先日、出雲の帰りに頓原で一福でそばを食べた。
何年ぶりだろうか?一福もいろいろ支店が出来て有名に
なっているようですが、やはり本店で食べるそばは
何となく違う気がする。
食べ物はなんでもそうだが、その場所で食べるからおいしい
のであって、仮に同じものであっても帰ってから食べるのとは
確実に味が違っている。
その場所の空気といっしょに食べるからおいしいので
それらみんなひっくるめての味だと思う。
出雲そばと言うと松江にあった“松本そば”が忘れられない。
おやじさんが亡くなられて後を継ぐものがいなかったようで
店を閉めてしまってからもう何年になるのだろう。
ちょうどこの時期に松江で食べた味が今でもしっかりと
体の中に刻み込まれている。その日はいつものように
いっぱいで、途中で打っておいたそばが無くなったのだろう
とんとんとんとおやじさんが2階にあがってそばを打ち始めた。
打ちたて茹でたての状態でちぎれるように冷たい水でしめられた
その日のそばは絶品でした。いつも行っている松江在住の友人と
顔を見合わせて“すごい!今までこんなの食ったことがない”
とつぶやいたのを思い出した。
最近特に真面目に商売をしている店が次々と無くなっていく
のが大変寂しく思われる。普通の人が普通においしく食べられる
店が確実に少なくなっていると言うことです。
そりゃ、もりそば一杯1500円もすりゃおいしいのはあたりまえで
わたしのような庶民はとても食べられる値段じゃありません。
真面目に手を抜かず一生懸命に商売している店ほどもっと
繁盛すればいいのにねえ!
真面目に手を抜かないということは大変なことだと思うし
それに伴う報酬が今の若い人には少なすぎるのでしょうね!
美味ければ客はくるというのは違いないが、それが正当な利益を
生むということには比例しないところが難しいのでしょうね。
何年ぶりだろうか?一福もいろいろ支店が出来て有名に
なっているようですが、やはり本店で食べるそばは
何となく違う気がする。
食べ物はなんでもそうだが、その場所で食べるからおいしい
のであって、仮に同じものであっても帰ってから食べるのとは
確実に味が違っている。
その場所の空気といっしょに食べるからおいしいので
それらみんなひっくるめての味だと思う。
出雲そばと言うと松江にあった“松本そば”が忘れられない。
おやじさんが亡くなられて後を継ぐものがいなかったようで
店を閉めてしまってからもう何年になるのだろう。
ちょうどこの時期に松江で食べた味が今でもしっかりと
体の中に刻み込まれている。その日はいつものように
いっぱいで、途中で打っておいたそばが無くなったのだろう
とんとんとんとおやじさんが2階にあがってそばを打ち始めた。
打ちたて茹でたての状態でちぎれるように冷たい水でしめられた
その日のそばは絶品でした。いつも行っている松江在住の友人と
顔を見合わせて“すごい!今までこんなの食ったことがない”
とつぶやいたのを思い出した。
最近特に真面目に商売をしている店が次々と無くなっていく
のが大変寂しく思われる。普通の人が普通においしく食べられる
店が確実に少なくなっていると言うことです。
そりゃ、もりそば一杯1500円もすりゃおいしいのはあたりまえで
わたしのような庶民はとても食べられる値段じゃありません。
真面目に手を抜かず一生懸命に商売している店ほどもっと
繁盛すればいいのにねえ!
真面目に手を抜かないということは大変なことだと思うし
それに伴う報酬が今の若い人には少なすぎるのでしょうね!
美味ければ客はくるというのは違いないが、それが正当な利益を
生むということには比例しないところが難しいのでしょうね。