新型コロナウイルス問題は「政治におけるリーダーの判断と決断の重要性」を改めて認識する機会になった。そして危機の局面では必ずしもリーダーがベストの判断を示すことができないという事実を改めて認識する場もある。過去に経験のない事態なので優れたリーダーといえども判断を誤る可能性はあるのだ。
だがそれでもリーダーは判断を下し続けなければならない。そしてリーダーはその下した判断の結果に責任を負わなければならないのである。
最近読んだ「知らないと恥をかく世界の大問題」の中で著者の池上彰氏は中曽根康弘元首相の「政治家というものは一生懸命やることをやらなくてはいけないが、究極的には歴史法廷の被告席に立たされる」という言葉を名言として紹介している。
リーダーが負う責任とは結果責任である。判断を誤った政治家は選挙で敗れ下野せざるを得ない。更にその判断の誤りが著しい場合は歴史の法廷で断罪されることになる。
リーダーはポピュリズムに陥ってはいけない。政治で重要なことは、国民の長期的な幸福を追求することであり、一時的な困難を避け安逸な道を選ぶことではない。従って政治の仕組みには、リーダーにある程度の独裁的権限を与える必要がある。一方その独裁的権限を行使できる期間は限定的に設計する必要がある。
このようなシステム構築に成功したのは古代ローマのディクタトル(独裁官)制度だった。
アメリカの大統領制度はこのディクタトル制を範としているが、今日の世界の政治システムの中では良くできている制度だと私は思う。
私は新型コロナウイルス問題がなければ、トランプ大統領は再選されていたと思う。彼の掲げた政策の良し悪しは別として、公約実現度は高かった。しかしコロナのハンドリングは誤った。故に大統領選を失ったのである(非常に議論を単純化しているが)。
コロナ対策の内重要なものについては、トップ自らが判断するべきである。官僚任せではいけないのだ。何故なら官僚は結果責任を取ることができないからである。官僚は業務遂行マニュアルや上司の指示に従って業務を遂行した場合、重大な過失や悪意がない限り結果責任を問うことはできない。もし結果責任を取って直ぐに首になるようなシステムであれば官僚になる人はいなくなる。
故に政治のリーダーは歴史の法廷に立つ覚悟でコロナ問題のように前例のない難局に立ち向かう必要がある。