昨日(5月20日)大阪梅田で大学山岳部の同期会があった。私が某NPO法人の仕事で関西にでかけた機会に仲間が同期会をセットしてくれたのである。
この歳になると、働いている人が半分、完全リタイアした人が半分である。各々が選択した仕事の性質や個々人の健康状態、あるいはやりたいコトがライフスタイルを決めているのだから、他人を羨む必要も自分の生き方を自慢する必要もない。
そこにあるのは大学での岩登り・雪壁登りを卒業した後、人生の別の壁を登ってきた男達のそれなりの人生だ、ということだ。
大学時代山登りにロマンを求め、俗世に染まることを潔しとしないなどと言っていた男達も結局社会のシステムにすくい取られ、その中で何らかの壁を登ってきたのだろうと思う。社会のシステムとの折り合いの付け方には多少の巧拙はあったかもしれないが。
大成功した男もいないが、世間に迷惑をかけるような男もいない。もっとも本人たちはその時その時を真剣に生きてきたのだろうが、巨視的に見ると夏の尾根道を重い荷物を担いで登っていく登山者の列の中の一人に過ぎなかったとも言える。
私は自分たちの人生を卑下するつもりはない。ただ客観的に見るとそのようなものだろうと思っている。そしてそのような登山者の群れが社会を支えているのであり、むしろ良き一社会人であったことを誇りに思いたい。
山登りから学んだことは多いが、自分を客観視する冷静さが、私が山から教わった最大の教訓ではないだろうか?
社会のシステムにすくい取られてきた山男達に再び好きなことができる時間が戻りつつある。山歩きを続けるのも良いし、世界を放浪するのも悪くないだろう。少し自分を突き放して客観視できる視座がある限り、大きく道を踏み外すことはあるまい。