金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

山小屋の詰め込み、何とかならないものですかねぇ

2015年09月24日 | 

9月の連休は好天続き。今後しばらくこの時期にこれ程連続する休暇はない、ということで山には大勢の登山者が入っていました。山小屋は超満員で、三俣山荘では2枚の布団に5人が寝るという状態でした。こうなると夜中に一度小用に立って戻ってくると寝るスペースがありません。それと隣人のいびきの凄さに辟易しました。

「混雑が嫌なら連休に登山に行かなきゃ良いじゃない。どうせいつも暇なのだから」と言われそうです。そうです。私一人なら混雑する連休に山に入る必要はありません。ただしまだ一緒に山を登っている連中が毎日会社勤めをしているので、グループ登山となると連休利用が多くなります。

山では私よりシニアの方を多く見かけました。「わざわざ混雑する連休に来なくても・・・」と思うのですが、皆さんそれなりの事情をお持ちなのでしょう。

今年の春先にこの連休はボルネオ島のキナバル山に登る計画を立てていました。その後起きた大地震でキナバル登山は不可能になりましたが。そこで黒部の山旅を行った次第なのです。

キナバル登山で一番難しいのは、山小屋の予約なのです。地震が起きる前で大体1日の入山者は200名程度に絞られていた様ですね。昨年台湾の玉山に登りましたが、こちらも山小屋は1軒しかなく、入山者は1日100名弱に絞られていたと記憶しています。

ネパールにも何回かトレッキングに行きました。ネパールには入山数制限はありませんが、山小屋(ロッジ)は2-3人一部屋で一人一つのbedが確保されています。これら諸外国の山小屋事情と比べると日本の山小屋はかなり「異常」です。異常な理由を幾つか考えてみました。

1)畳とベッドの違い

外国で登山・トレッキングを発展させたのは英国人です。彼等はベッドで寝ます。だから一人一ベッドが大前提。一方日本人は畳+布団が基本ですから寝るスペースはベッドより柔軟に設定できます。でも異常な混雑を見ると柔軟性がbackfireしていると感じます。

2)キッチン能力の違い

ネパールの山小屋では、トレッカーは自分でメニューを選択することができますが、日本では全員同じ単一の食事を食べます。

またネパールでは現地で採れた野菜や卵が中心のメニュー。レトルト食品の利用はまずないでしょう。またネパールの火力は薪が中心。つまり食事の供給能力に圧倒的な違いがあります。また「夕食は第1班が4時15分にスタートして40分おきに5回転」などという神業的な運用は外国では考えられません。ここでも日本人の器用さがマイナスに働いている気がします。

3)以上のような「供給能力」の違いに加えてユーザー側のマインドも違いますね。日本では「連休なのだから混雑しても仕方がない。飯が食えればいい。安眠ができなくても少し休めて山に登れれば良い」という意識が強いと思います。通勤(通痛)ラッシュに慣らされた悲しい性の産物かもしれなせんが・・・・

さて色々愚痴や文句を並べましたが、次に建設的な提言をしましょう。

第1は登山者・山小屋・国や企業が意識を変えることです。レジャーの意識を変えることです。つまりレジャーはリラックス・リフレッシュする場だ、という意識を持つことです。

第2はより具体的な提言。山小屋は「予約制を徹底し、定員を守りましょう」。予約していない登山客は泊めない、ということを徹底することです。つまり街のホテルや旅館と同じ営業をするのです。「緊急時に宿泊に困った登山客を救う義務が山小屋にある」という意見も出そうですが、ちゃんとした登山者はビバーク(緊急露営)の準備はしているものです。ちゃんとした登山者はツエルトや非常食・コンロ位は持っていますから緊急露営は可能です。だからあらかじめ「予約者以外泊めません」ということを徹底すれば良いのです。

第3は「山小屋の週末・休日料金を高めに設定する」ことです。これはホテルや旅館では今では当たり前の話です。こうすると時間に余裕のある人は平日登山を行い、登山客の分散を図ることができます。登山客の分散は自然資源のoveruseを防ぐためにも必要なことです。

第4はJRなどが平日旅行を促進する価格政策を進めることです。私のようなシニア世代になると「大人の休日倶楽部」を利用するとJR東日本の料金は最大3割引きになりますが、例えばこの割引を「平日4割・終末祝祭日2割」などと変えると良いと思います。

第5は登山者が「山は空いている方が良い」という意識を強く持って可能な限り平日登山をすることです。

第6は国がこれ以上祝祭日を増やさないことです。本当は祝祭日を減らすべきなのですが、一旦作ったものを減らすのは難しいでしょう。せめてこれ以上は増やして欲しくないと思います。

第7は企業がもっと有給休暇の取得を促進するべきです。私は自分のサラリーマン経験から「休みを取って遊ばない人には本当の仕事はできない」と考えています。本当の仕事というのはcreativeな仕事という意味です。Creativeな仕事をする人は結果にコミットします(どこかのコマーシャルにありますね)。逆に成果を挙げることのできないサラリーマンは「勤務態度」に拘ります。でもそんな社員を揃えても会社は良くならないということを経営者は早く認識する必要があると思老います。

まあこの提言が受け入れらるには時間がかかるでしょう。

企業経営から退いた今の私にできることは「二度と長い連休の混雑する山には行かない」という位のことなのでしょうが・・・・

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黒部源流の山旅~絶景写真編

2015年09月24日 | 

連休中に黒部川の源流付近の山々を歩いてきました。

簡単にコースを紹介すると長野県大町の奥の高瀬ダムから出発して、北アルプスの主稜線の一角烏帽子岳に至り、そこから南下して岩苔乗越から黒部源流に降り、三俣山荘に登り返します。そして鷲羽岳を往復して、黒部五郎岳を越えて岐阜県神岡に近い飛越トンネルに降るというものでした。

高瀬ダムは信濃川の支流・高瀬川にあります。飛越トンネルは神通川上流にあります。水系で見ると北アルプス北部の東を流れる高瀬川からスタートして、北アルプス北部を二分する黒部源流を横断して、北アルプス北部の西を流れる常願寺川上流の有峰ダムを眺めながら、その西の神通川上流まで降るという北アルプス横断の旅でした。

北アルプスは大きくいうと「Y字型」の山脈です。Yの字の真ん中には黒部川が流れます。Yの右枝がやや長く白馬岳から北に延びる山脈は犬が岳を経て日本海に至ります。

Yの左側は立山・剣岳を越えて毛勝山・僧ケ岳を経て宇奈月に至ります。このYの字の交点にあるのが、三俣蓮華岳です。ここは長野県・新潟県・富山県の県境が接するところです。

さて最初に登ったのが烏帽子岳です。

小ぶりな岩山ですが烏帽子そっくりです。

頂上からは四十八池という池塘群が見えます。紅葉がきれいでした。

写真写りが良いのは岩山です。岩山というとこのコースからよく見えるのが槍ヶ岳です。

写真は三俣山荘から撮った槍ヶ岳です。左続く稜線が数々のドラマを生んだ北鎌尾根です。

三俣山荘のすぐ上にそびえる鷲羽岳も写真写りの良い山です。深田久弥は日本百名山の中で「黒部と言えば、その谷の深さと険しさと美しさとで有名だが、その黒部川が産声をあげるのが鷲羽岳である」と書いています。

鷲羽岳から見る三俣山荘と三俣蓮華岳も絵になる風景です。夜テントに灯りがともる頃きれいな写真が撮れると思ったのですが、

そのチャンスはありませんでした。

今回撮った写真の中で一番気に入っているのが、朝日に輝く黒部五郎岳です。

黒部五郎岳2,840mは実に堂々とした山です。標高が3千メートルを切ることと岩登りの対象でないことで剣岳や槍穂高に較べると地味な存在ですが、黒部の盟主です。

黒部五郎岳を越えて赤木岳に登ると黒部五郎岳の北面が見えます。堂々とした山容ですが、写真写りはカールを抱く東面が良いですね。

カールの底には巨石がゴロゴロしています。太古日本にも氷河があったことの痕跡です。

黒部五郎岳の山頂からは笠ヶ岳・乗鞍岳・御嶽が良い具合に重なって見えます。

北ノ股岳に着くと有峰湖が見えました。長かった山旅のフィナーレが近づいてきました。

北ノ股岳からは西に延びる尾根を降ります(飛越新道)。

頭上には青空と北ノ股岳ののびやかな稜線が広がり、足元には草紅葉が広がっています。

「また来てみたい景色」の一つですが、飛越新道のドロドロのヌカルミを思うとちょっと躊躇したりして・・・(笑)

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黒部の山旅(2)~鷲羽岳・黒部五郎岳から飛越新道へ

2015年09月23日 | 

【3日目 鷲羽岳から黒部五郎小舎へ】

この日の行程は楽なので、三俣山荘で朝食を頂き(これ以外の日は朝食を弁当に替えて早く出発した)、空身でまず鷲羽岳を往復した。

6時34分三俣山荘発 (写真は昼過ぎの鷲羽岳)

日本百名山の一つ鷲羽岳(2,924m)は三俣山荘から標高差約400メートルであるが、空身なのでピッチは上がる。

少し登ると三俣山荘とその向こうの三俣蓮華岳が見えてきた。

大きな良い景色だ。7時40分山頂、1時間少々の登りは参考時間(1時間30分)較べてかなり早い。空身と朝一番のせいだろう。

昨夜は狭い仕切りの中に詰め込まれ、他の組の登山者のいびきに悩まされたが、何とか乗り切れそうだ。

真下には鷲羽池が見える。

鷲羽岳の頂上はややもやがかかっていた。

10分景色を楽しんで下山開始。8時40分三俣山荘着。8時56分黒部五郎小舎へ向けて出発。

三俣蓮華岳に向かう坂道を登っていくと今登ってきた鷲羽岳のガスが晴れてきた。

10時15分三俣蓮華岳2,841m到着。

10時40分黒部五郎岳への捲き道との分岐。ここから黒部五郎小舎への降りは長い。

明日越える予定の黒部五郎岳がガスの中から全貌を現した。カールの懐が深い大きな山である。

ようやく黒部五郎小舎の赤い屋根が見えたが、それから10分ほど降りが続いた。黒部源流の山々は大きいと思う。

11時35分小舎到着。この日は半分休養日に充てていたので、Sさん持参のラーメンや餅(味噌汁に入れた)で長い昼食を楽しんだ。チェックインした時は小屋の人に「ビールはじめ総ての飲料は売り切れです」と言われたが後で「一人一缶だけOK」となり、チビチビとビールを飲みながら午後のひと時を過ごした。

この日の行動時間は三俣蓮華岳の登りが参考タイムよりやや遅かったが、降りは参考タイムより若干早くトータルとしてはトントンだった。高校時代は参考タイムより如何に早く登るか?ということを目指して頑張ったものだが、シニアになると荷物を背負って参考時間通りに歩くことは難しくなってきたなぁと感じる。

まあ、我々シニア世代には「シニアの標準タイム」がある、ということなのだろう。

【4日目 黒部五郎岳を越えて飛越新道へ下山】

長い山旅の下山の日が来た。長い

下山に備えて4時30分過ぎに小舎を出発。真っ暗な夜道をヘッドランプと先行者の歩みを頼りにカールへの道を歩む。

1時間ほどすると朝日が差し始め黒部五郎岳がオレンジ色に輝いた。

今回重たい一眼カメラを担いで来たが感動のひと時を撮るとすればこの時とばかりシャッターを押す。朝日を浴びる黒部五郎岳は素晴らしい。

カールの中の巨岩のモニュメントも素晴らしい。

極端にいうとアンナプルナ内院から見るアンナプルナ主峰を彷彿とさせるイメージだ。

機会があれば積雪期の黒部五郎カールに入り写真を撮りたいと思った。

カールを過ぎてから稜線に登るまでの登りは急だ。カール壁に取り付く急登開始時間が6時22分、尾根に到着した時間が6時50分、僅か30分だが高度差170mを登ったことになる。

到着した尾根の分岐点で荷物を置いて黒部五郎岳の頂上までは10分だ。7時頂上着。この日は晴天続きの4日間の中でも一番天気が良かった。

愛機オリンパスOM-D EM-1にパノラマ撮影機能があったことを思い出し北アルプスのパノラマ写真を撮る。

一番左が薬師岳で剣・立山、中央に鷲羽岳、左端に槍ヶ岳という構図だ。

晴天続きの今回の山旅の中でもこの日が最高の天気。南に眼をやれば笠ヶ岳から乗鞍岳・御嶽が見えた。

私は「縦走派」ではないのだが、この眺望には文句なしに感動した。黒部五郎岳は深田久弥の日本百名山の一つだが、私が選ぶとしても上位に入る百名山の一つであることは間違いない。

しかし飛越新道の道は長いので頂上を去ることにした。中俣乗越を越えて赤木岳に到着したのは9時41分。

中俣乗越から赤木岳には雄大な尾根が広がる。

赤木岳から黒部源流を見ると昨年登った赤木沢源流が見えて胸が熱くなった。

私は元来「沢屋」である。高校時代に比良山系の貫井谷などの沢登りを我流で始めたのが私の原点なのだ。沢登りは大学に入って岩登りに繋がり、そして氷壁登攀に繋がり、ついにカラコルム遠征にまで至った・・・・。

だが再び原点に回帰し昨年大学の後輩k君と黒部源流の赤木沢を登ることができたことを思い出すと感慨は深い。そして今年の連休は沢に入らず黒部の源流の峰々を歩いている・・・。年を取るとはそういうことなのだろうか・・・

10時17分北ノ股岳到着。ここから4時間を越える下山道だ。飛越新道の降り始めは草原の中の道で快適だ。所々ぬかるんだ登山道を外し草原の中を歩くと快適だ。

草紅葉は冬の到来が近いことを知らせている。若くて元気ならばスキーを担ぎ上げて滑りたい斜面だ、と思う。

飛越新道の降りは長かった。降りの途中に時々登り斜面が出てきたは、降りモードに入った私を苦しめた。そしてぬかるんだ道。ここを歩くにはスパッツは必携だろう。

それでも14時30分、タクシーを予約していた時間に飛越新道入口に到着。後続組も約10分遅れで到着した。

細かいことでは色々反省点があるが、50歳を過ぎて作った山仲間でこの長いアルプス縦走を完遂したことにまず乾杯しよう!

とはいうものの実際の乾杯は平湯までお預け。飛越新道から平湯まではタクシーで約1時間、料金はサービスして貰って1.7万円程度だった。

★  ★  ★

黒部五郎岳から北側に降る場合、下山路は2つある。一つは今回利用した飛越新道で、もう一つは太郎小屋から折立に降るルートだ。一見折立ルートは長いが飛越新道の「ヌカルミ」を考えると折立ルートは悪い選択ではない。もっとも折立からのバスは早い時間に終了するので中々チョイスは難しいが。

今回は無事予定どおりの時間で4日間の縦走を終えることができたが、私は中高年にとって荷物を担いだコースタイムの設定という点で課題を残したと思っている。

「愚者は平均に迷い、賢者は自分に学ぶ」というのは、最近私が作った格言だが山登りのコースタイム設定にもまさにに該当する。

昭文社などのコースタイムをベースに計画を立てるのは実は危険である。それはコースタイムは平均に過ぎないからである。平均の前提つまり「どれ位の年齢のどれ位の体力・技量を持った人がどれ位の荷物を担いで歩くのか」ということが明らかになっていないとベンチマークとしてはあまり役に立たない。

何故なら実際に山を歩く時間は「ある年齢層のある体力・技量を持った人がある重さの荷物を担いで歩く」ペースをベースに計算する必要があるからだ。

ヒマラヤのトレッキングブック・ロンリープラネットを見るとコースタイムは4時間ー6時間などのワイドな幅で表示されている。

これが客観的な標準タイムというものだろう。このことは実は興味深い「日本人論」につながるのだが、それはいずれ別のエントリーで述べるとしたい。

さて自分のコースタイムを計算するには、カシミールのような地図ソフトを使い自分の登山速度を割り出し、それでコースタイムを計算するのが良いだろう。

特に我々のようなシニア世代になると、市販のガイドブックの標準タイムで歩き続けることができるとは限らない。

賢者の山登りは自分の登山速度を把握することから始まるのである。自分の速度を知るものは安全に歩くことができると改めて認識した次第だ。Vice Versaに愚者は標準や平均に惑うのである。それは山登りに限った話ではない。そのことも機会があれば別のエントリーで話をしたい。

 

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黒部の山旅(1)~烏帽子岳から三俣山荘へ

2015年09月23日 | 

連休に北アルプスの烏帽子岳から黒部五郎岳を経て飛越トンネルまで縦走した。山小屋3泊の山旅である。メンバーは計画を立案してくれたSさんとHさんであり、ともに室町山の会の中核メンバーである。

全体の行程は0(ゼロ)日目9月18日大町温泉郷温泉宿泊まり

1日目9月19日高瀬ダムから烏帽子小屋・烏帽子岳往復

2日目 9月20日烏帽子小屋から三俣山荘

3日目 9月21日三俣山荘から鷲羽岳往復後三俣蓮華岳を越えて黒部五郎小舎

4日目 9月22日黒部五郎小舎から黒部五郎岳を越えて北ノ股岳。飛越新道を降りタクシーで松本へ

というものだった。連日の快晴続きで快適な山登りができたが、滅多にない好天の5連休ということで山小屋は想像を絶する混み具合だった。特に三俣山荘では2枚の布団に5人が詰め込まれるという劣悪さ。

ブログでは前半後半に分けてエントリーする。

【1日目 高瀬ダムから烏帽子岳へ】

朝6時50分にタクシーで「ときしらず織花」を出発。ときしらず織花http://www.oribana.jp/は、大町温泉郷の一つ先のバス停「犬の窪」の前にある一軒宿である。食事は適量(安いコースを頼んだからかな?)珍しいものはなかったがまずまず。朝食を6時半から用意してくれたことは山屋にはありがたい。高瀬ダムまでは約30分料金は6300円程度。なおこの時期高瀬ダムの手前七倉の駐車場までマイカーで入り、七倉から高瀬ダムは乗り合いタクシー(一人700円とか)で入る人も多いようだ。

高瀬ダムからトンネルを抜けて7時50分にブナ立尾根取り付きに到着標高1,306m(GPSによる)。ブナ立尾根は烏帽子小屋標高2,502mまで約1,200mを一気に登る急登で北アルプスの三大急登の一つと呼ばれている。三大急登には諸説あるようだが「剣岳早月尾根、鹿島槍ヶ岳赤岩尾根、燕岳合戦尾根、笠ヶ岳笠新道」のどれかがブナ立尾根のカウンターパーティのようだ。

7時55分登山開始。9時屈曲点(標高1,643m) 11時10分三角点(標高2,209m) 11時41分タヌキ岩(標高2,294m)昼食

12時40分烏帽子小屋到着 

ブナ立尾根を約4時間半で登ったが、最後はかなり疲れた。この時間は昭文社「山と高原地図」のコースタイムとほぼ同じだ。

ただし昭文社のコースタイムを前提に登山計画を組むのは少し無理があると今回感じた。というのは昭文社コースタイムはどうも「空身でそのコースだけを歩く」ことを前提に組まれている、と思うからだ。一方山と渓谷社のガイドブック「槍穂高・・・烏帽子」の裏銀座縦走参考コースタイムでは登山時間を5時間半としている。これは3泊4日の縦走を前提としているので、本来はこちらを参考にするべきだろう。

さて烏帽子小屋にチェックインして烏帽子岳を往復する。

前烏帽子岳(2,605m俗称ニセ烏帽子岳)に登ると烏帽子岳(2,628m)の岩峰が目の前に見える。烏帽子岳の頂上直下は岩壁で鎖場がある。

足元には南沢岳につながる草原と池塘が美しい。

地図を見ると四十八池と書いてあるが、本当に48あるかどうかは疑わしい。

烏帽子岳の山頂は一人立つのが精一杯の絶頂である。

小屋から烏帽子岳往復はコースタイムでは1時間半程度となっているが、私は疲れていたのでブラブラ歩き、山頂でかなり時間を費やしたので2時間以上かかった。また今回のように登山者が多いと離合待ちにも時間がかかることを考慮しておく方が良い。

【2日目 烏帽子小屋から三俣山荘へ】

この日は烏帽子小屋から三俣山荘へ向かい、途中水晶岳を往復する予定だった。本来は水晶小屋に泊まるのが縦走全体の計画としては好ましいが規模の小さい水晶小屋は満員で予約を断られたので、やむなく三俣山荘まで足を伸ばすことにしたのだ。

朝5時出発。30分弱ヘッドランプを着けて三ツ岳への緩い斜面を登っていく。

5時30分陽がさして明るくなってきた。足元に高瀬ダムが見えた。

ダムの向こうにそびえるのは唐沢岳あたりだろう。

6時30分三ツ岳2,803m 8時20分野口五郎小屋2,871m

野口五郎岳への砂利の緩い坂を登っていくと野口五郎小屋が見え、その向こうに立山が雄大な姿を現した。立山と龍王岳のコル・一の越がよく見える。目を凝らすと一の越から東一ノ越に向かう道や大観峰ロープウェイ駅が見えた。

8時45分野口五郎岳2,924m到着 

野口五郎岳からは槍ヶ岳がよく見える。槍ヶ岳の向こうは前穂高の北尾根だ。

登山道は真砂岳の西面を捲きながら水晶小屋へ向かっている。正面に鷲羽岳が見える。

真砂分岐を過ぎて水晶小屋に向かう急斜面のあたりで私はかなり疲労を感じた。

「この調子では水晶小屋から水晶岳を往復するのは無理だな」と判断して、元気なSさんHさんに先行して水晶岳を往復して貰い、私は三俣山荘に直行することにした。今回の縦走を完遂するにはペース配分と体調管理が重要なので無理は禁物だからだ。

12時水晶小屋到着

12時43分 岩苔乗越

乗越からは黒部源流に降り三俣山荘に向かった。

ここは黒部源流の中の最奥部だ。紅葉が美しい。

14時35分 三俣山荘到着 早速3人分のチェックインをする。小屋の人からは「今日は混んでいますので布団2枚で5人寝てください」と言われた。唖然。予約していてもこの状態だ。

しばらくすると小屋のチェックイン待ちの行列ができた。

この小屋はトイレ待ちでも長い行列ができる。北アルプス縦走の十字路にあるので大変混む小屋のようだ。

15時40分水晶岳に行ったSさんHさんが到着。

★   ★   ★

この日の行動時間は、烏帽子小屋→野口五郎岳が3時間45分(参考タイム:3時間20分休憩を含まず)、野口五郎岳→水晶小屋が3時間15分(参考タイム:2時間20分休憩時間含まず)、水晶小屋→三俣山荘が2時間35分(参考時間:2時間5分)。

合計では9時間35分だった(参考タイム:7時間45分)。休憩時間を差し引いても参考時間よりかなりペースが遅かった。

夏の疲れ、烏帽子小屋混雑による睡眠不足等色々理由はあるが、やはり年のせいだろうと感じた次第。

 

 

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「普通の国」になるための普通でない国会騒動

2015年09月18日 | ニュース

昨日(9月1日)参院の特別委員会で、採決を阻止しようとする野党議員が委員長席の殺到し、議場が騒然となる中で安保法案が可決された。

「普通の国」になるための法案が普通の国らしからぬマナーで採決された訳だ。安保法案は今日にも成立、と報じられているが、国会ではもう少し理詰めの議論ができないものか?と思わざるを得ない。

たとえば野党側の議論の中に安保法案は「徴兵制」につながるという主張があるが、これは理論的におかしい。

というのは集団的自衛権を正式に行使できるようになると、他国の軍隊と共同して自衛権を行使することになる訳だが、他国の軍隊と共同作業を行うには、英語によるコミュニケーション能力や他国の軍隊と同レベルの軍事能力が求められる。武器がハイテク化し、高度な知識と訓練を積んだ職業軍人でないと操作ができないのが現状だ。

米国はベトナム戦争終結後徴兵制を廃止し、現在政府にも国防総省にも徴兵制を復活する動機も必要性もないと思われる。

徴兵制の廃止は世界的な傾向だが、まだ徴兵制を残している国もある。ロシア、韓国、デンマーク、ノルウェー、スイスなどだ。

スイスでは徴兵制廃止が議論になったことがあったが、2013年に国民投票で徴兵制の存続が決まっている。その理由の一つは徴兵制を廃止すると国防能力を維持するためにはNATO北大西洋条約機構に加盟せざるを得なくなり、国の根幹である永世中立を揺るがすというものだった。

つまりスイスは永世中立を守るために、総人口の2%近い常備軍を徴兵制で確保しているのである。

以上のような事実を組み合わせると「個別自衛権と徴兵制」と「集団的自衛権と職業軍人制」という組み合わせは整合的だが、「集団的自衛権と徴兵制」という組み合わせは整合的でないと私は考えている。集団的自衛権を容認することは徴兵制につながるという意見は論理的に破綻しているのである。

国を守ることが自国の憲法の条文だけでできるならこんな簡単なことはない。しかし現実は違う。現実の世界からスタートしない議論を繰り返すことに何ほどの意味があるのか?と感じる次第だ。

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