S嬢のPC日記

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「たったひとつのたからもの」:障害児が一人で歩く光景

2004年10月30日 | たったひとつのたからもの
「たったひとつのたからもの」
高視聴率を記録したようですが。

ブログ内で山ほどあるこのドラマの感想、
なかなか読み切れません。
限られた時間の中で、コツコツ読んでいます。

TBをいただいたお揃いの思い出♪「たったひとつのたからもの」に飛び、
TB表記に並んでいたところに飛びました。
以下、thinking,singing「たったひとつのたからもの」を読んで思うのですが。

この方の感想には、
ドラマの中の主人公がひとりで信号のある交差点を渡るシーンに関しての記載がありました。
ああ、印象に残ったんだな、と思った。

あのドラマの中で、あのシーンがあったこと、これはとても貴重なことだと思った。
いろいろな経験を積ませながら、
少しずつ少しずつ、本人の「生活力」を上げていく上で、
慣れた道の一人歩きを完成させていくことは、
そのこと自体の獲得に加えて、
本人に自信を持たせていくという上で大きなこと。
それを「見せて」いるという意味で、大きいと思った。

娘が小学校に通う上で、
入学からしばらくは学校まで送迎をしていました。
それから、少しずつ、行き帰りの道で、「途中まで」のポイントを作り、
本人に気づかれずに陰から見守る時間を経て、
本人だけの行動に結びつけていました。
そうやって、頑張っている親は多い。
隠れる場所は、よそのお宅の玄関先の電信柱だったり、
駐車場の車の陰だったり、
見ようによっては、思いっきり「不審者」になります。
学校に連絡が行くこともあります。
「お宅の障害児学級の子どもが親無しで歩いていた、
 危険ではないのか」と。
もちろん、こうした行動は、常に担任と相談しつつ進めることでもあり、
学校側はきちんと説明をしてくれていたようです。

事故に遭う危険という問題もあります。
充分にその場の能力を確認した上で、親の手をはなし、陰から見守る。
間近でばかり見てられませんから、事故に遭う危険もあるでしょう。
それでも、例えば、こういう場合、
どちらに保護者への非難が集中するでしょうか。

「普通の子が友達とふざけながら道路を横断して事故に遭う」
「ダウン症の子が安全確認をしながら渡り、
 スピードを上げて走ってきた車の行動に瞬時に対応できず事故に遭う」


少しずつ少しずつ、慎重に進めながらも、
こうした事故に遭う可能性はいつでもあると思う。
その場合に、
「こういう子を一人で歩かせたから事故に遭うのだ」
と運転者側に言われる可能性を、いつもどこか覚悟しているのが現実です。

娘は今、電車を乗りかえ、養護学校の中学部に通っています。
家の近くに来るスクールバスを使うという選択もありましたが、
社会経験と、本人に自信をつけさせる目的で電車通学を選びました。
一人で歩き、定期券を使い、電車に乗って行動する。
たくさんの人たちの目にふれながら。

「たったひとつのたからもの」の放送の翌日、
駅の柱の陰で、電車に乗っていく娘を見守りながら、
(昨日、テレビであの番組を見た人は、
 こうやって大きくなっていくのだなあと思ってくれるのだろうか)
そんなことを思っていました。

*写真は、登校中の「隠し撮り」です。

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