新新☆もこほじゃほろみ日記

煩悩と私事のサイト

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久方の

2009-05-31 | 芸術
偽インフルエンザ?騒動もさめやらぬ日曜日、
バッハの『ヨハネ受難曲』を聴きにいったのである。

え?仕事だったんじゃないの?って・・・
そういうことは大きい声で言うもんじゃない(シーッ!)

とりあえず仕事に行って途中で抜けたのさ。
なんとかショーを観に行くときと同じ手法?なのだが、これは道義上乱用できないのである。

さて、それは14時都内某所で始まった。
曲に関する詳しい説明は省くが、私の友人が歌いながら指揮をしたのである。まるでペーター・シュライヤーのような男である。
細かい感想は(またしても)省くが、神に捧げるにふさわしい折り目正しい謹厳実直な演奏であった。

実はその男を含め、私は大学時代に合唱団に属し、『ヨハネ受難曲』を歌った。
その時歌った仲間たちも大勢聴きに来ており、演奏会後当然のように飲み会となった。
隠れ?病み上がりである私も、仕事を抜けてきた私も、当然のようにそれに参加したのであった。

数十年ぶりに聞く名前が出てきたりして楽しかったです。

家に帰ったらどっと疲れが出てすぐ寝た。

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新型インフルエンザ?

2009-05-30 | 雑感
なんだか2日ほど前から、何となく違和感を感じていたのである。
飲み過ぎのせいだろうと気にせず、昨日出勤したものの、どうも体が重い。
腹がゆるい。腕がだるい。筋肉痛がする。
昼にうどんを食べたがいつものように美味しく感じない。

食後に休んでいると、頭がさらに痛くなり、起きているのがやっとになってきた。
その時点で早退を考えたのであるが、3時に人と会う約束があったので、それまではなんとか我慢することとする。

ところがその人3時になっても現れない。
4時近くまで待ったが、現れる気配がないので、室員に、
「悪いけど今日は帰る。○○さんが来たら、体調が悪いから帰った、月曜日に電話しますって言っておいて。明日もたぶん休みます」
と言い残し、帰途に着く。

帰りの電車は幸いにして座れた。
夢うつつのうちに家まで辿り着く。
駅から自宅までの徒歩5分ほどがすごく長く感じたのである。

「あれっ?どうしたの?」
と大臣(妻ともいう)がグレイスちゃん(ぬいぐるみの名前)を抱いて出迎える。
事情を話し30分ほど横になる。

起きて熱を測ったら38度ほどあった。
「それじゃ医者に行ってくる」
「新型インフルエンザだったらどうしよう」
「咳とか咽喉の痛みはないのでたぶん違うと思うけど。もし新型だったらオレは隔離されて大学は休講だろうね」
「そうなったら大変だね」
「でも、もし本当に新型だったら隠しておくわけにもいかないし、やっぱりはっきりさせた方がいいだろう」

そんなわけで、よろめきながら近所の医者に行く。
受付の女性は、色白で頭のよさそうな美人である。もしかしたら近所にある某女子大の学生アルバイトかもしれない。

診察券を出しながら、
「熱があるんですけど」
「はい、何度ぐらいですか?」
「38度」
すると困ったように、
「あのー、38度以上の熱のある方は、保健所で外来診療の許可をとってから来ていただきたいんですが」
「はあ?」
「電話番号をお教えしますので、ご本人からそちらにかけていただけますか?」
「え、でも今ケータイ持っていないし・・・」(これは本当)
受付嬢、さらに困ったように、
「それでは、ご自宅からかけていただきたいんですけど」
「えー、今から自宅往復するのは辛いですよー」(これも本当)

結局私は保健所に電話をすることができた。その方法は秘密とするが、受付嬢はとても親切だったと言っておこう。私は色が白くて頭のいい人が好きだ。

電話では、現在の症状の概要とともに、
「最近海外渡航歴はあるか」
「最近関西方面にいったか」
なんてことを聞かれた。もちろん答えは「ノー」である。
最終的に、
「では、お近くの医療機関で診察を受けてください」
というお言葉をいただいた。

こうしてめでたく診察を受けることができたのである。
医者(顔見知り、T先生にあらず)は、
最初に、「保健所の許可は得ていますね?」
と確認した。さすが、形式的とはいえ徹底している。

一通り診察をして、
「インフルエンザの検査をしますか?」
医者、顔がにやけているぞ。
「そ、そうですねー、もしクロと診断されたら大騒ぎになりますね」
医者、笑いながら、
「人と多く接触するお仕事でしょう?調べておいたほうがいいですね」
というわけで調べることになった。

検査方法はというと、長い綿棒のようなものを鼻の穴につっこんで(結構深い)数秒して抜いて、あとは30分近く待たされる。
この待ち時間がいやに長く感じた。
医者が誰かと電話連絡をしているのが聞こえ、少しドキドキしたぞ。

やがて、「お待たせしました」と医者。

「検査の結果、大丈夫、インフルエンザではありませんでした」
「ああ~、良かったー!」
思わず胸をなでおろす。
「実はこのあたりでもA型患者は発生しているのですが、新型と診断された人はまだないです」
「そうなんですか」
「抗生剤と解熱剤を処方しておきましょう。お大事に」
「ありがとうございました」
こうしてホッとして、受付のお姉さんにも丁重に礼を述べて帰ってきたのだった。

家に帰り、大臣に報告し、職場にも改めて連絡。
「さっき医者に行って、そしたら○大関係者にもついに新型インフルエンザが・・・」
「発生しなかったんですね(笑)」
「そういうこと(笑)」
ホッとして冗談を言う余裕も出てきたのである。

それから大臣の作ってくれたお粥を食べて、早々と寝たのであった。
今朝は寝過ぎて背中が痛かったぞ。
一日NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリー)聴いて過ごしたのだった。
お腹はまだ少しゆるいけど、熱も下がり明日は日曜出勤である。あ~あ、また仕事だ。

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実は 2

2009-05-30 | 雑感
昨日職場で体調が悪くなり早退したのである。
帰宅して熱を測ったら38度あった。

もし私が新型インフルエンザだったら大学は休講、悪くすると1週間閉鎖の恐れもある。
我が家の周りにもマスコミが集り、TVや新聞で大々的に報じられることであろう。
そうなったらえらいことである。私は医者に行くべきかどうか迷った。

結局、やはり真実を明らかにすべきだろうと、近所の医者に行ったのだが、そこで私を待ちうけていた運命は・・・・

事の顛末は今夜書けたら書くこととしよう。

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法句経より 2

2009-05-28 | 宗教
昨日の疲れ(笑)か、いまいち力が出ないので、こんなときはお経を読もう。
今夜も「ダンマパダ」より。

深い湖が、澄んで、清らかであるように、賢者は真理を聞いて、こころ清らかである。

バッハの音楽を聴いていてこんな気分になったことがある。


怠りなまけて、気力もなく百年生きるよりは、堅固につとめ励んで一日生きるほうがすぐれている。

ひぇ~!お釈迦様、許してくだせぇ~


牛飼いが棒をもって牛どもを牧場に駆り立てるように、老いと死とは生きとし生けるものどもの寿命を駆り立てる。

年ごとに本当にそれを実感するようになりました。


他人に教えるとおりに、自分で行なえ___。自分をよくととのえた人こそ、他人をととのええるであろう。自己は実に制し難い。

他人の目のチリより自分の目の梁に気づけとはイエスの言葉。


善からぬこと、己れのためにならぬことは、なし易い。ためになること、善いことは、実に極めてなし難い。

うへぇ、なにもかもお見通しで....


すべて悪しきことをなさず、善いことを行ない、自己の心を浄めること、___これが諸の仏の教えである。

有名な「諸悪莫作・衆善奉行・自浄其意・是諸仏教」(七仏通戒の偈)
ここに出てきたのね。

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実は

2009-05-27 | 雑感
本日は我が家の財務大臣(妻ともいう)の??回目の誕生日なのであった。

慣例?で、わたすが料理を作ったのである。
その献立は、
ペンネとトマトのスープパスタ
ソーセージ二種盛り合わせ
季節の野菜サラダとピクルス
仏蘭西ぷぁん
お飲み物 赤ワイン
スウィーツ イチゴとバナナのバースデーケーキ
でございます。
まあ評判が良くて良かっただす。

もっともわたすが作ったといえるのはスープパスタのみで、あとは出来合いのものをそのままお出ししますた。

で、昨日博品館に行ったのは、プレゼントのぬいぐるみをGETするためだったのさ(笑)。
それが写真のこれである。
大臣はとても気にいった様子で、さっそく枕元に置いて寝るつもりのようだ。
こうしてすあわせな夜は更けていく・・・・

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博品館

2009-05-26 | 雑感
調べ物をしていて遅くなったのでごく簡単に。

今日銀座の博品館に行ってきた。
博品館劇場の名前は見たことあったが、行ったのは初めて。
おもちゃ屋さんだったのね。
内部を見たがなかなか楽しうございました。
シーズーやダックスフントのぬいぐるみもたくさんあったぞ♪おお~

何のために行ったかはとりあえず秘密とする。

参考 http://www.hakuhinkan.co.jp/

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法句経より

2009-05-25 | 宗教
今日はちょっと『法句経』を読むことにする。

『法句経』とは、パーリ語で“ダンマパダ”、「真実の言葉」を意味する原始経典である。仏陀の言葉に最も近いとされる。ストーリーはなく、仏陀の言葉を集めた一種のアフォリズム(金言、警句、箴言)集である。

私が面白く感じた言葉をいくつか拾ってみる。

実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。
怨みを捨ててこそ息む。これは永遠の真理である。


本当にその通りである。仏陀の智恵は我々にも充分理解可能である。


眠れない人には夜は長く、疲れた人には一里の道は遠い。
正しい真理を知らない愚かな者どもには、生死の道のりは長い。


なぜかドキッとした言葉。


もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である。
愚者でありながら、しかもみずから賢者だと思う者こそ、「愚者」だと言われる。


こういう言葉を聞くと、仏陀がソクラテスか誰かのように見えてくるぞ。


人々は多いが、彼岸(かなたのきし)に達する人々は少ない。他の(多くの)人々はこなたの岸の上でさまよっている。

聖書の「狭き門より入れ」を想わせる言葉である。


無益な語句を千たびかたるよりも、聞いて心の静まる有益な語句を一つ聞くほうがすぐれている。
無益な語句よりなる詩が千もあっても、聞いて心の静まる詩を一つ聞くほうがすぐれている。
無益に語句よりなる詩を百もとなえるよりも、聞いて心の静まる詩を一つ聞くほうがすぐれている。


この三句、まことに尤もであるが、この境地に行きつくまでには、無益を味わう必要がないだろうか。すなわち無益の無益さを知るためには。無益のパラドックス。


戦場において百万人に勝つよりも、唯だ一つの自己に克つ者こそ、じつに最上の勝利者である。

感動しちゃった。仏陀カッコイイじゃん!!
『法句経』は仏陀の哲学性がよく出ているお経である。
またそのうち読みませうね。


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生かCDか 3

2009-05-24 | 芸術
とりあえず再開することとする。

以前書いたことがあるが、私はかつて声楽を習ったことがある。
その時の先生がこういう趣旨のことを言った。

「良い発声は遠くに飛ぶものだ。ホールの一番後ろの席で聴いていてもしっかり響きが伝わらなければならない。自分の近くだけで鳴っていても、本人はいい気持ちかもしれないが、そんなのは自己満足でしかない。○○という歌手は一見立派な声をしていたが、遠くに飛ばない声だった。録音で聴くととても立派だったが、実際のステージはひどいものだった・・・・云々」

最近ではオペラなどでもPAを使うのが常識らしい声楽の世界だが、声楽にせよ器楽にせよ基本的にマイクを使わないクラシック音楽は、大ホールに朗々と響きわたる生の音を理想とする。演奏技術の最も重要な部分はそういう良く鳴る「音」を出すことにあるといってもいいくらいである。当たり前だが、これはあくまでも生演奏を聴かせることが前提となった価値観である。

もう一つの意見を紹介する。ある人(私にあらず)がある演奏会を聴いてとても感動した。後日その演奏のライブ盤CDが発売された。喜んでそのCDを買い求めて聴いたその人は、しかし生で聴いた時ほどの感動を得ることができなかった。会場の熱気の中で聴くのと、家で平常心で聴くのとでは印象がまるで違い、醒めた気持ちになってしまったという。

その人は、ライブの熱気の中で自分が感動したことが、何となく騙されたような気分になったらしい。ふだん自宅でCDで音楽に接することの多いその人は、生で聴くと演奏の良し悪しはかえって分からない。だから「生の感動は偽物だ」と心のどこかで思ったようである。

前者の例では、CDを聴いて感動していた人が騙されていたことになるのだろうか。そして後者では、生の熱狂に騙されて音楽そのものを聴いていなかったことになるのだろうか。

私にはどちらの例も重要なものを含んでおり、かつ何かが欠けているような気がするのである。

(つづく)


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イエスの言葉

2009-05-23 | 宗教
何だか今日はあまりしゃべる気がおきない。
たまには(そうでもないか?)イエス様の言葉に耳を傾けよう。

しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
こうして、天にいますあなたがたの父と子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。(マタイ 5:44-45)


なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。
自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。
偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりをとりのけることができるだろう。(マタイ7:3-5)


朝早くまた宮にはいられると、人々が皆みもとに集まってきたので、イエスはすわって彼らに教えておられた。
すると、律法学者やパリサイ人たちが、姦淫している時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた上、イエスに言った、
「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。
モーセの律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」。
彼らはそう言ったのは、イエスをためして、訴える口実を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。
彼らが問い続けるので、イエスは身を起こして彼らに言われた、
「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。
そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。
これを聞くと、彼らは年寄りから始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。
そこでイエスは身を起こして女に言われた、「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」。
女は言った、「主よ、だれもございません」。
イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。(ヨハネ 8:2-11)


法律的ではなく、あくまで道徳的な意味で、人を裁いたり攻撃したりする資格のある人間などいないことをイエスは言っている。ましてや私怨のために人を(精神的にも肉体的にも)傷つけたり、まして殺害してはならない。キリスト教はそういう行為を「神に背くこと」ゆえに禁じている。

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犯人逮捕

2009-05-22 | 雑感
皆様すでにご存じのことと思いますが、今年1月にわが勤務地で起きた殺人事件の犯人が昨夜逮捕された。

最近は事件のことは学内でも全く話題にならなくなり、下っ端の私には警察がどのような捜査をしてるのかも全く分からず、このまま迷宮入りするのかとさえ思っていた。

決め手となったDNA鑑定が一日やそこらで簡単にできるものではないことを思うと、聴きこみを中心とした警察の地道な努力や、どの時点かは知らないがすでに被疑者を捜査線上に絞り込み、DNA鑑定が可能なほどの標本の採取を行っていたことに、さすがに日本の警察は捨てたもんじゃないと認識を新たにしたのだった。

しかし逮捕された犯人が教授の教え子だったとは!
なんともやりきれない気持である。
とても犯人逮捕を喜ぶ気になれないのである。

ここから先は私の勝手な想像である。

犯人は卒業後、せっかく一部上場企業に就職できたものの、1か月しか続かず、その後何回も職を変えていたという。
おそらく人との意思疎通が不得手なタイプであっただろうとことが想像できる。
また、職場が自分に合わず何回も変えざるを得なかったことが、本当の原因はさておき、不満に思っていたのではないか。

おそらく先生は、彼のために就職のためのアドバイスをすることもあったのではないか。

本当に不幸なことなのだが、自分に親切にしてくれる人を逆恨みする人間、というのは、自分を気にかけに目を向けてくれる人を、この人は自分を分かってくれる人だと思い込み、その人に自分の不満をぶつけ、その人が自分の期待ほどには自分を理解してくれていないことが分かると、逆にその人に深い恨みをいだく人間、そして自分が上手くいかないのを、すべてその人のミスリードのせいにする甘えた人間が、世の中にはいることを私は知っている。

“あの時あなたがああ言ったから”
“あそこであなたがもう少し私のことを理解してくれていたら”
こんなことにならなかったのに。
そういう声が聞こえるのである。

根拠はないのだが、教授はそういう教え子にいわれのない恨みを持たれ、最悪の事態を迎えてしまったような、そんな気がしてならない。あくまで私の勝手な想像であるが。

あらためて高窪先生のご冥福をお祈りいたします。 合掌


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