このところコロナウイルスの感染者数が激減している。その理由について専門家は色々な仮説を述べている。「ワクチン接種効果」「夜間の外出が減った」「医療危機意識が伝わり感染対策が一層進んだ」などだ。ワクチン効果についてはある程度認められるが、感染対策が一層進んだという意見についは、疑問を感じる。街中でマスクをしている人は以前から多かったし、商業施設などへの入所時の手の消毒なども以前から多かった思う。
むしろ私が注目したいのは「エラーカタストロフの限界」仮説だ。これは「ウイルスは変異しすぎると自滅する」という50年ほど前に発表された仮説だが、インドでデルタ株の出現で最悪の事態が起きた後、十分な対策が取られなかったにも関わらず感染者が急減した。この時この現象を説明する仮説として注目されたのが「エラーカタストロフの限界」仮説だった。
私は今回の日本の感染者数急減の理由にエラーカタストロフがあるのかどうか断言するほどの材料は持っていないが、政府主導で行ってきたコロナ対策が奏功して感染が激減したとも考えていない。もちろん部分的にはコロナ対策が効果を発揮していることは間違いないが、ウイルス側の何等かの自壊現象もあるのではないかと考えている。物凄く平たくいうと「日にち薬」効果である。
さてここからが本題。
日本はコロナウイルス感染危機対策から何を学び、社会や経済活動の改革に活かすことができたか?ということだ。
例えばアメリカでは、テレワークが進み、コロナウイルス感染危機が後退した後もハイブリッド勤務を認める会社が増えてきた。ハイブリッド勤務というのは3日会社に出社・2日自宅勤務といった勤務形態だ。
最新にニュースでは、アマゾンは今週月曜日に従業員が何日会社に出社して何日在宅勤務をするかは、各チームの責任者の判断に任せると発表した。各チームの責任者がどのレベルなのかははっきりしないが、全世界で130万人の従業員を抱えるアマゾンとしては、個別事情により勤務形態を弾力的に取り扱うという判断に至った訳だ。
アメリカの大手企業は、コロナウイルス感染危機を勤務形態を見直すチャンスとして利用することができたということができるだろう。
詳しく説明はしないが、在宅勤務を拡大するためには、上司部下の間のコミュニケーション、同僚間のコミュニケーションの維持や情報共有ツールが必要だ。勤務形態の見直しに踏み込むことができた企業はこれらのツールを実装したといえる。勤務形態の弾力化は「働き方改革」や「地球温暖化対策」にも効果的だ。
イギリスでは、ジョンソン首相が非常時だけに許される強力な権限を発動し、ロックダウンに踏み切った。古代ギリシア都市国家に端を発する民主主義の一つの欠点は、緊急事態時に強力なリーダーシップが発揮できないことだった。一方オリエントの専制君主制度の問題は、平時において不必要に強いリーダーシップが発揮され過ぎることだった。前者にアメリカ・イギリスを、後者を中国を当てはめるとこれは現在でも通用する政治形態のモデルの特徴を表している。
この視点から日本のコロナ対策を見ると、緊急事態に強力なリーダーシップを発揮できない日本のガバナンスの大きな問題点を露呈したといえる。コロナ対策を南海トラフ大地震や他国による日本への侵略的攻撃などと置き換えて考えると日本の危機管理体制が非常に危ういものであることが容易に想像がつく。
今もしコロナウイルス感染危機がこのままフェードアウトして、以前の日々が戻ってきたとすれば、日本に何が残るだろうか?コロナ対策のために特別給付金などのために使った膨大な債務と飲食業や旅行業等の傷ついたバランスシートだけである。
そしてコロナウイルス危機を克服したのは「妥当な政策対応の結果」などと安易な総括をされたらたまったものではない。
危機はどの国にもどの会社にも同様に訪れる。国を良くするか?会社を良くするか?は危機から何を学び、次のステージでどう活用したか?が重要なのだと私は考えている。