、分科会は寝ないで聴くことができた。仕事の話は省略するが(笑)、二日目の会場の神戸学院大学はポートアイランドにあり、港と六甲山を背負った神戸の街の眺めが大変素晴らしかった。

緑濃い六甲山を背に麓から海まで細長く続く神戸の街。とてもここが14年前に地震で壊滅したとは信じられない美しい景色であった。特に夕日を浴びて谷に深く影を落とした山の姿は立体的で思わず息を呑んだ。

大会が終わり、そそくさと家路に着いたが、神戸にはまた是非来たいと思う。次は家族で来たいなあ。

おまけ
神戸は美人が多いというのが街を歩いた感想であった。ただし「美人」というより「別嬪さん」と言う方がなんとなく神戸らしいような気がする???

街並みはすっかり再生していて震災の名残は全然見られないが、大会中現地の人の口にはしきりに「14年前」が出た。よくぞ頑張ってここまで再興したものだと思う。どんな苦労があったかと思うと言葉も無い。

(おしまい)