金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

年金問題の本質に迫る(1)

2007年06月27日 | 社会・経済

今日の新聞は年金記録問題に関連して安倍首相他関係閣僚が賞与の一部を返上し、社会保険庁の職員にも5-10%位の返上を求めるという記事を載せていた。これを読んで私を含めて大方の人が思うことは「参院選挙前のパフォーマンスか?」ということだ。もし社会保険庁の職員達に重大な職務違反があるのであれば、5%やそこらの賞与の返上でお茶を濁すべきではなく、徹底的に責任を追求するべきである。もし責任がないのであれば、返上する必要はない。この様なことを曖昧にするから政治が良くならないのである。

今回問題になっているのは、年金保険料の記録不備の話なのだが、今の国の年金制度にはそれ以外に大きな問題が沢山あるので、余りこの問題に入り込み過ぎると年金が抱える巨大な問題を見失ってしまう恐れがあるのだ。

個人の保険料の記録は極めて大切だが、記録を整備してもいざ年金を払う段になってその原資がないということになるとこれはまた大問題である。ところが多少この問題について調べている人なら、国の年金財政が破綻状態にあることは周知のところだ。

保険料の記録の重要性を強調すると、国の年金というものが民間金融機関で行っている個人年金の様なものと誤解を与える可能性がある。無論まじめに年金保険料を払っている人にとってはそう考えたいのだが、実際はかなり異なっている。ごく一例をあげると財政的に破綻している国民年金(基礎年金)をサラリーマンが払う厚生年金保険でカバーしているのである。国民年金については加入するべき人の4割の人が保険料を払っていない。つまり日本の年金の財政方式は掛け金をまじめに払う人には「積立方式です」と言いながら実態は「賦課方式的」になっているというべきなのだろう。

少し専門的にいうと日本の公的年金制度は「修正積立方式」と言われる制度だ。積立方式の反対概念が賦課方式だ。賦課方式というのは必要とする老齢者への年金給付額を、現役世代が税であれ社会保険料の形であれその時々に負担していく制度だ。

日本の修正積立方式というのは、簡単にいうと将来必要とする年金原資の一部は積み立てるけれど、足りない部分は国庫が負担するつまり税金でまかなっているという制度だ。家計で考えると積立方式の方が健全に見えるが、日本という国家レベルで考えるとそれは必ずしも正しくない。

一つは仮に年金資産が事前に積み立てられ効率的に運用されていくにしろ、日本には巨額の財政赤字がある。これは将来の世代が負担しなければいけない重荷だ。つまり年金の原資は積み立てたけれど、財政赤字をたっぷり残したいうのでは将来の世代にとって負担はかわらないのである。インフレ時には借金をしても貨幣価値が将来下がるので、実質的な負担は下がっていくが、デフレ時には借金の重みは時間とともに増えていく。日本では当面デフレを想定した財政政策を取るべきであろう。

私の基本的な主張は基礎年金に相当する部分については、積立方式ではなく賦課方式を採用するべきであるというものだ。その根拠については改めて説明したいが、次の三つのことは述べておこう。

  • 税の形で今老齢者に支払う年金分を徴収するので、徴収コストが低く年金不払い問題が発生しない。
  • 低金利下では事前に積み立てて運用しても安定的に高い運用収益を得ることは簡単ではない。
  • 運用の問題が発生しないので、複雑な数理計算がなく、年金掛け金の計算根拠がきわめて明快になる。従って国民に分かりやすい制度になる。
  • 年金先進国の欧米では基本的に賦課方式を採用している。

なお積立方式において「資産が効率的に運用されているにしろ」という仮定を置いたが、年金資金がグリーンピアのような保養諸施設に浪費されたことは周知のことだ。

積立方式の年金制度というものは巨額の資金が生まれるため、様々な利権が発生し、それが年金官僚のモラルの弛緩を生んでいる。このことも別の機会に述べたいことだ。

今日言いたいことは「年金の掛け金記録というものは大事だが、そこにはまり込むと現在の現在の財政方式を容認してしまい、公的年金の抜本的解決策が見えなくなってしまう」ということなのだ。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

厚生労働省、たまには良いことをする

2007年06月26日 | 社会・経済

ファイナンシャルタイムズ(FT)に「厚生労働省がサラ金の債務者で国民健康保険の保険料を払えない人の超過金利取り戻し訴訟費用を一部負担する」という記事が出ていた。確認のため厚生労働省のHPを探したがそちらには出ていなかったが、FTの記事のポイントをピックアップしよう。

  • 厚生労働省は当該訴訟に係わる初期費用の内4分の1を支払う。
  • これにより超過金利取り戻しの訴訟が急増して、サラ金業者の負担が増えることが予想される。
  • 既にいくつかの地方自治体では税金や健康保険料を支払っていない住民のために超過金利の支払いを求める動きが始まっている。
  • 厚生労働省によると国民健康保険の被保険者世帯470万の内、19%が保険料を滞納しているという。

470万世帯の19%というと89万世帯になる。これらの世帯の人が健康保険料を支払っておらず、傷病時に十分な治療を受けることができない可能性が高い。

年金記録問題等難問山積みの厚生労働省だが、FTのニュースのとおりに動いているのであれば良いことだと思う。格差の問題は総論だけではなく、できることから具体的に国が弱者救済の姿勢を示すことが肝心だと私は考えている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自殺大国日本を救えるか

2007年06月26日 | うんちく・小ネタ

犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛むとニュースになるという言葉がある。これはマスコミは珍しい話を追いかけるとことの喩えだ。ところが人が犬を噛む話ばっかり追いかけて、犬に噛まれて多くの人が傷つく様な大問題が起きているのにマスコミが等閑視していては問題だろう。

自殺の問題にはこの様な面がある。マスコミは児童のいじめによる自殺やインターネット自殺の問題を大きく取り上げているが、それらの自殺総数に占める割合は極めて少ない。

ファイナンシャルタイムズ(FT)によると~FTは警察庁のデータによるのだが~、昨年の自殺総数は32,155人で、インターネット自殺は約90人、いじめによる自殺は242名で自殺者の1%にも満たない。一方経済的・職業的理由による自殺は9千件に上っている。

なお警察庁生活安全局が今月発表している「自殺の概要資料」によると、32,155人の自殺者の内遺書があるのは10,466人である。その内最大の自殺理由は健康の4,341人、経済問題が3,010人で職業上の理由が709人となっている。FTは経済・職業上の理由による自殺を9千件と述べているがその根拠は不明だ。

ここで冒頭の人が犬を噛む話に戻る訳だが、子供のいじめ自殺は人が犬を噛む程の稀さで大人が病気や経済上の理由で自殺をするのは、犬が人を噛む程に多いということだ。もっとも最近野犬はほとんどいないので犬が人を噛むことも珍しくなっているが。

問題は日本の自殺率の高さである。グループエイト諸国の中で一番自殺率が高いのはロシアで10万人当たり39.4人の自殺率。日本はこれについて10万人当たり24.1人だ。この自殺率は英国やイタリアの3倍以上だ。

日本で自殺が多い理由をサムライの切腹に関連つけて、文化史的な説明を試みる学者もいる。しかし1960年代から90年代にかけて日本の自殺率は国際的に見て高かったけれど、今日の様に飛びぬけている訳ではなかった。自殺率が急騰したのは、解雇が大量に発生した1998年でここに大きな転換点がある。

政府は現在自殺率を2割減らす方針で活動を始めた。関心のある方は自殺予防総合センターhttp://www.ncnp.go.jp/ikiru-hp/index.htmlを訪問されたい。

しかし問題は簡単には解決しない様だ。それは過去10年間政治がこの問題を無視してきたからであるとFTは言う。例えば抑圧された人々には精神科医のカウンセリングが必要だが、精神科医の数は不足している。過重債務による自殺を防止するためには個人破産を簡単にする立法措置が必要かもしれない。では債権者をどう保護するか?という問題がでるが、私は個人の借入状況についてあらゆる金融機関が情報を共有するしか多重債務の問題を解決する方法はないと考えている。話が横道にそれるが、今年金記録問題で話題になっている社会保障番号の導入を加速して、信用情報管理の共通番号とするべきなのである。

市場資本主義という仕組みは勝者と敗者を明確にする。敗者は経済的に傷つくが、勝者もまた高いストレスを負うことあるだろう。従って市場資本主義は心のケアと職業面の復活戦の仕組みをビルトインする必要があるのだが、日本はその仕組みを作らないままその先端に飛び出したのである。これではブレーキ不備のまま高速道路に飛び出した様なものである。

以上ざっと見た様に自殺の問題は根深くそして大きい。マスコミは全体から見れば1%程度にも満たないいじめ自殺などにフォーカスし過ぎて、もっと大きな経済的理由による自殺問題を正面から取り上げてこなかったのではないだろうか?

犬が人を噛むということも大量かつ異常に発生するとやはり重大なことなのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アグフレーション?

2007年06月25日 | 社会・経済

エコノミスト誌を読んでいるとアグフレーションという新しい造語に出会った。アグフレーションAgflation、つまり農産物のインフレだ。アメリカではオレンジジュースの値段が過去1年間で25%上昇し、卵は20%、牛乳は5%上昇している。コーンや小麦粉のような穀物類の価格は10年振りの高値になっている。

穀物価格上昇の被告はバイオ燃料である。勿論中国など発展途上国で肉食をすることが増えてきたので家畜の飼料として穀物需要が増えていることも原因ではある。アメリカでは2000年以降エタノールを作るための穀物消費が3倍になり、今ではコーンの消費量の5分の1にまで及んでいる。

エコノミスト誌はコーンの生産量を増やすことで穀物価格が安定するとは見ていない。それは原油価格が上昇することと政府がバイオ燃料に補助金を出すことで、バイオ燃料産業が利益がでるようになっているからである。従ってコーンを増産してもそれはバイオ燃料に使われる。この結果原油価格のコーン価格の動きは同じ動きを取る様に収斂する方向にある。エコノミスト誌によると穀物価格が下落するためには、政府がバイオ燃料に対する補助をやめるか原油価格が下落するしかない。

日本では食料品の価格が目立って上昇している様には見えない。これは日本が積極的なバイオ燃料政策を取っていないからである。しかしタイムラグはあるものの、食料品の価格上昇は日本にもやってくるだろう。リスク分散型の投資の観点からは、食品や代替エネルギーに投資するファンドを組み入れることも良いだろう。私はたまたまドイチェ・アセットが運用するニューリソース・ライジング・ファンドというファンドに投資しているが、基準価格は今年初めの設定以来25%近く上昇している。注目しておいて良いファンドかなぁと考えている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西東京の小さなバラ公園

2007年06月24日 | まち歩き

6月24日日曜日今にも雨が降出しそうな中をワイフと近所の小さなバラ園に行く。そこは西東京市芝久保町2丁目22、市の公園の一角がバラ園になっている。バラについては全く門外漢だが好き嫌い程度はいえる。好きなのは伝統的でバラらしいバラだ。

Princessdumonaco

このプリンセスドゥモナコは色といい形といい典型的なバラだ。

ところで昨日乾徳山の頂上でカメラを持った二人連れの中年男性がいたのでシャッターを押してあげた。そのカメラがニコンのD80。写り具合がどうだかは知らないがファインダーののぞき具合やシャッター感、カメラの手へのなじみ等中々良いカメラだった。特にファインダーは私の愛機オリンパスE300を上回るものがある。さてそのE300だが来月には新しく発売されるE510に乗り換えようと考えているところだ。問題はE300を手元においておくか下取りに出すかである。下取りにだしても値段など知れているので取っておこうか?という気もするし、少しでもドライケースの中身を整理したいという気もする。

さてこのE300だがマクロレンズと組み合わせるとニコンやキャノンに勝るとも劣らずの力を発揮するというのが私の意見だ。

Superexcelsa

これはスーパーエクセルサというバラの花の蜜を吸うアブの写真。手持ちで撮ったがボケ味も良くでていると思う。

バラの花の名前の前にフロリブンダと書かれているものが多い。帰宅後調べてみるとフロリブンダはFloribundaで花束の意味。中輪で枝分かれして沢山の花を咲かせるバラの種類を指すということだ。

次の写真はそのフロリブンダ・チンチン、名前が面白いので写真に撮ってみた。

Floribundachinchin

バラ園の中にバラとは関係がないがきれいな花があった。名前は分からない。植物図鑑を買おうと思いながら延び延びになっている。来週末にでも本気で探しに行ってみよう。

Mumei

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする