「家族と言う病」をグーグルで検索すると上位数行に私のブログが引用されているので、「家族という病」から私のブログを閲覧する人は多い。一時期に較べると検索数は減ったが、それでも日に数十件のアクセスはあるから「家族という病」はよく売れているのだろう。
さてそんなこともあって下重さんには多少の親近感(実際にはまったく面識はない)を感じ、彼女が今月新しく出版した「最後はひとり」という本(PHP研究所)をざっと読んでみた。
結論からいうとこの本は「家族という病」ほどには売れない、と私は判断している。
理由は「家族は素晴らしいは欺瞞である」という帯封の言葉にある共感を感じる人が多いと思うが、「最後はひとり」の帯封は「老いと孤独は書くことで乗り越えられる」で、「家族は欺瞞」ほど多くの人の共感を呼ばないと感じるからだ。
著者は「ものを書くことで自分を掘り、心を見つめ・・本当の自分を知る」という。そうすることで「今まで見えなかった自分が見えてくる」という。
「一生に自分の本を一冊書きたい。自分のために、社会のために書き残すものでもいい。・・・・私はどこから来てどこへ行こうとしているのか。・・・・自分が生まれた意味を知らねば、生を終えるにあたって、私が生きてきた事を認識し納得する事ができない」というのが著者の主張のようだ。
つまりこの本は「自分の心に向かい合うために、ひとりの時間をものを書くために有効に使いなさい」といっているのである。
恐らくその主張は正しいと思うが、総ての人が下重氏のように書いたものを発表する「場」を持っている訳ではない。この本の中にも「自費出版は二百万円位かかる」と書いてある。もっとも下重氏は言及していないが電子出版ならほとんどタダでできるが、今「最後はひとり」になっている方で電子出版を試みる方は極めて希だと思うので、やはり「ものを書いて出版し生きた証(あかし)を作る」というのは万人向けではないのである。
もっとも「孤独を自分を深めるチャンスととらえる」という点をより一般化すると多くの人にとって「老いと孤独は乗り越え易く」なるかもしれないと思う。なにも長いエッセーや本を書くことだけが自分を深める方法ではない、と私は思う。
絵を描いても良いし、写真の技を磨いても良い。人前で話すことに力を入れても良いし、知識や経験をボランティアに生かしても良いと思う。
だがこれは一般論だ。おそらく下重氏はこの本で「自分はものを書くことで老いと孤独を乗り越える」と宣言したかったのだ、と思う。だから一般論は書かななかったのだ。
なお孤独をチャンスに変える、ということについては齋藤孝氏に「孤独のチカラ」(新潮文庫)という本がある。こちらの方がより万人向けをする、と私は感じてるので付け加える次第だ。