今日の新聞は年金記録問題に関連して安倍首相他関係閣僚が賞与の一部を返上し、社会保険庁の職員にも5-10%位の返上を求めるという記事を載せていた。これを読んで私を含めて大方の人が思うことは「参院選挙前のパフォーマンスか?」ということだ。もし社会保険庁の職員達に重大な職務違反があるのであれば、5%やそこらの賞与の返上でお茶を濁すべきではなく、徹底的に責任を追求するべきである。もし責任がないのであれば、返上する必要はない。この様なことを曖昧にするから政治が良くならないのである。
今回問題になっているのは、年金保険料の記録不備の話なのだが、今の国の年金制度にはそれ以外に大きな問題が沢山あるので、余りこの問題に入り込み過ぎると年金が抱える巨大な問題を見失ってしまう恐れがあるのだ。
個人の保険料の記録は極めて大切だが、記録を整備してもいざ年金を払う段になってその原資がないということになるとこれはまた大問題である。ところが多少この問題について調べている人なら、国の年金財政が破綻状態にあることは周知のところだ。
保険料の記録の重要性を強調すると、国の年金というものが民間金融機関で行っている個人年金の様なものと誤解を与える可能性がある。無論まじめに年金保険料を払っている人にとってはそう考えたいのだが、実際はかなり異なっている。ごく一例をあげると財政的に破綻している国民年金(基礎年金)をサラリーマンが払う厚生年金保険でカバーしているのである。国民年金については加入するべき人の4割の人が保険料を払っていない。つまり日本の年金の財政方式は掛け金をまじめに払う人には「積立方式です」と言いながら実態は「賦課方式的」になっているというべきなのだろう。
少し専門的にいうと日本の公的年金制度は「修正積立方式」と言われる制度だ。積立方式の反対概念が賦課方式だ。賦課方式というのは必要とする老齢者への年金給付額を、現役世代が税であれ社会保険料の形であれその時々に負担していく制度だ。
日本の修正積立方式というのは、簡単にいうと将来必要とする年金原資の一部は積み立てるけれど、足りない部分は国庫が負担するつまり税金でまかなっているという制度だ。家計で考えると積立方式の方が健全に見えるが、日本という国家レベルで考えるとそれは必ずしも正しくない。
一つは仮に年金資産が事前に積み立てられ効率的に運用されていくにしろ、日本には巨額の財政赤字がある。これは将来の世代が負担しなければいけない重荷だ。つまり年金の原資は積み立てたけれど、財政赤字をたっぷり残したいうのでは将来の世代にとって負担はかわらないのである。インフレ時には借金をしても貨幣価値が将来下がるので、実質的な負担は下がっていくが、デフレ時には借金の重みは時間とともに増えていく。日本では当面デフレを想定した財政政策を取るべきであろう。
私の基本的な主張は基礎年金に相当する部分については、積立方式ではなく賦課方式を採用するべきであるというものだ。その根拠については改めて説明したいが、次の三つのことは述べておこう。
- 税の形で今老齢者に支払う年金分を徴収するので、徴収コストが低く年金不払い問題が発生しない。
- 低金利下では事前に積み立てて運用しても安定的に高い運用収益を得ることは簡単ではない。
- 運用の問題が発生しないので、複雑な数理計算がなく、年金掛け金の計算根拠がきわめて明快になる。従って国民に分かりやすい制度になる。
- 年金先進国の欧米では基本的に賦課方式を採用している。
なお積立方式において「資産が効率的に運用されているにしろ」という仮定を置いたが、年金資金がグリーンピアのような保養諸施設に浪費されたことは周知のことだ。
積立方式の年金制度というものは巨額の資金が生まれるため、様々な利権が発生し、それが年金官僚のモラルの弛緩を生んでいる。このことも別の機会に述べたいことだ。
今日言いたいことは「年金の掛け金記録というものは大事だが、そこにはまり込むと現在の現在の財政方式を容認してしまい、公的年金の抜本的解決策が見えなくなってしまう」ということなのだ。