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映画「関ケ原」、役所「家康」の熱演を楽しむ

2017年08月28日 | 映画

昨日映画「関ケ原」を観にいった。

近年では稀な歴史大作だ。映画は岡田准一演じる「石田三成」と役所広司演じる「徳川家康」の対立を主軸に展開する。

映画は司馬遼太郎の「関ケ原」をベースにしているが、映画らしい味付けもある。石田三成が心を惹かれる女忍者・初芽(有村架純)の登場などは原作にないアレンジだ。

出演者の熱演を楽しむことができる映画だったが、圧巻は役所広司演じる家康だったと私は思った。特に特殊メイクで家康が太鼓腹を示すシーンに圧倒された。平岳大演じる島左近も迫力があった。

馬上から手槍を投げるシーンでは、岡田・三成の身体能力の高さが目に付いた。もっとも本物の石田三成がこれ程の武芸達者であったかどうかは分からないが。

映画は「野望」の家康対「正義」(豊臣家への忠誠)の三成という構図で展開していく。これは司馬遼太郎のストーリーの通りなのだが、私は関ケ原の戦いの原因はそのように単純なものとは見ていない。

むしろ対立軸としては秀吉家臣群の中の「戦闘軍団」と「統治官僚」の戦いという色合いが強い。戦闘軍団は秀吉の天下取りの戦い(賤ケ岳の合戦など)を通じて秀吉政権の創業に貢献があったグループだ。一方石田三成を中心とする統治官僚グループは、太閤検地などを通じて政権基盤の確立を進めてきたグループだ。

「戦闘軍団」と「統治官僚」の対立は「地方分権的な封建制度」と「官僚による中央集権制度」の対立軸であったともいえる。

仮に関ケ原の戦いで石田三成が勝ったとすれば、戦後の体制は「官僚による中央集権」色が強いものになっていただろうと私は考えている。

もっとも関ケ原の一戦に西軍が勝ったとしても、懐の深い家康がそのまま首を取られたり、屈服する可能性は低いから、封建制の東国と中央集権的な西国の対立がしばらく続いた可能性の方が高いかもしれない。

関ケ原の戦いの後、成立した徳川政権は信長・秀吉と続いた絶対王政的政権ではなく大名連合的な封建制度であった。そして徳川政権は「戦闘軍団」的な大名集団を巧みに地方官僚集団に転換していったといえる。

日本に中央政権が成立するのは約270年後の明治維新である。封建体制では西欧列強の中央政権による帝国主義に対抗できなくなったからである。

関ケ原の戦いで封建制度が確立し、中央政権の動員能力が低下した結果、無用な海外侵略が行われず、パクス・トクガワーナと呼ばれる250年以上の平和な時代が続いたことを思うと「家康の野望」は悪いものではなかったともいえる。

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