追憶の彼方。

思いつくまま、思い出すままに、日々是好日。

あなおそロシア…4

2022年06月28日 | 国際政治
あなおそロシア…4
スターリン信奉者プーチンの登場(2)…プーチンの目指すもの

米国元駐ロ大使Ⅿ・マクフォールの分析を一部借りれば、「プーチンはソ連崩壊後の10年間、その崩壊に主導的役割を演じた人々の下で、忠実に働いて居り、1999年エリツィン大統領により大統領代行に任命された当時はソ連崩壊を受容していたと思われる。今はソビエトの崩壊に反対だったと主張しているが、当時は、欧米志向で市場原理に基づく考えを必ずしも拒否せず(EUへの加盟すら考えていた節がある)。そのプーチンが自らの考えを一変し、ロシアをより独裁的な手法で統治する必要性を感じたのは、下院選挙に於ける不正疑惑が発端で自身が率いる政権に対する大規模なデモが起き、自らの政治的基盤に危険を感じたことが大きな起爆剤となった。」
とりわけ民主主義やその支持者に対して病的なほどに疑い深くなり、遂にはスターリンの「独裁主義」を通り越し、ピョートル大帝の「専制主義」を渇望するに至る迄、変貌してしまったのである。その大きな契機となったのが2014年、ウクライナで大規模な市民の抗議活動でロシア寄りの政権が崩壊した「マイダン革命」であった。プーチンは、「アメリカの支援を受けたネオナチによる政権奪取だ」と陰謀論を展開、ウクライナ領・クリミア半島をロシアに併合し親露派武装勢力に命じてドンバス地方を戦争に巻き込むなど、クリミア危機・ウクライナ東部紛争へとエスカレートさせていったのである。
青少年期からスパイに憧れ自分を育てたKGB時代に培われた猜疑心の強いメンタリテイが、市民社会の意思決定には極めて懐疑的となり、背後に西欧諸国による世論操作が有ると陰謀論に陥りやすい性癖が頭をもたげ始めたのは間違いない。ロシアの民主化団体、リベラルなジャーナリズム、野党等の政権に対する批判勢力、彼等はロシアに在り乍ら、外国の為に働く裏切り者と言うのである。 こうした世界観に基づいて、スターリン時代の人権弾圧を調査・記録する団体「メモリアル」を解散に追い込み、反プーチン運動の指導者・野党党首のアレクセイ・ナヴァリヌィをKGBお決まりの手法、神経剤による毒殺で抹殺しようとしたが失敗した為逮捕に切り替え、メディアやインターネット空間に対する統制を強めてきた。  戦争が始まってからは、政権の意向に沿わない報道を続けるテレビ局やラジオ局を閉鎖し、TwitterやFacebookといった西側のSNSもブロックしている。情報管制、反政府運動への弾圧はソ連・スターリン暗黒時代、監視社会へ逆戻りさせたが、プーチンの本性が現れたと見るべきだろう。
ウクライナのマイダン革命は、ウクライナにとっては「脱ロ入欧」「民主主義=人間の尊厳」への道であったが、プーチンにとっては「民主主義の否定」と「大国主義」への契機となった。
かってプーチンは米・ブッシュ大統領に対し「ウクライナは神がロシアに与えた特別な土地だ」と述べたと伝えられて居リ、EUやNATOに加盟すれば永遠にロシアの手から離れてしまう恐れがある。ロシアとウクライナは同じスラブ民族であり文化的、歴史的に見ても「一つの国」であったし、大ロシア,中ロシア、白ロシア(ベラルーシ)3国によるスラブ統一国家を作りたいと言う帝国主義的野望が水泡に帰す恐れがある。
更にこの野望を実現する為にはウクライナに対する欧米の影響を排除して置く事が不可欠である。既にウクライナは民主主義国家であるが、民主主義はロシアの独裁主義体制に対する大きな脅威になる可能性が大きい。民意によって指導者、政権が代わり得る事になれば、プーチンの様な独裁者が神経剤や放射性物質を使ってが政敵を抹殺して来た事実が表面化し、自らの生命に関わる事態に至る事が目に見えている。ウクライナが武力でロシアに侵攻することなどあり得ないが、最大の脅威はプーチン体制を破壊しかねない民主主義がロシアに浸透して来る点にあり、これを阻止する為に武力を使ってウクライナの体制転換を図る必要があったのである。
もう一つはプーチンの大国思考である。プーチンにすれば東西冷戦構造を終結させたのはロシアの努力に依る処が大きい。其れにも拘らずEUやNATO加盟国はロシアを評価せず、大国として遇する事をしないばかりか、ロシアの意向を無視してソ連から独立した国を次々EU,NATOに取り込んでいるとの不満がある。
プーチンの耳に聞こえて来る「産業無き核大国」、「資源の呪いに覆われた国」「図体の大きい北朝鮮」と言う様なロシア評を払拭し、世界に大国として認めさせるには、ウクライナを取り込む必要が是非とも必要であると考えているのである。
ウクライナは鉄鉱石・チタン等の鉱物資源も豊富であり、とりわけ小麦の輸出余力は大きい。ロシアは輸出余力世界トップで両者合わせると、石油・天然ガス以上に世界(市場)を支配することが出来る途方もない戦略物資であり、核兵器と合わせて硬軟取り混ぜ世界を支配する強力な武器となると睨んでいる可能性が強い。
更にウクライナの科学技術力の高さである。欧州で数多くのウクライナの科学者が活躍し、ソ連の宇宙科学にも大きな貢献をして来たと言う経緯がある。とりわけIT分野では東欧のシリコンバレーと言われる程で公共サービスは略デジタル化され、スマホで完結する迄進んで居り、ロシアにとっても垂涎の的である。ウクライナ避難民の人達が老若問わず、スマホの画像を見ながら自由に連絡を取り合っているのは目を見張る光景である。
もう一つプーチンを悩ましているのがロシアの人口危機である。人口の減少は経済規模の縮小に直結し,益々「大国への道」から遠ざかる。ロシアの人口学者の試算では現在1億4千5百万人の人口は、2035年迄に1千2百万人減少する可能性がある。プーチンは2021年極東の小学校で1917年のロシア革命と91年のソ連崩壊が無ければ「我々の人口は今5億人だったはずだ」と嘆息交じりに話したと伝わっている。
クリミア半島の住民を計算に含め、更に「パスポーティゼーション」政策で親ロ派武装集団が実効支配する東部ドンパス地方の住民にロシアのパスポートを発給し「ロシア人」としてカウントするような事迄行っている。ジョージア侵攻で使ったのと同じ手法であるが人口減を食い止める為には見境が無い程追い詰められているようである。2020年年次教書演説で「ロシアの運命は我々の数に掛っている。」と訴え少子化対策に多額の予算を回したが、歯止めが効かず、人道回廊と称してウクライナ人を有無を言わせずロシアに避難・誘導し、子供の誘拐報道も後を断たない。ウクライナ政府発表によれば5月末時点で23万人の子供を含む130万人のウクライナ人がロシアに移住させられ、過疎地であるシベリヤや極東に定住するよう強制されていると伝えている。(ウクライナ側のプロパガンダの可能性もあり、割り引いて受け止める必要があるかもしれない。只、5月25日付で新たに占領したへルソン州などの人民にロシア・パスポート発給促進の大統領令に署名したのは事実である。)
ウクライナ人口の取り込み成否は別にして、ロシアにとって頭の痛い問題が山積している。
一つは政権批判分子に対する弾圧や、欧米の経済制裁逃れの為の若者及び頭脳流出である。ロシア当局の5月の発表によれば、1~3月ですら出国者は380万人、その勢いは増している。侵攻前から海外移住者が毎年4~50万人、特に18~24歳の若者の過半数が移住希望を持っていると調査結果が出ている。一方スラブ人の海外流失に反し、イスラム教徒の多い地区での出生率は2前後を維持し,尚且つ中央アジアからのイスラム教徒の移民が多い為、スラブ系の割合は現在の80%から2050年までに60%まで下がる可能性があると人口学者が指摘する。
ロシア政府高官はスラブ人によるロシア正教社会を維持する為にウクライナ、ベラルーシが是非とも必要であると述べている。ウクライナ侵攻は元々少ない20代の若者を犠牲にして居り、人口問題の行く末に暗雲ともなっている。


あなおそロシア…5
ロシアの今後…に続く
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あなおそロシア…3

2022年06月18日 | 国際政治
あなおそロシア…3
スターリン信奉者プーチンの登場(1)
ロシア人は非常にプライドが高く、インテリでさえ自分達は他の民族よりも優れて居り、ロシアは特別な国であると信じている節がある。この為帝政ロシア時代も、社会主義ソ連の時代も、そして凋落した今のロシアでさえ、大国である、或いは大国として存在したいという厄介な国・傍迷惑な国、それががロシアであり、誰よりも大国意識が強いのがプーチンなのである。ロシアはあたかもアメリカと対峙する「大国」のように振る舞っており、国際世論の非難の嵐を受けながらも、国際原則を平気で無視する行動をとり続けるのは、ロシアは大国だから誰に遠慮する必要も無い、名実共に大国であることを確固たるものにする為の必要不可欠な行為なのであると、強く信じ切っているからである。その信念は幼少期からの経験に基づく所が大きい。プーチンの青少年期1960~70年代のソ連は絶好調で、『ガガーリンによる世界初の有人宇宙飛行』を成功させ宇宙技術は世界トップ、73年と79年にはオイルショックによる原油価格の高騰により、ソ連経済は順調に成長を重ねていた。同時期アメリカはベトナム戦争にも完敗し、疲弊して活気を失っていたこともありロシア人の多くは「まもなく米国を追い越せる」と信じ切っていた時期でもある。

1922年に成立し1991年に崩壊したソ連は、アジアとヨーロッパにまたがる世界最大の多民族国家で、その面積2240万2200平方キロメートルは地球の全陸地面積の6分の1弱を占め、アメリカ合衆国の約2.4倍、日本の約60倍に相当した。100以上の民族が住み、人口は2億9010万(1991)で、中国、インドに次いで世界第3位であった。ロシア連邦になってからは領土は米国の2倍近く、日本の45倍もあるが、人口は1億4400万人強で、日本より2000万人ほど多いに過ぎず、それも年々減少傾向にある。主な産業は、広大な国土から産出される豊かな資源で、原油の生産は世界3位、天然ガスの輸出量は世界一、穀物大国で小麦、大麦、トウモロコシの輸出は世界有数である。宇宙開発においてはトップ級の技術を持ち、日本人宇宙飛行士の多くを国際宇宙ステーション(ISS)に運んだのはロシアのロケットである。ただし、核兵器や宇宙産業のような国策産業以外の技術力では日本や他の先進国より大きく劣って居り、其の為、経済規模を表す国内総生産(GDP)は170兆円ほどで、米国の10分の1以下、日本の3分の1以下、G7(主要7カ国)各国だけでなく韓国をも下回る11位に過ぎない。兵力でも、ソ連崩壊時140万人だったロシア陸軍は28万人(陸上自衛隊の2倍)に減り、別組織の空挺(くうてい)軍と海軍歩兵を加えて地上戦兵力は36万人で、装備も旧式の時代遅れのものが多いと言われている。 そんなロシアが、世界トップとして誇っているのが殺人兵器・核兵器の数である。核弾頭保有数は米国を上回り、プーチンは核兵器の使用を脅迫の道具に使うなど、ロシアにとっては核兵器が「力の源泉」と言えるだろう。この様に見てくると今やロシアが世界に誇れるのは、領土、核兵器、化石燃料、穀物、宇宙開発技術程度で、経済体制、産業構造、技術開発力などの経済力を決定づける基本的な要因から見て『大国』と言える材料は極めて乏しいと言わざるを得ない。
プーチンはロシアがこのような状態に陥ったのは1991年のソ連崩壊に有ると見ており、ソ連崩壊を「20世紀最大の地政学的悲劇」、「歴史的過ち」であると広言し、ソ連邦の復元、ロシア帝国の栄光を取り戻すことが名実ともに『大国』へ復帰する為に不可欠であり、今回のウクライナ侵攻も『失地回復』であると戦争を正当化しているのである。
この様な背景もあって、プーチンが世界で最も尊敬する人物はロシアの近代化と大国化を推進した「ピヨートル1世(大帝)」であると広言している。(大国化はエカテリーナ2世にも引き継がれ、プーチンはこの女帝も褒め称えて居る)
17世紀はじめ(1613年)に成立したロシア・ロマノフ朝は、スウェーデン王国、ポーランド王国に圧迫され、東ヨーロッパでは弱小勢力にすぎなかった。国内では農奴制の上に有力貴族が存在し、産業も未熟で、近代的な軍隊の創設が急がれていた。ロマノフ朝の君主は自国の後進性に気づき、制度・産業の西欧化を進める必要性を痛感し、特にピョートル1世(大帝)は西ヨーロッパ諸国に習った国家の創出をめざし、自ら大視察団の一員に加わって、産業・軍事・税制・官僚制などで特にプロイセンを手本とした改革が行われた。日本・明治維新の岩倉欧米視察団もプロイセンの官僚制を手本として改革を行って居り、服装も和服を改め、ちょん髷を断髪にするなど洋風化を進めたが、ピョートルも外遊から帰国すると、その服装も西欧風に改めた。其の上挨拶にきた貴族を捕まえては、そばに控えた召使に羊毛用のハサミを持たせ、あごひげをちょん切ってしまった。ロシアの貴族は昔からあごひげを蓄える習慣があったが、ピョートルは「新しいロシア」にはそぐわないと、貴族たちのあごひげを切ってしまったのである。
ピヨートルの大国化は目覚しいものがあった。南下政策ではオスマン帝国が支配する黒海沿岸に進出し黒海に繋がるアゾフ海に面したアゾフを奪取して一帯を支配する拠点を構築した。北方政策ではバルト海の覇権をめぐってスウェーデンとの20年の長期に亙る北方戦争を戦い、緒戦に敗れたが、それを機に軍備を整え、バルト海沿岸に面して新都のペテルブルクを建設して長期戦に備え1709年に勝利し1721年講和約を締結してバルト海の制海権を得た。1712年にはサンプト・ペテルブルクを建設して遷都し、西欧への窓口とした。これによって、バルトの覇者としての地歩を確保した。軍備では特に海軍の育成に努め、バルト海沿岸に要塞・基地を建設、これを拠点とするバルチック艦隊を創設した。
日露戦争の際東郷(平八郎)が打ち破ったロシア艦隊は、はるばるこの基地から派遣され、途中物資補給の為の寄港をフランス、英国等が拒否した為、強力艦隊が疲弊し敗戦に繋がったと言われている。
東方進出に付いては、シベリア進出を推し進め、1689年清国の康煕帝との間で国境を画定する条約を締結した。また1697~99年、コサックの隊長にカムチャツカ探検を命じ、日本との通商路を探っている。
プーチンが崇拝するエカテリーナ2世も領土拡大に大きな力を発揮した。オスマン帝国との2度にわたる露土戦争(1768年-1774年、1787年-1791年)に勝利してウクライナの大部分やクリミア・ハン国を併合しバルカン半島進出の基礎(ヤッシーの講和)を築くこととなった。
6月9日、ピョートル大帝の生誕350年記念イベントに出席したプーチンは若手起業家たちとの会合で、こう述べた。  「ピョートル大帝が、新しい首都サンクトペテルブルクを建設した時、ヨーロッパのどの国もロシアの領土と認めなかった。誰もがスウェーデンだと認識していた。しかし、スラブ系の人々がずっと住んでいて、その領土はロシアの支配下にあった。ピョートル大帝は何をしたのか。スエーデンを打ち破り領土を取り返し、国を強化したのだ。それが、彼の行ったことだ。そして、我々も領土を取り返し、国を強化する番だ」。ピョートル大帝は領土を奪ったのではなく「取り戻した」のだと主張し、「自分自身を守るために、戦わなければならないのは明らかだ。350年前とほとんど何も変わっていない」とピョートル大帝と自らを重ね合わせ、ウクライナ侵攻を暗に正当化したのである。プーチンの行動原理は此処に全て集約されて居り、周辺諸国がロシアを恐れる理由もここにある。


スターリン信奉者プーチンの登場(2)…プーチンの目指すもの
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あな!おそロシア…2.

2022年06月03日 | 雑感
あな!おそロシア…2...
殺人鬼プーチンの登場まで
 
黒海とカスピ海に挟まれた北海道より小さい南コーカサスの美しい小国、ジョージア(旧グルジア)、臥牙丸・栃ノ心の両力士の出身地として多くの人が知る処となったが、帝国主義復活を目論む「21世紀最悪の大虐殺者・プーチン」のロシアと言う国に隣接して居たが為に、2008年自国内の(南オセチア自治州とアブハジア自治共和国)の独立を支持するロシアを相手に、21世紀最初のヨーロッパの戦争を戦う羽目に陥った。短期ながらも被害甚大で一週間足らずで20万人近い国民が居住地を追われ、更に悪い事に独立宣言した地にロシア軍の駐留を許す事態となった。これに味を占めたプーチンは「ロシア系住民が、どこに住み、どこで働いていようと守る」と公言するようになった。日本に対しても4年前のロシア人権評議会で、「アイヌ民族をロシアの先住民族に認定する」として北海道に対する足掛かりを付けるかのような発言をし、又野党「公正ロシア」の党首は今年4月「どの国にも願望があれば、隣国に領土要求を提出できる。ロシアは北海道の権利を有している」とうそぶき、スターリンが夢見た北海道奪取を実現せんと国家挙げて領土的野心を剥き出しにしている。
南アメリカ大陸を上回る世界最大の領土面積を誇るロシアが世界を敵に回して迄、何故かくも領土拡張に狂奔するのか。ユーラシア大陸の北に位置するロシアにとってロシア帝国・ソ連の時代から経済発展、軍事力増強等・国力高めるには、凍らない港(不凍港)が不可欠であり、それを求めて南下政策が国策となった為、国境を接する国がこれを阻止しようと、衝突が多発した経緯がある。 イギリスのナイチンゲールが活躍し、トルストイも参戦したクリミヤ戦争(1853~56年)で手痛い敗北を喫した帝政ロシアはヨーロッパでの南下を諦め、極東に矛先を向け日露戦争に繋がったのである。ロシアの南下政策と領土拡張主義がある以上、日本から騙し取った北方4島の日本への返還する意思など全く無く、返還と言う甘い餌を道具に使って、経済援助等の外交の成果を勝ち取る。相手を騙し、脅迫するKGBのやり方そのものである。返還を期待してプーチンに擦り寄った日本の政治家など、外交音痴の最たるものであろう。
第二次世界大戦後、米ソ二大国を軸として西側=資本主義陣営、東側=社会主義陣営、西側のNATOと東側のワルシャワ条約機構の軍事同盟網と言う世界を東西に二分する冷戦構造が長期に亙って続いた。しかし1950年後半ごろ、核兵器開発競争反対の世界的広がり、アジア・アフリカ等の第3世界の台頭と発言力強化、更には米ソ両軍事大国の軍事費優先の経済は夫々行き詰まり、アメリカは貿易赤字・財政赤字に苦しみ、ソ連も80年代の原油価格低迷と硬直した共産党官僚支配が災いし経済が極度に悪化した。1956年2月、ソ連共産党第20回大会でフルシチョフによるスターリン批判がおこなわれ、国内での「雪どけ」と共に外交政策は平和共存に転換した。冷戦を終わらせる大きな役割を担ったのはソ連としては珍しい学士の最高指導者(モスクワ大学法学部卒)のゴルバチョフであった。若きソ連共産党書記長はペレストロイカ(政治・経済体制改革・経済再建)とグラスノスチ(情報公開)を柱としたソ連社会主義体制の自由化に乗り出したことが最大の変化要因であった。このソ連の変化が東欧諸国の体制変革をもたらし、この東欧革命によって1989年11月東西冷戦の象徴であったベルリンの壁の開放へと一気に進み、翌1990年10月のドイツ統一という象徴的な出来事によって冷戦時代は終った。変化は東から起こったが、政治・経済不安から各共和国内部に民族分離独立志向が高まり1988年11月遂にソ連で初めて、エストニアが国家主権を宣言、リトアニア、ラトビアが続き、このバルト3国に追随し翌89年5月ジョージアも独立を宣言した。
1989年にブッシュ対ゴルバチョフによるマルタ会談で冷戦集結が宣言された。1991年8月保守派共産主義者によるクーデターは鎮圧されたが、ゴルバチョフは経済悪化で国民の支持を失い12月共産党指導者を辞任、ソ連解体を公式に発表、ソ連崩壊となった。ソ連崩壊により東ヨーロッパや中央アジアの旧ソ連各国の経済は大混乱に陥いった。1991年末ロシアのエリツイン大統領とウクライナ、ベラルーシのトップが「ソビエト連邦はもはや存在しない」と宣言すると同時に、ソ連に代わる独立国家共同体(CIS)を創設する「合意書」が調印された。
ジョージアとバルト三国を除く旧ソ連邦諸国がCISに加盟し、ソ連邦崩壊後もロシア連邦でエリツインが初代大統領となった。
8年の長期に亙るエリツイン政権も拙速な市場経済化による深刻な物資不足がハイパーインフレーションを誘発し、貧富の差の劇的な拡大など、多難を極めた。社会主義から資本主義へと国家体制の移行の過程で国家資産の私物化により巨大の富を手に入れた新興財閥・オリガルヒが発言力を増し、政治腐敗が蔓延、政治体制も混乱した。資源大国で資源価格依存の経済体制ロシアは、原油価格が90年代後半は1バレル=10ドル台にまで低下、金融・為替政策の失敗もあって巨額の資本逃避が発生し98年にデフォルトに追い込まれる事態となった。インフレ・高金利等経済の大混乱の末1999年末、エリツィンは電撃的に大統領辞任を表明。大統領代行にウラジーミル・プーチンが就任した。

スターリン信奉者プーチン…へと続く
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