追憶の彼方。

思いつくまま、思い出すままに、日々是好日。

羽田空港飛行ルート新設

2016年12月19日 | 政治・経済
日本政府は2020年までに観光立国として訪日外国人年間4,000万人の目標を掲げて居り、五輪開催やその後を見据え、羽田の機能強化は不可欠として、国土交通省が羽田空港の国際線の発着枠を拡大し、都心上空を通る飛行ルートの新設を計画している。

羽田空港の東京湾利用の「海側から着陸し、海に向かって離陸する」と言う基本方針を捨て去り、都心の市街地上空を低空で飛行することを認めると言う事らしい。

航空機の通過は高度900m対象地域が《練馬区、中野区、新宿区、渋谷区、和光市、朝霞市、志木市》 450m通過対象地域が《目黒区、港区、品川区》となっており、
東京スカイツリー634m 、東京タワー333m 東京都庁243m と考え合わせると当に狂気の沙汰以外の何ものでもない。

先ずは騒音。WHO(世界保健機関)は騒音公害を大気汚染の次に深刻な環境汚染であると位置付けている。

予想される音の大きさ(瞬間最大値)
着陸時
高度900m 新宿・中野・埼玉県南部付近 約63~70デシベル
高度600m 麻布・恵比寿・渋谷付近 約68~74デシベル
高度300m 大井埠頭・大井町付近 約76~80デシベル
離陸時
高度670m~885m 川崎市川崎区・千鳥町・水江町付近 約71~80デシベル

騒音の比較;60デシベル:静かな乗用車・普通の会話
        70デシベル:騒々しい街頭・掃除機・電車のベル
        80デシベル:地下鉄の車内(窓を開けた状態)

この様な騒音を絶えず聞かされると精神状態に異常をきたし、犯罪や事故を誘発する恐れがあるし、更には難聴や不眠症、最近では心臓病、糖尿病の引き金になると言う研究結果もある。


過密都市上空での航空機事故や、落下物の影響 の大きさは計り知れない。
よく航空機は自動車等と異なり事故は少ないと言われるが所詮は機械、エンジントラブル等による墜落事故は避けられないし、その2次災害の影響は想像を絶する。
航空機部品や氷塊の落下も深刻な問題である。住宅や人間に直撃した場合一体だれが責任を取るのか。航空機の特定が出来なければ損害賠償も請求できないし、そもそも利益最優先の格安航空会社等に機体整備の徹底を叫んでも馬の耳に念仏であろう。
氷塊も不可避で人命にも影響する。スカイツリーでは通行禁止区域を設けているほどである。
ガソリンによる排気ガスも例え悪臭を感じなくとも長期に亙って吸い込めば喘息や肺がんに繋がる危険性も無視できない。
国交省や厚労省は事故や健康面から真剣に検討しているとはとても思えない。
市街地を低空で飛び危険空港として世界的に有名になっていた香港の啓徳空港も新国際空港に切り替わった。
市街地上空を低空で飛ぶような国際空港など世界のどこにもない。
日本には成田と言う立派な国際空港があり羽田との間を高速鉄道で結べば危険な空路をつくらなくても極めて便利なハブ空港となるのではないだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バレーボール会場

2016年12月15日 | 政治・経済
東京五輪・パラリンピックのバレーボール会場が「有明アリーナ」(江東区)に決まったらしい。「有明」の整備費が、当初計画から65億円削減可能と判明し「横浜アリーナ」も検討時間不足という事で断念したという。
財政面からも新しい箱モノは不必要、出来るだけ現存施設を活用して五輪予算削減に注力すべきと言うのが大方の国民の意見だろう。
五輪選手や役員から新しい立派な施設をつくれと言う声が伝わってくるが、五輪終了後に負の遺産になって国民、都民が背負って行かなくなるようなことは絶対に避けるべきである。

五輪予算で2兆、3兆と言う景気のいい話がマスコミをにぎわしているが、一方では国立大の教員一人当たりの研究費が年間3万円と言うような厳しい話も聞こえてきている。

2004年の国立大学独立法人化から毎年、運営費交付金を削り続けた結果、世界の大学ランキングから日本勢は姿を消しつつある。 
五輪予算との落差があまりにも大きすぎるのではないだろうか。立派な施設がなくとも世界で活躍するスポーツ選手は幾らでもいる。
資源の乏しい日本の将来は教育に懸かっている事に改めて留意すべきであろう。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日の丸・君が代…(3)

2016年12月13日 | 文化・文明
日の丸は明治3年(1870年)の太政官布告(57号、651号)により日本の軍艦、商船の「船印」として正式に認められる事になった。
それ以前、戦国時代は武将が領土拡大の為、他国に侵略する旗指物、権力を誇示するために、分かりやすく目立つ日の丸が盛んに使われ、大阪夏の陣で徳川方の四分の一の武将の旗印が日の丸だったと言われている。江戸時代には幕府の幕府米回漕の船印として使われ権力を誇示する為に日の丸が使われていたという記録がある。
明治3年5月には陸軍の旗が定められ、同年10月海軍旗(軍艦旗)が定められた。しかしこのような旗以上に権威があったのが「菊の御紋章」である。これを基に明治22年(1889年)天皇旗、皇后旗、皇太子旗、皇族旗が制定された。
昭和6年(1931年)日の丸を国旗とする「大日本国旗法案」が衆議院を通過したが、貴族院では議題にも上らず廃案となった。天皇が国家そのものであり天皇旗が有るのでそれ以外を国旗に出来なかったといわれている。

明治3年の太政官布告が廃止され国旗の形状が定められたのは、百年以上経過した1999年8月9日、日本で初めて国旗・国歌法案が成立した時点である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日の丸、君が代…(2)

2016年12月13日 | 文化・文明
「君が代」について多くの書物では紀貫之による勅撰集「古今和歌集」に収録された賀歌の一つと紹介されている。
しかし読み人知らずのこの歌は「わがきみはちよにやちよにさざれいしの…」となっていて実際には長寿の人を祝う為の歌で天皇だけを対象にするものでは無かったという事である。
ところが宮内庁保存の「和漢朗詠集」(13世紀編)では「きみがよは…」に書き換えられており、鎌倉、江戸時代を通じて謡曲、祭礼歌等として公家・武家・庶民の間で縁起の良い歌として歌われていたようである。
将軍家や公家の間では「君がよは…」の君は「あなた」ではなく主君、君主を指す言葉に変質し、明治以降は天皇を指す言葉に変わったと言われている。

チェンバレンが英訳したのは勿論「君が代は…」A thousand years of happy life be thine! Live on, my Lord、 till what are pebbles now,である事は言うまでもない。
 
「君が代」の意味を学校で教わった記憶は全くないが、天皇を中心とする国家主義的な内容を感じ取り何となく親しみが涌かず現在に至っているというのが本当のところである。

日本国政府の公式見解は、「(「君」とは)『日本国憲法下では、日本国及び日本国民統合の象徴であり、その地位が主権の存する国民の総意に基づく天皇のことを指す』『『代』は本来、時間的概念だが、転じて『国』を表す意味もある。『君が代』は、日本国民の総意に基づき天皇を日本国及び日本国民統合の象徴する我が国のこととなる』(君が代の歌詞を)『我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解するのが適当』」としている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日の丸、君が代

2016年12月12日 | 文化・文明
幕末から明治初頭にかけて日本に滞在したイギリス外交官が日本文化の発展に果たした役割は極めて大きい。
イギリスの外交官W・G・アストンは、かの有名な「一外交官の見た明治維新」の著者であるアーネスト・サトウと共に日本語の動詞の理論を研究し、この結果を基に1869年と1871年には日本語文法書を出版、1896年には日本書紀の英訳本を著し1899年には日本文学史を出版している。
又バジル・ホール・チェンバレンは東京帝国大学で教鞭を執る傍ら「日本古代の詩歌」「英訳古事記」著わし、ラフカデイオ・ハーンにも影響を及ぼした。
この人物を調べているうちにチェンバレンが「君が代」を英訳しており日本の専門家からも高い評価を得ているが当時「君が代」も「日の丸」も正式に日本の国歌・国旗ではなかったことが判明した。
祝祭日には必ず「日の丸」が掲揚され、学校ではまるで意味も分らぬままに何となく厳かな気持ちになって「君が代」を歌っていたがどうもあれは国旗・国歌では無かった様だ。
東京オリンピックでの日の丸、君が代に感激したのは何だったのか等々全く狐にキツネにつままれたような話、一種の詐欺行為ではないかと思うに至った。

手許に「日の丸・君が代50問・50答」と言う本がある。
これによると1999年3月卒業式直前の、県教育長と教職員組合の板挟みで広島県立世羅高校の校長の自殺事件が発生し、これが発端と成って早々に国旗・国歌の法制化の論議が始まり1999年8月9日に法案が成立した。
条文はたったの2条。 
国旗国歌法は本則2条、附則3項、別記2により構成される法律である。
第1条 国旗は、日章旗とする。
第2条 国歌は、君が代とする。
附則 施行期日の指定、商船規則(明治3年太政官布告第57号)の廃止、商船規則による旧形式の日章旗の経過措置。
別記 日章旗の具体的な形状、君が代の歌詞・楽曲。
これ以外、何もなし。ただ、日の丸・君が代が国旗・国歌に正式に昇格しただけの事である。

日の丸・君が代…(2)に続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする