「姿見の池」を出てから日立の中央研究所の横を通って国分寺駅南口に向かった。この中央研究所は春秋年2回各一日だけ一般公開をしているとホームページhttp://www.hqrd.hitachi.co.jp/crl/garden/main.htmに出ていた。来春都合が合えば寄ってみたいところだ。さて次の訪問予定先は駅前の殿ヶ谷戸(とのがやと)庭園だが、昼時なのでその向かい側のカフェ「ほんやら洞」で昼食にする。ワイフはスパゲティで私はチキンカレー。この店のオーナーはシンガーソングライターの中山ラビさんということだが、この道に疎い私は中山さんを知らないので特段の感銘もなく、裸電球がむき出しの店内でゆっくりランチを頂いた。私は規格化されたチェーン店よりもこのように古い感じの店の方が落ち着くので好きである。
さて殿ヶ谷戸庭園だが紅葉は今が盛りである。
殿ヶ谷戸庭園は満鉄副総裁の江口定條氏が別邸として設けたものを昭和4年に三菱財閥の岩崎彦弥太氏が買い取ったもので、昭和49年に東京都が買収するまで岩崎氏の別邸として利用されていたものだ。
因みに東京都は9つの都立庭園を持っているが、私の記憶が正しければその内の4つが岩崎家の手を経て都立公園になっている。すなわち台東区の「旧岩崎邸庭園」、文京区の「六義園」、江東区の「清澄庭園」そしてこの「殿ヶ谷戸庭園」である。前の3つは以前に行ったことがあるが、殿ヶ谷戸庭園は今日始めての訪問である。
1.8万㎡弱の公園はそれ程広くはないが、国分寺崖線のへりにあり公園内に結構高低差があり公園を広く見せている。
庭園内では中高年の写真愛好家が盛んに紅葉の写真を撮っている。デジタル一眼レフを使っている人も結構多い。デジタル一眼レフは中高年の良い趣味になりつつあるのだろう。
殿ヶ谷戸庭園を後にして国分寺跡へお鷹道沿いに散歩する。途中大きな長屋門を持った古い屋敷が幾つかあるが表札は「本多」である。後ほどインターネットで調べたところ江戸時代に国分寺村の名主が本多家で天保年間には本多良助氏なる人物がいることが分った。ただ現時点ではこれ以上この本多家については分らなかった。いずれ調べてみたいところだ。
さて国分寺の前の楼門を写真に撮る。ここも撮影ポイントのようでアマチュアカメラマンが何人も撮影タイミングを計っていた。
ここから少し西北に行き石段を登ると国分寺薬師堂がある。この御本尊の薬師如来は国の重要文化財だが今は御尊顔を拝することはできない。秋に年一回の御開帳があるということだ。やむなく蔀越しに少し長いお祈りを捧げる。「早く肋骨が元通りにつながり健康になります様に」・・・何とも現金なお願いである。国分寺からは西国分寺駅に行く方が近いのでそちらに向かう。元気であれば何程の散歩でもないのだが、肋骨が折れていたり太股の打撲痛が残っているので段々筋肉がこわばり疲れが出てくるのが分った。弱った体には中々チャレンジングが国分寺巡りの半日だった。
下の地図は私が歩いたルートであるが、西国分寺駅発でこちらに戻るプランもこの地域の散策では面白いものだろう。