追憶の彼方。

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C.Gone With the Wind(カルロス・ゴーン風と共にさりぬ!)…(3)-2

2020年01月31日 | 国際政治
C.Gone With the Wind(カルロス・ゴーン風と共にさりぬ!)…(3)-2

元検察官の郷原弁護士がゴーンが海外逃亡を決意した理由を聞き出している。
それによると『有価証券報告書虚偽記載事件の審理は4月にスタートし、ゴーンだけの特別背任事件については、当初今年9月から審理に入る計画を立てられていたが、検察側の意向で、特別背任事件の審理開始は21年か22年になったと裁判官から告げられ、前会長は「検察の審理引き伸ばし作戦で、迅速な裁判を受けられず絶望した」。更に妻のキャロル容疑者は特別背任事件の証拠隠滅を図った疑いがあるとして、原則妻との接触禁止がゴーンの保釈条件となっていたが、裁判官からは、「少なくとも特別背任事件の審理が始まるまでは接触禁止が続く」と言われ、逃亡するしかないと決めた』と述べている。検察の旧態依然の裁判引き伸ばしによる人権無視、精神的拷問による人質司法に対する不信と、このままでは「獄中死」もあり得るとの絶望感が、危険をも顧みず違法な逃亡に走らせたのである。この話の真偽は裁判官或いは担当弁護士から聴取すれば簡単に明らかになることであり、ほぼ間違い無いと思われる。
国策捜査や一部の検察官の野望が暴走に繋がった小沢一郎氏の陸山会事件や堀江貴文氏のライブドア事件は飽く迄国内問題に過ぎなかったが、今回は世界的に有名なカリスマ経営者の事件であった為、特に日本の旧態依然たる人権無視の人質司法に世界中の耳目を集める国際案件となった。この儘放置しゴーンに言われ放しの状態では、国益を損なう・あらゆる言語で日本の正当性を発信せよという様な無責任な外野席の大きな声に押され法務省は1月22日法務省ホームページに14項目からなるQ&A形式の反論文書を発表した。しかしそのQ&A は殆ど反論になっておらず、ゴーンの攻勢の前に押され放しの状態になっている。
例えば、Q-3「日本の刑事司法は『人質司法』では無いですか」、A-3「日本の刑事司法制度は身柄拘束によって自白を強要するものになっておらず、人質司法との批判は当たりません。 (逮捕や拘束は独立した機関である裁判官が行うので恣意性が無いと強調しているが、裁判官の審査は形式的でほぼフリーパスという実態面は全く無視されており、言い逃れ・責任回避の姿勢が丸見えである。長期勾留という心理的拷問に耐えかねて検察がでっち上げた自白調書にサインしてしまったと告白する冤罪被疑者が多いことには頬被りである)」。このQ&A の第一印象は菅官房長官の木で鼻を括った様な記者会見と全く同様で相手に理解して貰おうとの視点が全く欠けている。ネットで公開された神尾尊礼弁護士のコメントでも制度面の話がほとんどで、実際の取調べの状況や否認した場合の不利益といった実態面への言及が殆ど無い。「人質司法の定義がこうだから違う」といった言葉遊び、制度の説明ではなく、実際にどう拘束されているのか、どの程度弁護人が関与できているのか、自白した場合と否認した場合とで取扱いがどのくらい違うのか、人権保護等の法律の理念に則ったものになっているのかを説明しなければ一旦火がついた内外の不信感を払拭することにはならないと説明している。実態面の説明をすれば人質司法を暴露することになる為、出来ないというのが正直な処であろう。
ゴーンの逃亡劇に関し弁護士ドットコム(株)が弁護士へアンケートを実施し、120人から得た結果が公表されている。これによるとゴーンが「1日8時間も取り調べを受け、弁護士も同席できなかった」などと主張していた「人質司法」については、『50.8%が「納得できる」、22.5%が「多少納得できる」と計7割以上が理解を示した。「あまり納得できない」は10.8%、「納得できない」は15.8%だった。』  
一方ゴーンが「日本から逃亡した理由」として、「非人道的な扱いを受け、私自身と家族を守るためには、選択肢がなかった」との趣旨の発言をしていることについては、『「納得できない」が42.5%で最多。「あまり納得できない」の16.7%と合わせると、6割近くが否定的だった。「多少納得できる」21.7%、「納得できる」19.2%だった。』
自由記入欄にはゴーンに対する非難として「保釈中に密出国した人間が何を言っても説得力を持ちにくい」、「有罪判決になる可能性が高いと判断したからこそ、金に物を言わせて逃亡したとしか評価できない」「人質司法は改善すべきだが、議論のすり替えに過ぎない。人質司法かどうかは関係がない」などの声があった。
一方司法に対しては「妻との接触を禁じるなど異常な条件は断じて付すべきではなかった。遺憾ながら世界の世論はゴーン氏の肩を持つであろう」「保釈制度の根底には無罪推定という、あまりにも大切な原則があるのに、無実でも否認すれば勾留が続く、世間からは『犯罪者なんだからしょうがない』と言われるのが現実だと日々嘆いている」「刑事弁護を多く扱う弁護士の1人として日本の刑事司法に対する絶望感は日常的に感じている」などの強い批判が目立った。又森雅子法務大臣が記者会見で「無罪を証明すべき」と発言し、後に訂正したことについても、「全世界に恥をさらしてしまった」「為政者の本音を物語っている」などのコメントがあった。
さらに、マスメディアの報道についても、「検察リークと、海外報道の恣意的な翻訳や意図的?な誤訳で一方的立場に都合のよい内容が報道されているのは、日本の世論形成に関して危惧される」、「日本のマスコミが、ゴーン批判で全てを終わらせようとしている論調であることに違和感と危機を感じる」などの指摘が出た。
この両極端に別れたアンケート結果から読み取れる事はヤメ検の多くが弁護士登録をして居り、彼等の中には未だに自分達が所属していた検察という組織、或いは自分達個人の検察官が行ってきた取調べ等に対し反省の色が全く無い弁護士が多数居るという実態である。ゴーンを弁護することは自分の役人人生を全否定することに繋がると考えるのはやむを得ないことかも知れないし、未だに検察組織と繋がりのあるヤメ検も居るだろうことは想像に難くない。
共同通信の報道によると、ゴーン被告人は郷原信郎弁護士(元検事)に対し、解雇した最初の「弁護人」から『早く(拘置所から)出たければ(罪状を)認めるしかない。今は自白して、裁判で「早く出たかったから自白した」と言って、ひっくり返せばいい』などとアドバイスを受けていたが、自分はそんなことは信じないし「やってないことは自白しない」と言った。この弁護人はルノーから紹介サれた大鶴基成元次席検事と考えられるが、彼のアドバイスは「驚きだらけだった」と語ったという。
身柄解放という強い誘惑に負けて、不本意な自白という<毒薬>に手を出さず大鶴弁護士を解雇したのはひとまず冤罪の泥沼に嵌まり込む危険を回避したという意味で正解だったとコメントする弁護士が多い。
かって村木厚子厚労省局長を犯人に仕立て上げる為、検察ストーリーを作りそれに合うよう「関係者の証言調書の捏造やフロッピーデイスクの日付の改竄」まで手を染めた有名な冤罪事件では大阪地検特捜トップが逮捕される不祥事にまで発展したが、当時弘中弁護士の強いサポートで村木氏が164日の長期勾留にもめげず徹底して「ニュアンスの変えられた自白調書」へのサインを拒否し、裁判で検察主張の矛盾点を突いて逮捕から454日目に無罪判決を勝ち取っている。「5年前も前の出来事で誰もが自分の記憶に自信がない中、脅しや嘘を巧みに使い検察に都合のいい調書が作られていったのだ。」「取調室ではアマチュアのボクサーがプロボクサーと殴り合っているようなもの」と村木厚子氏の有名な話が残されている。
兎に角、自白をした後で、これを「ひっくり返す」ことなど極めて難しい。捜査段階で自白していた被告人が、刑事裁判で否認すると、検察官は、被告人が捜査段階の自白調書を証拠として請求してくる。弁護人としては、この自白調書が「任意性がなかった」自白であるとして、この自白調書を証拠として採用することに反対して争わなければならなくなるが、捜査官に強制されたという様なことを立証するにはこっそり隠れて録音でもしていなければ先ず不可能で、一種悪魔の証明に近い。又自白調書にサインする際には日本では取り調べに弁護士立会いが認められていない為、プロの検事が何らかの罠を仕掛けていても素人の被告人がこれを見破ることは先ず不可能である。裁判ではその微妙な点がポイントとなって争われることが多々あると言われている。(役人が責任回避のため微妙な言い回しをする技術に長けて居ることはよく知られている。)
通常裁判官は「公判での否認」よりも「捜査段階の自白」の方を信用性があると認めるケースが殆どだと言われて居り裁判で自白を覆すことは不可能に近いのである。
保釈中にゴーンと面談した外国人初の読売新聞記者となり現在米国の調査報道記者として活躍するJ.エーデルスタイン氏は 『ゴーンから自分が無罪を勝ち取る可能性を聞かれた時、皆無に近い」と答え日本の検察がメンツを守る為「勝利至上主義」、「検事は正義よりも勝ち負けが重要。不利な証拠はあっても見ない」と話すと、ゴーン被告は少し顔色が白くなり、恐れていた事に確信を得たかのような反応をした。彼はゴーンに日本の冤罪事件の事例を話し又元検事が冤罪を作り出した懺悔を書いた「検事失格」という本を手渡した』と伝えている。
研究熱心なゴーンが日本の司法制度に不信感持つ材料は揃っていたのである。
大鶴弁護士が自白を勧めたのは検察を最もよく知る人間として正面から争ってもゴーンに殆ど勝ち目がないと感じていたのと自白しなければ保釈は難しいと睨んでいたからだろうと推測される

事件当日の深夜、森法相と共に東京地検の斎藤隆博次席検事がゴーンが主張する国策捜査や人質司法に対する反論を行ったが、この検事こそ2009年の小沢冤罪事件担当検事の生き残りであり、さらにゴーンに解雇された大鶴基成弁護士は当時の次席検事として冤罪事件を主導した主犯格だったと言われている。何という皮肉なことか、10年前に日本の進路を捻じ曲げた小沢冤罪事件の責任者が再び蘇り、ゴーン事件のマッチとポンプの役割を演じて居たのである。
この東京地検特捜部の冤罪事件は日本の大改革と言う国民の大きな期待を背負って立ち上がった小沢氏を中心とする民主党政権を瓦解させたと言う点で上述の村木厚子氏の冤罪事件より遥かに社会的責任が大きかったが、検察上層部まで関わっていた為か誰が考えても納得出来ない様な屁理屈をつけ、逮捕者も出さずに有耶無耶の内に収束した。当時法務大臣は指揮権発動をして処分をやり直させようとしたが、当時の民主党の無能な野田首相の判断で法務大臣を罷免してしまった為、全てが闇に葬られる結果となった。…(注)
この無責任な野田の行為によって日本の民主主義への改革が完全に後戻りし、小沢冤罪事件の中心的役割を演じた斎藤隆博次席検事は、その御蔭で今だに検察中枢で生き残る事が出来、日本の司法を代表する場に臆面もなく登場してくるのである。斎藤隆博次席検事は法務大臣と共に会見の場でゴーンが主張する人質司法に対し、「日本では勾留は捜査機関から独立した裁判所による審査を経て行われ、証拠隠滅や逃亡のおそれなどがある場合に限って認められる。又保釈も、裁判所が判断します。こういう日本の刑事司法に対し、人質司法だとか人権が保障されていないといった批判は当たらない。」と反論している。しかし自分も含め検察官が行ってきた取り調べ手法を無視しこんな綺麗事をよくも言えるものだとあきれる他は無い。
実態は検察ストーリーに沿った自白をしない限り証拠隠滅、逃亡の恐れ有りとして勾留を請求すれば殆どフリーパスで認められるのが実情で「長期勾留、人質司法」非難の根拠になっているのである。この様な実態とかけ離れた杓子定規な釈明を繰り返すことは却って世界の不信感を増幅し逆効果になることが分からないのだろうか。
『「不合理で事実に反している」「自白を強要していないことは明白」などと幾ら強調しても小沢事件への反省・総括が無いままの人間の発言が信用できるのかと思われてしまうのは、ある意味仕方がない。逃亡者ゴーン被告をかばうつもりはないが、過去の強引な捜査手法をきちんと反省しない特捜部もまた問題なのだ。』という元検事の落合洋司弁護士の発言が多くの共感を得る的を射た感想だろう。
逃亡を許した途端、急に慌ててキャロル夫人を国際手配したことで、全世界に「日本の捜査機関は好きな時に好きな罪状をつくれるんだ」と印象付けたことは間違いない。
ゴーンは「日本にいる全外国人に『気をつけろ』と警告すること──それこそが私の責任だ」と述べているが、この発言こそ、「日本で働く外国人に対し日本の居住環境を含め日本全体のイメージダウンに繋がる恐れがある」と言う点で非常に危険だと言える。
更に30日には斎藤次席検事が入管法違反容疑でゴーンの逮捕状を取ったと発表し、その理由として「ゴーンの主張によって日本の司法制度がおかしいと(世界に)認知され逃走が正しいとの誤解を生じさせない必要がある」と述べている。しかしゴーンの逃亡劇は「日本の人質司法の下では已むを得ない点もある」という程度の同情の声があっても、法的に正しいなどと考える者は殆ど居ないであろう。しかもゴーンの逃亡の責任は検察の反対を押し切って保釈した裁判所にあるような言動を繰り返し、最近では逃走を手助けした米国籍の3人の男性の逮捕状もとったが彼等はゴーンの弁護人だった弘中弁護士事務所でゴーンと数回に亘り面談を繰り返したと強調、弁護人が逃亡を手助けをしたと言わんばかりの印象操作を行っている。御用メデイアを使ったリーク情報による印象操作は未だに重要な捜査手法の一つであり彼等の一種性癖に近い物になっているかの様である。尚逃亡を許したの出入国管理の手抜かりと検察の監視の甘さにあり、明らかに検察の責任であって保釈を認めた裁判所や弘中弁護士には全く関係のない話で、他人には厳しいが自分達には甘く保身に汲々とする検察官の本質をよく表している。
今後書籍や映画を通じてゴーンの攻撃がエスカレートすることは間違いない。今や情報は瞬時に世界を駆け巡る。発信力に疑問の残る法務大臣や旧態依然たる法務官僚が実態とかけ離れた綺麗事を並べても事態の改善どころか逆に世界の不信を増幅させるだけではなかろうか。
日本の検察は自白(供述証拠)を重視し、それを真相解明のモデルにしてきた。取り調べの場に弁護人の立ち合いを認めた場合、説得と称して脅迫する等の非人道的な取り調べや自白調書へのサインも弁護士の事前チェックが入り制限され、思い通りの取り調べが進められなくなる。 法務・検察は従来型の「検察ストーリーに沿った自白の強要」や「風を吹かす(リーク)捜査手法」は最早世界に通用しなくなって居り、一刻も早く世界標準に近づくことが世界の信頼を得、国益を守ることになると知るべきだ。今の先進国の人権を考慮した刑事司法の考え方は、推定無罪の前提に立ち、取り調べは言い分を聞くための場であり、有罪の証拠を得るための手続きではないことを知るべきだろう。
ゴーンの金融商品取引法違反事件で、検察は当時の西川広人社長をその事実を知らなかったと考えられないような理由で訴追せず、検察審査会も「不起訴相当」と議決したこともあって、世界では徐々にこの事件は日産の日本人経営陣と経産省と検察とが結託して日産を救ったカリスマ経営者を日産自動車から追放し、さらに犯罪者として葬ろうとした「異常な出来事」であるとの見方が広まりつつあるようだ。
ゴーンの強欲と犯罪とは別次元の話、切り分けて論じる必要があることを肝に命じて置くべきだろう。
(注)この冤罪事件についてはブログ2016-11-16付け「日本の民主主義「9」マスメデイアと特捜検察」で詳述している。


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C.Gone With the Wind(カルロス・ゴーン風と共にさりぬ!)…(3)…1

2020年01月18日 | 政治・経済
C.Gone With the Wind(カルロス・ゴーン風と共にさりぬ!)…(3)…1

 世界中が見守ったゴーンの2時間半の“独演記者会見は、本人が興奮のあまり赤鬼のような形相で「自分は無罪」だと喚き散らした為に其処に焦点が集まりすぎて、結果「鬼も蛇も出ず」との印象を与え些か世界の期待を裏切る結果となった。自分の主張を浸透させる為には、冷静且つ理路整然と話せるように広報の専門家等にも相談し慎重且つ周到に準備すべきであった。異常な精神状態のなか、明らかに戦略不足、準備不足に陥ったのだろう。
待ち構えた多くのメデイアが期待していたのはニュース・バリューのある「007の映画のような大脱走劇の詳細」と「国策捜査に関与した政治家の実名」であったが、これらには一切答えなかった為に、海外メデイアでさえゴーンの一方的なプロパガンダに過ぎないという批判的な声も一部に聞かれた。勿論大脱走の方法を説明すれば関与した人間等の捜査に手掛かりを与え、彼等が訴追される危険性があるし、政治家の実名開示も日本政府による圧力で頼みのレバノン政府からストップがかかって見送らざるを得なかったのはやむを得ないと思われる。 同日イランのミサイルによる対米報復事件が重なったのも災いした。
しかしゴーンは書籍出版やその映画化を通じて日本の司法の不当性を訴えると述べえ居り、彼の財力に訴えれば協力者には事欠かないと考えられるので、今後何が飛び出すか期待は大きい。
ゴーンの海外逃亡そのものは保釈を請求した際に自分が提示した保釈条件に反する行為であり、司法当局との契約違反・明白な背任行為で、密出国として厳しく責められるのは当然の事あろう。
一方法相や検察当局は、「わが国の刑事司法制度は、個人の基本的人権を保障しつつ、適正に運用されており、保釈中の被告の逃亡が正当化される余地はない」と、全く具体性・説得力に欠ける官僚性丸出しの声明を発表したが、ゴーンが主張した「人質司法」やグローバルスタンダーとも言える「弁護士立ち会いの取り調べさえ採用しようとしない」といった日本の司法非難には何も答え無かった為に完全に一本取られた形となった。
国際社会で大恥をかかされたとの思いで頭に血が登った検察の発言を受け政権御用メデイアが先頭を切り一斉に狂ったようなゴーン・バッシングを始めた。新聞の論調も検察御用メデイアとしての本来の役割を思い出したのか批判一色に切り替わったし、テレビのワイドショーでは、MCやコメンテーター、タレントたちが寄ってたかって、「有罪になるのを恐れて逃げただけ」「全然大したことを言っていない、ただのすり替え」「日本司法を批判する資格などない」といった大バッシングを展開し、「盗人猛猛しい」などと、あたかも有罪が確定しているかのような犯罪人扱い、「司法批判はすり替え」などと恥ずかしげもなく得意顔で言い放ったのもいたしケントギルバートに至っては根拠なくあれは有罪と断定しそのバカさ加減を披露する始末、あきれる他はない。
ゴーンの記者会見に参加出来たメデイアは全世界の約80媒体、120人ほどとされているが、その中で日本メディアは朝日新聞とテレビ東京、そして週刊ポスト取材班の3媒体のみであった。検察御用メデイアのお仲間・朝日が呼ばれたのは不思議という他はない。
記者会見の場に、日本の大手メディアの参加を拒否した事に対し外国やフリーのジャーナリストから拍手喝采を受けた。彼等は日本の大手メデイアが「記者クラブの特権に胡坐をかいて外国やフリーの記者を締め出し、政権監視の役割を放棄し政府広報を垂れ流すだけの存在」でしか無いことに常々反感と軽蔑の念を抱いていたのである。御用メデイアを使ってゴーンが如何に強欲な経営者であったかを繰り返し世論にPRし刷り込みを図って「有罪の風」を吹かせようと言う検察の常套手段は最早底が割れて来ており、今後この汚い手は通用しなくなるだろう。強欲経営者と法的な虚偽記載とはなんの関係も無いのである。

ゴーンの主張は実に明快、「私は正義から逃げたわけではない。不正義から逃げたのだ。自分自身を守るほか選択肢はなかった」と宣言した。
ゴーンの弁護団の高野弁護士はこの密出国を『暴挙』『裏切り』『犯罪』と言って全否定することはできない。確かに私は裏切られた。しかし、裏切ったのはカルロス・ゴーンではない」とブログに記し暗に検察を非難している。又『Shall we ダンス?』で日本アカデミー賞を 受賞した世界的映画監督の周防氏も「同じ状況に置かれたら自分も逃亡する」と述べている。同監督は自ら率先して「どうしても作りたかった」という社会派の作品『それでもぼくはやっていない』という痴漢冤罪に絡む作品を制作し、その中で人質司法など、日本の被疑者取調べと刑事裁判の人権軽視の実態を映像化している。
更に著名な金岡法律事務所の代表は「検察が事件を有罪にできるだけの証拠を収集したと公言して居るが、もしそうなら、それ以上被告を拘束し妻との接見を禁止する理由はない。東京地検のゴーン氏会見批判は恥の上塗りである」と述べている。 「有罪立証のための証拠が十分に集まったから起訴したのであり、被告人が関係者と打ち合わせをしただけで、その十分な証拠構造が動揺すると言うことがあるのか、そんな弱い証拠なのか、又仮に動揺するとすれば、それは打ち合わせ結果の方が真実で検察の証拠がまちがって居ることを示す事になり、従い有罪見込みも誤って居ることになる。つまりは無罪という真実のための正当な打ち合わせは正当な権利であるという視点は、検察庁には欠落している」との説得力ある論旨を展開している。
更に政府関係者から国際的に日本の信頼を失墜させるような失言が相次いだ。
ゴーンは今回の件は「自分を排除したい日産経営陣が仕組んだクーデター、それに(名前は出さなかったが)日本の政治家も絡んだ国策捜査」だと折りに触れ強調している。これを裏付けるような安倍総理の発言が飛び出した。8日キヤノンの御手洗冨士夫会長らと会食した際に「日産のなかで片付けてもらいたかった」と発言したことが発覚、「政府に持ち込まれて大迷惑」と取られ国策捜査を裏付けるものと物議を醸している。それでなくとも公知となった国策捜査を裏付ける材料は山ほどある。
特捜部がゴーンを逮捕した直後、菅官房長官を訪ねて、逮捕の報告を行ったとの情報があり、こんな件で真っ先に官邸に挨拶に行くというのも異常である。又安倍内閣を牛耳る経産省の審議官・内閣官房参与を歴任した豊田正和氏が、2018年6月から日産の非常勤取締役に就任しており、ルノーとの統合や海外移転を進めるゴーンを失脚させる為の経産省が日産に送り込んだ刺客ではないかと見られている。更に日産の中でゴーンを追及する社内チームの旗を振っていた当時の広報担当の専務・川口均氏は横浜商工会議所の副会頭で、当該選挙区出身の菅官房長官とは日産ぐるみで近い付き合いがあり、個人的にも相当懇意な関係にあると言われており、この線から国策捜査が進められた可能性が極めて濃厚である。ゴーンは会見で伏せたがこの様な情報は既に世間に行き渡っているのである。
更に汚名を晴らせとの外野の大声に押されて先の深夜の声明に続いて、森法務大臣は「ゴーン被告は自らにかかっている経済犯罪について、潔白だと言うのなら司法の場で正々堂々と無罪を証明すべきである」と法務大臣として「推定無罪の原則」を否定する致命的な非難声明を行ってしまった。
近代司法の大原則、「被告人は、裁判で有罪が確定しない限り、例え逮捕され起訴されたとしても単に嫌疑が課せられているだけであり無罪推定がなされる」、従って被告人は無罪と推定されるこの原則により、「刑事裁判では検察官が被告人の犯罪を証明する必要があり、被告人は自らの無実を証明できなくても構わ無い、飽く迄検察官が有罪であることを証明しない限りは無罪になる」と言うのが世界的な大原則である。
2013年には国連の拷問禁止委員会の審査会でアフリカのモーリシャスのドマー委員が、「日本は自白に頼りすぎではないか。これは中世の名残だ」と日本の刑事司法制度を批判したのに対し、外務省の上田秀明・人権人道大使が「日本は、この(刑事司法の)分野では、最も先進的な国の一つだ」と開き直り、会場の苦笑する参加者らに顔を真っ赤にして「Don't Laugh!(笑うな!)」「Shut up!(黙れ!)」と叫んで失笑を買った事件で日本の司法制度の問題点が世界に明らかにされた矢先である。
森雅子法相のこの発言は憲法31条や刑事訴訟法336条を無視した発言であり、日本の司法制度の致命的な問題点を自ら世界中に公表したことになる。法相はことの重大さに気付いたのか、翌1月9日16時のツイートで「無罪を証明」は「無罪を主張」の言い間違えであると釈明し、訂正したが後の祭り、早速ゴーン代理人弁護士は10日声明を発表し「被告に無罪の立証責任はない、間違えたのは容易に理解できる、あなたの国の司法制度はこの原則を無視している為だ」と世界中にアピールしたのである。森法相は人権弁護士育成のための米国留学制度を利用してNY大学ロースクールで勉強したのを売り物にして居るが、人権のイロハを言い間違える等、普通ではあり得ない、一体何を勉強してきたのだろうか。安倍首相も元防衛大臣の稲田朋美とこの森雅子を総理有力候補に挙げているがこの両人が総理とは相変わらずの人を(特に女性の)見る目の節穴ぶり、全く以て迷惑相千万、空いた口が塞がらない。
更に追い打ちをかけるように法務省公式サイトで「個別事件に関する主張があるのであれば、具体的な証拠と共に、我が国の法廷において主張すればよい」として、ゴーン被告に対して具体的な証拠を提示して争うように求めるなど、やはり推定無罪の原則を理解できていない。被疑者が証拠を出すのは悪魔の証明に近い場合もある。これを「言い間違い」で済まそうとする法務大臣、法務省の下で、刑事司法が健全であるわけがない。

この稿続く
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C.Gone With the Wind(カルロス・ゴーン風と共にさりぬ!)…(2)

2020年01月08日 | 政治・経済
C.Gone With the Wind(カルロス・ゴーン風と共にさりぬ!)…(2)

検察・弁護士・メデイア・政治家・役人等々多くの人が、やれやれと肩の荷を降ろして往く年・来る年に思いを馳せていたであろう大晦日、ゴーン本人の「私はいまレバノンにいる」との声明で内外誰もがぶったまげた。羽田空港で東京地検特捜部に逮捕されてから13カ月、2度目の保釈から8カ月、多数の監視カメラをかいくぐり、関空のお粗末な出国審査をすり抜け、プライベートジェットでベイルートに向かって魔法使いのように「風と共に逃げ去った」のである。
前回ブログで、世紀の大脱走と言う「風」と共にゴーンが大きな物を失ったと書いたが、同様に其の風の原因を作った日本の「検察を頂点とする司法制度」も風の吹き戻しの影響をモロに受けて大きな代償を払うことになるかも知れない。
ゴーンは今回の件は「日産とルノーの経営統合を進めようとしている張本人として自分を排除したい日産経営陣が仕組んだクーデター、それに日本の政治家も絡んだ国策捜査」だと述べ、記者会見を開いて実態を明らかにすると述べている。
事実ニューヨーク・タイムズが報じる所によると、ゴーンは逃亡前に自宅でハリウッド映画プロデューサーのJ・レッシャー氏と日本の司法制度を告発する映画の構想について話し合い、著名人の裁判事例なども研究し、「有罪率99%」の日本の司法制度では公正な裁判は期待出来ない、国策操作に関わった日本の政治家の名前も公表し糾弾するつもりだと息巻いている。
この記者会見によりゴーン本人の事件もさることながら、国際基準からかけ離れた旧態依然の日本の刑事司法制度が脚光を浴びる形となり、基本的人権の無視、更には日本の民主主義に懐疑の目が向けられることになるだろう。経済が第3位の「先進国」を自負する日本に対し国際社会の見る目には大きなギャップがある。男女格差が世界114位、報道の自由度72位、国連世界幸福度51位、国連人権理事会等による日本の人権に対する考え方に厳しい国際評価が存在する事に迄目が向けられるかも知れない。
先ずゴーン本人の事件であるが郷原氏始め多くの著名弁護士が指摘しておられる通り、検察が金融商品取引法違反の容疑事実とした「役員報酬の過少申告」の金額は、退任後の支払い予定の「未払い報酬」に過ぎなかったという衝撃の事実が明らかになった時点で犯罪とは為りえないものであった。会社法上、退職金支払いには株主総会決議が必要であり、決議もされず支払もされていない退職金を記載しないのは有価証券報告書虚偽記載・金融商品取引法違反だというのは幾らなんでも暴論であろう。その他の隠蔽された報酬は「海外での自宅の提供」だとか、SAR(株価連動型報酬)だとか、それによって日本で税を免れていたとかは、「検察御用マスコミ」が勝手な憶測(?)で報道を続けていたものに過ぎないことが明らかになった。しかも、勾留満期には逮捕事実の「2015年までの5年間」の有価証券報告書虚偽記載で起訴し、その逮捕事実と同じ「直近3年分」で再逮捕するという、不当な再逮捕により身柄拘束を継続しようとしたが、東京地裁が勾留延長請求の却下を決定した。それに対して検察は延長請求却下の翌日に、当初は「形式犯」だけの立件しか予定していなかった「サウジアラビア・ルートを含む特別背任を新たに立件して再逮捕したのである。しかし検察は、無理に立件したサウジアラビア・ルート、オマーン・ルートについては、日産から中東への送金が事業目的に見合うものであったのかどうかという「特別背任罪の成否の核心」に関する事実について、中東での証拠収集がほとんどできていないまま日産関係者の供述だけで特別背任で2度も逮捕するという、従来の検察の常識に反するやり方を強行し、逮捕後に中東各国への捜査共助要請をして証拠を収集しようと言うお粗末な対応をとったが、協力を得ることは先ず不可能だろう。本人自白が無く、証拠がほとんどないまま起訴している為、証拠開示が出来ず、いまだに初公判の見通しすら立っていない。長期勾留や婦人との接見禁止等の人権無視の手法は被告人を精神的に追い詰め公判の為の自白を取ろうというのは検察の常套手段である。
このような「異常な刑事事件」の虚偽記載容疑については、4月に初公判が開かれる可能性が出てきていたが、中東ルートの特別背任についてはいまだに初公判の見通しすら立っておらず、一体いつ始まりいつ終わるのか、見通せない状況になっていた。こういう状況で、ゴーン氏は、保釈条件として妻との接触を9か月もの間禁止されたまま日本国内に公判対応のためだけに留め置かれ、いつになったら接触禁止が解除されるかもわからないのである。明らかに異常な刑事捜査、長期間の身柄拘束や厳しい保釈条件による人権侵害の問題などを自らの言葉で世の中に訴えようとしても、特別背任のときのように別件で再逮捕される危険があり、記者会見すら開けない。弁護団が予定主張記載書面を公開したりしてゴーン氏の主張を公表しても、日本のマスコミは殆ど報じない。
ゴーンの大脱出の背景にはこの様な「絶望的な状況」があったのである。
2016-11月のブログ日本の民主主義でも触れたが検察を頂点とする日本の司法制度は極めて前近代的、内外からの批判も多い。ゴーンは著名人の裁判事例なども研究し、「有罪率99%」の日本の司法制度では公正な裁判は受けられないと確信したともされ、映画化により世界に不当な扱いを明らかにするなど、徹底的に戦うつもりのようだ。
御用マスコミを使って推定有罪をゴリ押しし、文書の改竄まで行って冤罪さえ恐れない独善的な検察に対する国際社会の風当たりはますます厳しくなる。日本が採用している起訴便宜主義は本来被疑者保護の視点に立って採用されたものであるが、検察はこの起訴・不起訴の裁量権を悪用し安倍政権の森友・加計・桜の会の不祥事件には政権に忖度しダンマリを決め込んでおり、政官始め日本全体のモラル低下に拍車をかけている。
果たしてゴーンの記者会見で何が飛び出すか、検察その他の行政はまともに反論できるのか,当に見ものである。
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C.Gone With the Wind(カルロス・ゴーン風と共にさりぬ!)

2020年01月04日 | 政治・経済
C.Gone With the Wind(カルロス・ゴーン風と共にさりぬ!)

たけしや吉本の下らぬ芸人達に占拠されたNHKを始めとする各局のテレビ放映に辟易し、CNBCのニュース番組を見ていたら、C.Gone With the Windという見出しでゴーンのレバノンへの逃亡劇が報じられた。流石アメリカのメデイア、言うことが洒落ている。
(Gone With the Wind)とは言わずと知れたピューリッツァー賞を受賞したマーガレット・ミッチェルの長編時代小説の題名である。南北戦争という「風」と共に、当時絶頂期にあったアメリカ南部白人たちの貴族文化社会が消え「去った」事を意味しているが、ヴィヴィアン・リーとクラーク・ゲーブルという当時の絶世の美男・美女が主演し、叙事詩的大作としてアカデミー賞を総なめした映画の原作として世界的に有名になった作品である。

CNBCはゴーンは逃亡劇には成功したが、国際刑事警察機構(ICPO)の手配書「レッド・ノーティス」が手配されて居る為、レバノンを離れ国外で活躍することは極めて難しくなる。精々国籍のあるフランス、ブラジルに旅行する程度だがそれとて必ずしも安全ではない。フランスではルノー関連で告発されて居るしブラジル政府がどう出るか不透明だ。正に彼の優雅な生活は逃亡劇と言う(風)(と共に去りぬ)と伝えたのである。世界人として活躍し栄華を極めたゴーンは今後紛争が絶えず治安の悪い辺境の地レバノンで忘れ去られる存在にすぎなくなる可能性が強くなったと言えるだろう。
レバノン当局者は「引き渡し条約を締結していない日本に容疑者を送還することはない」と繰り返しており、ゴーン被告の引き渡しが実現する可能性は小さいが、レバノン国民の全てが彼を歓迎しているわけでは無く必ずしも居心地のいい場所ではない。首都ベイルートでは、ゴーン氏は国外放浪から舞い戻った富裕層の英雄として扱われている。しかし「レバノンはゴーン氏を受け入れることで、その評判を一層下げることになるのは避けられない。レバノンは既に悪人で溢れており、これ以上は勘弁して欲しい」と語るレバノン人ジャーナリストも居る。
大統領や外相は今のところゴーン被告の庇護者を買って出ているようだが、レバノンの政情は決して安定していないのでいつ風向きが変わるか分からない。20数億円もの費用を掛けた日本からの大脱走逃亡劇と国際指名手配を受けている犯罪者などと聞かされ、貧しく政治家の汚職を苦々しく思う多数のレバノン庶民層はどう思うか。金持ちは金の力で正義を簡単にねじ曲げてしまうのか、罪に問われているのに金持ちは金の力で罰を免れることが出来るのか、ゴーンは大金持ちだそうだが、その金をいつ、どこから、どのような方法で獲得したのか、などといったことにレバノンの国民の方々関心を持つようになれば、何か胡散臭い人物だと疑念を抱くことにさほど時間は掛からない。かつては英雄視されたことがあるのかも知れないが、国際社会から指名手配されている犯罪者だ、などという認識が広がったら、今は庇護者の役割をしている人たちがいつ掌を返すかも知れない。
2017-9-1のブログ「慈善資本主義…(3)追記」でも触れたが強欲資本主義の申し子のようなゴーンもレバノンで朽ち果てるのかも知れない。

C.Gone With the Wind(カルロス・ゴーン風と共にさりぬ!)…(2)へ
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