昨日(5月22日)「殿、利息でござる」を観た。面白い映画だったし、昔の日本の私財をはたいて村を救済した人がいたことに感激した。また現在のお金で3億円という大金を仙台藩に貸し付け、その金利で年貢を相殺するという金利感覚にも感心した。
だが少し深く考えてみると、この話の裏には「江戸時代の税制の歪み」があったと思われる。
江戸時代の税の基本は年貢と諸役(小物成、夫役など)でその主な担い手は農民であった。この映画で問題になったのは隣の宿場から運ばれてくる年貢米を次の宿場に搬送する「伝馬役」という諸役である。農民による労働力の拠出である。
ただしこので伝馬役等の夫役については江戸後期以降は金銭で代納することが多くなってきたようだ。これを夫役銭と呼ぶ。
この映画では当初は労働力を提供していたが、仙台藩に千両を貸し付けた後は利息相当分が夫役銭になり伝馬役が免除となる。
これを経済的に見ると「村が藩に資金を貸付て利息を受け取る」「税金を労働力の提供から金銭納付に変える」という二つの取り決めに分解することができる。更にいうと仙台藩は40年後にこのアレンジメントを一旦保護にしたというから、前者は「利息付き納税資金の前納」ということもできる。
さて本題は村のために税金を支払った商人たちの行為は手放しで「私財を投げ打った美談」と考えてよいかどうか?という点である。
その問題は「商人たちは本来自分たちが支払うべき税金をそれまで十分支払ってきていたか?」という問題である。
このケースにおいて「商人たちが十分税金を支払っていたかどうか」は分らない。だが二つのことが言える。まず一般論として江戸時代の税は「田畑の大きさ」に比例して課税される年貢と役務提供力に対して課税される夫役が中心でその担い手は農民だったということだ。商人については「上納金」という形で一時的に課税されることがあったが、一般的には農民の納税負担に較べると極めて軽かったと言われている(時代や地域によって当然異なるが)
次に貧しい宿場町の商人でも10人集まれば3億円の資金が拠出できたということは、造り酒屋や金貸し業は農民に較べればもの凄く儲かる仕事だったということができる。
もし江戸時代に現在のような累進型の所得課税制度があれば、彼等商人たちは沢山の税金を払うことになり、結果的には農民が夫役を提供することなしに済んだことになるだろう。そうするとこの映画もなかった訳だが・・・・
つまり江戸時代の商人は「道路網、港湾施設、治安」といった幕府や藩が提供するインフラに対し相当タダ乗りしていた面が多く、そのしわ寄せは農民にいっていたいうことができる。
従って今日の公共経済学や税制を踏まえて考えると商人たちの行為は本来負担するべき課税義務を履行したともいえるのである。もっとも商人が税金を支払わなかったのは商人の責任ではない。商工業に担い手に対する有効な課税手段を作り出すことができなかった幕藩体制に責任がある。農地課税を政策の根幹に据えて変更することができなかった幕藩体制が商工業の発展とともに崩壊に向かったのは必然の帰結である。
面白い映画の感想にしては理屈っぽい話になってしまいました・・・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます