追憶の彼方。

思いつくまま、思い出すままに、日々是好日。

日の丸、君が代

2016年12月12日 | 文化・文明
幕末から明治初頭にかけて日本に滞在したイギリス外交官が日本文化の発展に果たした役割は極めて大きい。
イギリスの外交官W・G・アストンは、かの有名な「一外交官の見た明治維新」の著者であるアーネスト・サトウと共に日本語の動詞の理論を研究し、この結果を基に1869年と1871年には日本語文法書を出版、1896年には日本書紀の英訳本を著し1899年には日本文学史を出版している。
又バジル・ホール・チェンバレンは東京帝国大学で教鞭を執る傍ら「日本古代の詩歌」「英訳古事記」著わし、ラフカデイオ・ハーンにも影響を及ぼした。
この人物を調べているうちにチェンバレンが「君が代」を英訳しており日本の専門家からも高い評価を得ているが当時「君が代」も「日の丸」も正式に日本の国歌・国旗ではなかったことが判明した。
祝祭日には必ず「日の丸」が掲揚され、学校ではまるで意味も分らぬままに何となく厳かな気持ちになって「君が代」を歌っていたがどうもあれは国旗・国歌では無かった様だ。
東京オリンピックでの日の丸、君が代に感激したのは何だったのか等々全く狐にキツネにつままれたような話、一種の詐欺行為ではないかと思うに至った。

手許に「日の丸・君が代50問・50答」と言う本がある。
これによると1999年3月卒業式直前の、県教育長と教職員組合の板挟みで広島県立世羅高校の校長の自殺事件が発生し、これが発端と成って早々に国旗・国歌の法制化の論議が始まり1999年8月9日に法案が成立した。
条文はたったの2条。 
国旗国歌法は本則2条、附則3項、別記2により構成される法律である。
第1条 国旗は、日章旗とする。
第2条 国歌は、君が代とする。
附則 施行期日の指定、商船規則(明治3年太政官布告第57号)の廃止、商船規則による旧形式の日章旗の経過措置。
別記 日章旗の具体的な形状、君が代の歌詞・楽曲。
これ以外、何もなし。ただ、日の丸・君が代が国旗・国歌に正式に昇格しただけの事である。

日の丸・君が代…(2)に続く

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