日本のことを日本のメディアからではなく、外国の新聞から学ばねばならないことは残念である。今日(5月29日)のニューヨーク・タイムズは「日本のメディアは検察庁が流す情報を丸投げ」という記事を書いていたがこれもその一つだ。
記事は西松建設からの政治献金問題で小沢前民主党代表の公設秘書が逮捕された件について、検察庁の政治的意図と検察ベッタリの大手メディアの報道を批判する。記者のFackler氏は保守論壇の中西輝政京大教授の意見から述べはじめる。曰く「マスメディアは国民にとって何が重要かということを告げることに失敗している。日本は政府を変えて、政治的マヒ状態から脱却するチャンスを失おうとしている。国民がそのことを知らない内に」
実際のところ公設秘書逮捕以来落ちていた民主党の支持率は、鳩山代表選出後若干反発している。だが選挙見通しが混沌としていることに変わりはない。
記事によると日本のジャーナリストは小沢前代表に厳しく、全般的に検察寄りであることを認めているが「メディアは単に検察の発表を繰り返しているだけだ」という批判には怒りを示している。ニューヨーク・タイムズはこの点について朝日新聞に質問したところ、朝日からは「朝日は検察のリークだけをもとネタに記事を発表することは決してなかった」と書面で反論してきた。
だが日本のジャーナリスト達は彼らの報道が日本の新聞の独立性に疑問を起こさせることを認めている。上智大学の田島康彦教授は「ニュース・メディアは権力の監視者であるべきだが、彼らは権力の番犬のように振舞っている」と述べる。原文ではThe news media should be watchdogs on authority, but they act more like authority's guard dogs. Wachdogもguard dogも「番犬」だが向いている方向が逆だ。国民のために権力を監視するのがwatchdogで、国民の眼から権力を守るのはguard dogという訳だ。
日本のメディアが検察庁の意向にそった報道しかできない理由は「記者クラブ」制にある。検察の意向に逆らうと「記者クラブ」出入り禁止となって記事が書けなくなるからだ。ニューヨーク・タイムズによると全国紙より積極的な東京新聞は自民党の西松建設政治献金問題を報道したため、3週間の記者クラブ出入り禁止となった。何故なら検察庁はこの件を公(おおやけ)にすることを望んでいなかったからだ。
社会民主党の衆院議員・保坂展人氏は「小沢氏がターゲットとなったのは、民主党が検察庁を含む官僚機構の簡素化をスローガンに掲げていたからだ」と信じていると述べたとニューヨーク・タイムズは伸べている。
☆ ☆ ☆
ニューヨーク・タイムズは「米国であれどこであれ、ニュース・メディアは政府に近過ぎるという同様の批判を受けているが、日本はより問題が大きい」と述べている。特に日本は「記者クラブ」という仕組みで、大手メディアに政府報道鵜呑みの記事を書かせていることが批判の対象になっている。
我々は時々海外のメディアにも眼を通して、日本丸の位置確認をしておく必要があるということだろう。