追憶の彼方。

思いつくまま、思い出すままに、日々是好日。

童謡・赤とんぼ

2016年08月15日 | 想い出

高校1~2年生の頃、好きな読書の合間に兄のハーモニカをこっそり失敬して、見よう見まねで童謡を吹いていたのを思い出し、思い切ってネット通販でTOMBO-BAND 21穴福音ハーモニカを購入した。
驚いたことに自転車の運転と同じで、演奏には何の支障もなく少し練習すれば童謡はもとより全く演奏したことのなかった「昴」や「襟裳岬」「花は咲く」など結構上手く吹くことができ、そんな趣味があるとはゆめ知らなかった妻を驚かせた。

YouTubeで森麻季の「赤とんぼ」を聞いて、この思い入れのある童謡を是非ハーモニカで吹いてみたいと思ったのが購入のきっかけである。

赤とんぼ
「1.夕焼け小焼けの、あかとんぼ、 負はれて見たのは、いつの日か」
  4人兄弟の末っ子、遅くして生まれた為、母が溺愛していたと二人の姉から折に触れ聞かされた。特に若くして結婚し早逝した長姉は母が夕餉の準備で忙しい夕暮れどき決まって私を背負わされ夕焼けを見ながら子守歌を歌って聞かせたと言われ続けていたので、当時の事など覚えている筈も無いのに、この童謡と同じような状況を姉の背中で経験しその情景をよく覚えているとすっかり脳裏に刷り込まれてしまった。
子供の頃トンボが大好きだったのも影響したのかもしれない。  
小学3年生、大阪の外れにあった家の近くには田んぼや畑が沢山あり小川での水泳や魚とりなど遊ぶことに事欠かなかったが、とりわけトンボ採りは名人級で近所の子供たちのガキ大将だった。 4~50センチの糸の両端に小石を括り付け赤や黄色のセロハンでくるんだ道具を夕方集まってくるトンボに放り投げると糸が羽や胴体に絡まって落ちて来るのを生け捕りにする。青ヤンマの雌、羽の茶色いのが狙い目、羽が白い雄はあくる日の為に逃がしてやる鷹揚さだった。あくる日は近所の川に男や女の子5~6人を引き連れ、細い木の棒の先に1.5メートルほどの糸を結び付け、その先端に青ヤンマの雌を括り付けて飛ばすと面白いように大きなブルーの美しい雄の青ヤンマが寄ってきて交尾した瞬間に捕まえる。当にトンボ採りの醍醐味だった。とったトンボは引き連れた子供の指の間に保管しておき、家に帰って全員で公平に山分けした。
おもちゃなど何もなかった時代、遊び道具は自分達で色々工夫し幸せな子供時代だったと云う思いが強い。

「2.山の畑の、桑の実を、小篭に,つんだは、まぼろしか 」
小学一年生になる直前に、母親の祖母の本家筋に当たる大きな農家に母親と二人の姉の4人で疎開した。長い土塀の所々が納屋になっていてその一つに住まわせてもらったのだが同じころ疎開してきた本家の従兄弟一家は母屋に住んでおり、本家・分家の扱いの差を嫌というほど味わった。 母は畑を借りて野菜などを作っていたが、食料不足で毎日ひもじい思いを
していた。そんな空腹を紛らすことが出来たのは本家に嫁いで来た若奥さんが庭で作る干しイモだった。夜皆が寝静まった頃を見計らって、母と長姉に隠れて下の姉に連れられ失敬するのが何よりの楽しみだった。干した芋が歯抜け状態になっていたので若奥さんは気付いていた筈だが何も云わずいつも通り優しく接してくれた。
もう一つは桑の実だった。 本家は養蚕を行って居り母屋の広い屋根裏が殆ど蚕の飼育場になっていた。この蚕の餌になる桑の葉の刈り取りに駆り出されお駄賃に籠いっぱいに積んだ桑の実をもらって一家で楽しんだ。 初夏,赤い実が黒ずんできた頃が食べごろで甘酸っぱい味は何とも言えず美味しかったが、あの時以来生の桑の実に出くわすことは全くなく寂しい限りである。

大阪の老人ホームにいる姉は認知症が進み記憶に問題が出ているが、当時のことは私よりはるかに記憶が確かで毎週電話するが、時に干しイモと桑の実の話になると、声が一変し笑いを交え話が途切れない程饒舌になる。干しイモは今でも大好きだが、姉は見るのも嫌と言って大声で笑う。
三木露風作詞、山田耕作作曲の「赤とんぼ」 昭和58年NHK世論調査で好きな童謡のナンバーワンに選ばれている。
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