追憶の彼方。

思いつくまま、思い出すままに、日々是好日。

クスっと来る話(続)…(2)

2024年07月22日 | 癒し

クスっと来る話…(1)…丸ビル

大阪の友人が久々に東京に出て来ると言うので、奮発し丸ビル36階のレストランを予約しアクセスも含め本人に連絡して置いた。ところが時間を過ぎても本人が現れないので、Lineで呼びだしたところ、東京駅南口改札を出て周りを見回したが丸ビルらしきものが見つからず、ウロウロしていたが、売店の人に聞いて事情が分かったので今向かっているとの事だった。成る程小生も含め大阪の人間にとって、丸ビルとは下の写真の通り文字通り丸いビルを指しており、恥ずかしながら私自身、東京の丸ビルが(丸の内ビル)だと気づいたのは比較的最近の話である。

ディスコ、ホテル、それに電光掲示板の3点セットで大阪人を魅了した円いフォルムの丸ビルは兎に角、印象が強い建物だった。特に来京した友人は過って子供達との待ち合わせ場所を左側の角と指定して仕舞った結果、何処か分からず子供たちの信用を無くしたという逸話の持ち主だった。

この大阪丸ビルは西梅田一帯の地主で、(大日本どケチ教)教祖を名乗り大阪財界のドンと言われた吉本晴彦がフジタ工業(当時)に依頼し建てたものである。吉本晴彦は元サントリー副会長の鳥井道夫、森下仁丹社長だった森下泰とともに「大阪の三ケチ」と呼ばれ、ベストセラーとなった『どケチ人生』 の他、『どケチ商法』『どケチ革命』『どケチ生活術』の著作で大阪人の心をつかんだ事でも有名であった。

昭和51年に開業した「大阪丸ビル」は大阪駅から徒歩3分、地上31階、高さ120メートルでデイスコブームの火付け役「マハラジャ」、「大阪第一ホテル」、多くのレストランや物販店等35のテナントが入居し、ビルの屋上には大阪駅のホームからも見える「電光掲示板」が設置され、ニュース・天気予報等の他に有料でメッセージ表示のサービスもあった。プロポーズ言葉を表示したカップルや、平成元年2月3日には、4時56分に合わせ、数字が「123456」と並んだ電光掲示板の映像が話題を集めた。大阪梅田のランドマークとしての役割を演じて来たこの丸ビルも老朽化もあり、昨年解体された。

クスっと来る話…(2)…その他

(何気ない男女の会話)…女性「どうしたの?深刻そうな顔して・・・」、男性「ちょっと悩んでんだ、まあほっといてくれよ。」、女性「ふーん、じゃあ話変わるけどさぁ、髪薄くなった?」、男性 「話変わってねーよ」

(就職活動での質疑応答)…面接官「学生時代後悔してることはありますか?」、俺「女性関係です。」 面接官「何があったんですか?」 俺「何もなかったんです。」 その場で内定をもらいました。社内恋愛禁止というルールは入社後に知らされました。

(パパと息子の会話)…日曜の昼下がり。パパと幼い息子のやりとり。息子「なんで僕には妹も弟もいないの?」 パパ「それは、お前が夜遅くまで起きてるからだよ」

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