「テルテル総理ご都合主義の改革路線」
喫緊の課題・政治改革…(5)
人類は幾度となく大きなパンデミックを経験し、世の中を大きく変革させる契機となったが、とりわけその影響が大きかったのは14世紀ヨーロッパで流行した黒死病(ペスト)である。ドイツ・バイエルン州のアルプスに囲まれた小さな村では10年に一度、村人総出で世界最大規模の「キリスト受難劇」を上演する。村人がペストの猛威に慄き、神に救いを求めたが、その記憶を留め置こうと、「キリストの受難と死と復活の劇」を10年に一度上演すると誓ったことに始まり、今に至るまで、400年近く続いている。それほど、ペストの恐怖は、ヨーロッパ人の記憶に深く刻まれている。そのペストによって労働力・人材が急激に減少し、農民の流動化や、荘園制の崩壊加速に繋がり、新たな人材の登用も招来した。更にペストの脅威を防ぐことのできなかった教会がその権威を失った事も手伝い、封建的身分制度は実質的に解体へと向かった。それは人々に新しい価値観を芽生えさせ、イタリアを中心にルネサンスの契機となって、文化的発展に繋がった。封建社会と神中心の世界観の束縛から解き放たれ、人間性の自由・ヒューマニズムと個性の尊重という近代社会の原理を生み出す源となった。ペスト以前と比較すれば、ヨーロッパ社会は中世が終焉、近代を迎えて全く異なった社会へ大きな変貌を遂げたのである。
今回の新型コロナのパンデミックも今迄とは異なる世界出現の予兆を感じさせる。変化の度合いは国によって異なるけれども、後進性を色濃く抱える日本ではヨーロッパのペストによってもたらされた「旧秩序(アンシャンレジーム)」の変革に迫るものになる可能性も強い。
パンデミックは社会にはびこる格差・不平等・差別主義・価値観の相違・政治家の能力差、日本の場合は国家システムの後進性・老朽化等を顕在化した。
エッセンシャル・ワークが正当な評価を得られず、ブルシット・ジョブが社会を席巻し大きな報酬・富を得て不平等、格差を拡大している事も明らかになり、それを知った多くの人が自らの価値観を変革し始めた兆候も見られる。
麻生副総理は昨年6月、日本のコロナ死者数が欧米と比較して少ないのは、「民度のレベルが違う」と胸を張った。この発言を受けて建築家で名古屋工大名誉教授・若山滋氏は「このウイルスに対する各国の対応とその成否から、国家の『権力』と『民力』の実態が見えてくる、日本の「権力」は弱く「民力」は強い、国の内外で多くの人々がそう感じている」と述べている。「民力」とは麻生の言う「民度=国民の判断力・行動力・モラル」とすれば、「権力=政府の政策力と統制力」であり、如何に「高い民力」が「低劣な日本の権力」をカバーし何とか均衡を保ち得ているのだと言う結論に辿り着く。
コロナと闘う世界各国のリーダーの中で、成果を出せずに『精いっぱい取り組んでいる』と言い訳するのは、恐らく菅首相ただ一人、一生懸命が通用するのは凡そ小・中学生位迄で、以降の年代では無能を推し量るバロメーターとなると言う声も聞こえる。菅は一国の指導者というより政治家失格、「失礼じゃないですか」の逆切れ発言に拍手喝采をする自公議員達、全く同じ低レベルの「権力」集団と言う他ない。
ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相(39歳)、台湾の蔡英文総統(63歳)、ドイツのアンゲラ・メルケル首相(65歳)、フィンランドのサンナ・マリン首相(34歳)、アイスランドのカトリーン・ヤコブスドッティル首相(44歳)、ノルウェーのアンナ・ソールバルグ首相(59歳)、デンマークのメッテ・フレデリクセン首相(42歳)、世界的に見て、このコロナ危機に上手に対処している国のリーダーに女性が多いということに注目が集まっている。彼女達に共通する特質は男性と女性の長所である「強さと優しさ」を兼ね備え、特に注目すべきはその卓越したコミュニケーション能力である。国民の恐怖・不安を感じとる想像力、人々に寄り添い励ます共感力、滲み出る知性、それらに裏打ちされた自分の頭で考えた言葉を発するからこそ、国民の信頼を得、高い支持率となって現れるのである。
「自助・共助・公助」「最終的には生活保護がある」、想像力・共感力は皆無、無味乾燥で愛情の欠片も見えない日本の菅首相発言、呂律もおかしく注意深く聞けば奇妙な日本語を発し、挙句原稿の棒読みでは国民の共感など得られる筈も無い。緊急事態宣言発表の最後に「今一度、ご協力を賜ります事をお願いして(私からの挨拶)とさせて頂きます」と言う結婚式紛いの演説を聞いた国民の多くが唖然とし「大丈夫か?」と不安を搔き立てられるようでは、リーダー失格である。
政治家の言葉は人が共感し、協力しようと奮い立たせるものでなければならないが、残念ながら森・小泉・安倍・麻生・菅・二階、この十数年日本の政治を動かしてきた“oldboysclub”代表格の様な連中には、上記の様な女性政治家やフランス・イタリーのトップにみられるような知性に裏打ちされた発信力など凡そ期待できない。曽て森は選挙に際し「無党派層は関心が無いと言って寝ててくれば良い」と暴言を吐き世の顰蹙を買ったが、この連中は同程度の頭脳回路、非難されると「誤解を受けたとすれば遺憾」と他人に責任転嫁し、自己の「発信力・表現力・知性の欠如」の露呈に全く恥じるところがない。小泉元首相の「ワンフレーズ・ポリティクス」の流れを汲み、短い言葉で断言して物事を単純化、丁寧な説明を軽視し国会は数の力で押し切る強引な手法が定着した。政権トップは軽薄・乱暴な言葉に恥じることが無く、権力をメデイアの口封じに乱用された。コロナ対策が後手後手だとの批判に二階は「一々政府にケチをつけるもんじゃない」と恫喝して話題になったが批判を「ケチをつける」程度にしか考えられない意識の低さである。
上に挙げた女性リーダーが国民の強い支持を得るのは彼女達が「国民の生命・財産や自由・人権を守り不安や恐怖から解放する」と言う政治の基本を忠実に実行しようとする姿勢・熱意に溢れるのと同時に、トランプや日本の政治家の様なme-first(自分第一)の気配が微塵も感じられないという事も大きなポイントとしてあげられている。
この10数年日本を牛耳って来た日本の政治指導者達は「優秀な女性を排除する男性優位の温室の中で最初から下駄をはかせてもらい」「地盤・看板・カバン」によって自分達に都合のいい聖域を作り上げ、私利私欲・利権まみれの政治行って来たが、最早現体制による政治支配は財政的にも持続不可能状況が見えて来た。ともすると「ボケ疑惑」が浮上するレベルのoldboysclubメンバーには早々に舞台から退場願い、女性を中心にした斬新なメンバーの登場が日本を破滅から救う道であろう。そもそも男性が女性より優れて居ると言うような根拠は何もない。古来サッチャーの様な例外を除き、戦争を始めるのは短絡脳の持ち主・ギャンブル好きな男性である。女性の政治家は(いちかばちか)の賭けに出て国家・国民を破滅させ死に追いやるような戦争など先ず考えない。国民を幸せにするのは女性政治家の方が確立が高いのは最近のコロナ対応でも明らかになった。
国連は2015年、持続可能な開発目標一つとして2030年までに真のジェンダー(男女区別)平等の実現を掲げた。女性の社会的地位向上は道徳的には勿論の事、経済的にも大きなメリットがある事が判明した。最近の調査報告では、男女格差が多大なコストを生んで居り、国家が男女間の社会的平等を進めれば、教育・健康面の改善や1人当たり所得の増加、経済成長の加速、国際競争力の強化などに繋がると指摘している。特に日本や韓国、ペルシャ湾岸諸国など、女性の就業率が低い国々では格差解消によりGDP(国内総生産)を2桁押し上げる事が可能だと迄述べている。
そんな中で飛び出したのが森・東京オリ・パラ組織委員会長の女性蔑視発言と後継指名問題のドタバタ劇である。この問題で明らかになったのは、森に限らずoldboysclubメンバーである日本の指導層のジェンダー意識の低さと後任使命時に見せた意思決定の不透明さである。森会長が規約を無視し元日本サッカー協会会長の川淵氏(84)を後任に要請した経緯が「密室」との批判を受けて設置された検討委も、検討内容は一切非公開、結局は路線に沿って森会長の息がかかった五輪相の橋本聖子氏(56)に決定し森の院政体制が維持される事になった。森にとっては自民党以来今に至る迄やってきた事を其の儘踏襲しただけで罪悪感など微塵も無い。そこに問題の根の深さ、問題の大きさがある。
菅首相は一連の問題を問われ、「私が判断する問題ではない、組織委で人事を決める。独立した法人しての判断を尊重する立場だ。」と啖呵を切ったが、それでは日本学術会議が推薦した会員候補6人の任命拒否との整合性をどうとるのか。学術会議は10億円の税金を投入している政府機関であり、会員は公務員であるから、政府には任命する責任がると述べていたが、大会組織委員の役職員は見做し公務員であり、オリ・パラ大会には膨大な税金が投入されている。明らかにダブルスタンダード、ご都合主義の最たるものである。
次回は政治改革を中心に
「テルテル総理ご都合主義の改革路線」
喫緊の課題・政治改革…(6)へ続く
喫緊の課題・政治改革…(5)
人類は幾度となく大きなパンデミックを経験し、世の中を大きく変革させる契機となったが、とりわけその影響が大きかったのは14世紀ヨーロッパで流行した黒死病(ペスト)である。ドイツ・バイエルン州のアルプスに囲まれた小さな村では10年に一度、村人総出で世界最大規模の「キリスト受難劇」を上演する。村人がペストの猛威に慄き、神に救いを求めたが、その記憶を留め置こうと、「キリストの受難と死と復活の劇」を10年に一度上演すると誓ったことに始まり、今に至るまで、400年近く続いている。それほど、ペストの恐怖は、ヨーロッパ人の記憶に深く刻まれている。そのペストによって労働力・人材が急激に減少し、農民の流動化や、荘園制の崩壊加速に繋がり、新たな人材の登用も招来した。更にペストの脅威を防ぐことのできなかった教会がその権威を失った事も手伝い、封建的身分制度は実質的に解体へと向かった。それは人々に新しい価値観を芽生えさせ、イタリアを中心にルネサンスの契機となって、文化的発展に繋がった。封建社会と神中心の世界観の束縛から解き放たれ、人間性の自由・ヒューマニズムと個性の尊重という近代社会の原理を生み出す源となった。ペスト以前と比較すれば、ヨーロッパ社会は中世が終焉、近代を迎えて全く異なった社会へ大きな変貌を遂げたのである。
今回の新型コロナのパンデミックも今迄とは異なる世界出現の予兆を感じさせる。変化の度合いは国によって異なるけれども、後進性を色濃く抱える日本ではヨーロッパのペストによってもたらされた「旧秩序(アンシャンレジーム)」の変革に迫るものになる可能性も強い。
パンデミックは社会にはびこる格差・不平等・差別主義・価値観の相違・政治家の能力差、日本の場合は国家システムの後進性・老朽化等を顕在化した。
エッセンシャル・ワークが正当な評価を得られず、ブルシット・ジョブが社会を席巻し大きな報酬・富を得て不平等、格差を拡大している事も明らかになり、それを知った多くの人が自らの価値観を変革し始めた兆候も見られる。
麻生副総理は昨年6月、日本のコロナ死者数が欧米と比較して少ないのは、「民度のレベルが違う」と胸を張った。この発言を受けて建築家で名古屋工大名誉教授・若山滋氏は「このウイルスに対する各国の対応とその成否から、国家の『権力』と『民力』の実態が見えてくる、日本の「権力」は弱く「民力」は強い、国の内外で多くの人々がそう感じている」と述べている。「民力」とは麻生の言う「民度=国民の判断力・行動力・モラル」とすれば、「権力=政府の政策力と統制力」であり、如何に「高い民力」が「低劣な日本の権力」をカバーし何とか均衡を保ち得ているのだと言う結論に辿り着く。
コロナと闘う世界各国のリーダーの中で、成果を出せずに『精いっぱい取り組んでいる』と言い訳するのは、恐らく菅首相ただ一人、一生懸命が通用するのは凡そ小・中学生位迄で、以降の年代では無能を推し量るバロメーターとなると言う声も聞こえる。菅は一国の指導者というより政治家失格、「失礼じゃないですか」の逆切れ発言に拍手喝采をする自公議員達、全く同じ低レベルの「権力」集団と言う他ない。
ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相(39歳)、台湾の蔡英文総統(63歳)、ドイツのアンゲラ・メルケル首相(65歳)、フィンランドのサンナ・マリン首相(34歳)、アイスランドのカトリーン・ヤコブスドッティル首相(44歳)、ノルウェーのアンナ・ソールバルグ首相(59歳)、デンマークのメッテ・フレデリクセン首相(42歳)、世界的に見て、このコロナ危機に上手に対処している国のリーダーに女性が多いということに注目が集まっている。彼女達に共通する特質は男性と女性の長所である「強さと優しさ」を兼ね備え、特に注目すべきはその卓越したコミュニケーション能力である。国民の恐怖・不安を感じとる想像力、人々に寄り添い励ます共感力、滲み出る知性、それらに裏打ちされた自分の頭で考えた言葉を発するからこそ、国民の信頼を得、高い支持率となって現れるのである。
「自助・共助・公助」「最終的には生活保護がある」、想像力・共感力は皆無、無味乾燥で愛情の欠片も見えない日本の菅首相発言、呂律もおかしく注意深く聞けば奇妙な日本語を発し、挙句原稿の棒読みでは国民の共感など得られる筈も無い。緊急事態宣言発表の最後に「今一度、ご協力を賜ります事をお願いして(私からの挨拶)とさせて頂きます」と言う結婚式紛いの演説を聞いた国民の多くが唖然とし「大丈夫か?」と不安を搔き立てられるようでは、リーダー失格である。
政治家の言葉は人が共感し、協力しようと奮い立たせるものでなければならないが、残念ながら森・小泉・安倍・麻生・菅・二階、この十数年日本の政治を動かしてきた“oldboysclub”代表格の様な連中には、上記の様な女性政治家やフランス・イタリーのトップにみられるような知性に裏打ちされた発信力など凡そ期待できない。曽て森は選挙に際し「無党派層は関心が無いと言って寝ててくれば良い」と暴言を吐き世の顰蹙を買ったが、この連中は同程度の頭脳回路、非難されると「誤解を受けたとすれば遺憾」と他人に責任転嫁し、自己の「発信力・表現力・知性の欠如」の露呈に全く恥じるところがない。小泉元首相の「ワンフレーズ・ポリティクス」の流れを汲み、短い言葉で断言して物事を単純化、丁寧な説明を軽視し国会は数の力で押し切る強引な手法が定着した。政権トップは軽薄・乱暴な言葉に恥じることが無く、権力をメデイアの口封じに乱用された。コロナ対策が後手後手だとの批判に二階は「一々政府にケチをつけるもんじゃない」と恫喝して話題になったが批判を「ケチをつける」程度にしか考えられない意識の低さである。
上に挙げた女性リーダーが国民の強い支持を得るのは彼女達が「国民の生命・財産や自由・人権を守り不安や恐怖から解放する」と言う政治の基本を忠実に実行しようとする姿勢・熱意に溢れるのと同時に、トランプや日本の政治家の様なme-first(自分第一)の気配が微塵も感じられないという事も大きなポイントとしてあげられている。
この10数年日本を牛耳って来た日本の政治指導者達は「優秀な女性を排除する男性優位の温室の中で最初から下駄をはかせてもらい」「地盤・看板・カバン」によって自分達に都合のいい聖域を作り上げ、私利私欲・利権まみれの政治行って来たが、最早現体制による政治支配は財政的にも持続不可能状況が見えて来た。ともすると「ボケ疑惑」が浮上するレベルのoldboysclubメンバーには早々に舞台から退場願い、女性を中心にした斬新なメンバーの登場が日本を破滅から救う道であろう。そもそも男性が女性より優れて居ると言うような根拠は何もない。古来サッチャーの様な例外を除き、戦争を始めるのは短絡脳の持ち主・ギャンブル好きな男性である。女性の政治家は(いちかばちか)の賭けに出て国家・国民を破滅させ死に追いやるような戦争など先ず考えない。国民を幸せにするのは女性政治家の方が確立が高いのは最近のコロナ対応でも明らかになった。
国連は2015年、持続可能な開発目標一つとして2030年までに真のジェンダー(男女区別)平等の実現を掲げた。女性の社会的地位向上は道徳的には勿論の事、経済的にも大きなメリットがある事が判明した。最近の調査報告では、男女格差が多大なコストを生んで居り、国家が男女間の社会的平等を進めれば、教育・健康面の改善や1人当たり所得の増加、経済成長の加速、国際競争力の強化などに繋がると指摘している。特に日本や韓国、ペルシャ湾岸諸国など、女性の就業率が低い国々では格差解消によりGDP(国内総生産)を2桁押し上げる事が可能だと迄述べている。
そんな中で飛び出したのが森・東京オリ・パラ組織委員会長の女性蔑視発言と後継指名問題のドタバタ劇である。この問題で明らかになったのは、森に限らずoldboysclubメンバーである日本の指導層のジェンダー意識の低さと後任使命時に見せた意思決定の不透明さである。森会長が規約を無視し元日本サッカー協会会長の川淵氏(84)を後任に要請した経緯が「密室」との批判を受けて設置された検討委も、検討内容は一切非公開、結局は路線に沿って森会長の息がかかった五輪相の橋本聖子氏(56)に決定し森の院政体制が維持される事になった。森にとっては自民党以来今に至る迄やってきた事を其の儘踏襲しただけで罪悪感など微塵も無い。そこに問題の根の深さ、問題の大きさがある。
菅首相は一連の問題を問われ、「私が判断する問題ではない、組織委で人事を決める。独立した法人しての判断を尊重する立場だ。」と啖呵を切ったが、それでは日本学術会議が推薦した会員候補6人の任命拒否との整合性をどうとるのか。学術会議は10億円の税金を投入している政府機関であり、会員は公務員であるから、政府には任命する責任がると述べていたが、大会組織委員の役職員は見做し公務員であり、オリ・パラ大会には膨大な税金が投入されている。明らかにダブルスタンダード、ご都合主義の最たるものである。
次回は政治改革を中心に
「テルテル総理ご都合主義の改革路線」
喫緊の課題・政治改革…(6)へ続く