これは したり ~笹木 砂希~

ユニークであることが、ワタシのステイタス

夜のターナー展

2013年12月08日 20時30分13秒 | エッセイ
 ブロ友やいっちさんのおススメで、ターナー展に行ってきた。



 まったくノーマークだったのだが、ホームページを見たら、高度な画力に釘付けとなった。会期は12月18日までと迫っている。これは急がねばと、仕事帰りに寄ってみた。
 毎週金曜日は20時まで、という美術館が増えてきてありがたい。土日は混んでいるけれど、金曜の夜は人垣もなくゆっくり観られる。
 理髪店の息子として生まれた、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーは、幼いころから絵が得意だった。父親がしばしば、息子の作品を店先に飾っていたそうだ。
 14歳でロイヤル・アカデミーの美術学校に入学を許可され、10代のうちに英国各地の風景や名所旧跡を描く水彩画家としてのスタートを切る。26歳で英国美術の最高権威、ロイヤル・アカデミーの正会員に選ばれる快挙を成し遂げ、今もなお「英国最大の画家」と称えられている。
 今回の展示は、彼の2万点を超える作品のうち、わずか110点のみであるが、見ごたえ十分で満足した。
 まずは初期の作品。
 「ウォリスの岩壁付近のエイヴォン川」(ポストカードより)


 ターナーの作品には水彩画が多い。油彩もあるが、水彩のほうが、彼の個性が際立って素敵だと思う。
 そして、「ピクチャレスク」なる画趣に富んだ景観を求め、国中を旅していたそうだ。構図にも徹底的なこだわりが感じられる反面、絵そのものは短時間でササッと仕上げたのではと察する。

 「月光、ミルバンクより眺めた習作」(ポストカードより)


 これは油彩だが、厚塗りしていないところがターナーらしい。テムズ川の上に、ぽっかり浮かぶ明るい月に視線が吸い寄せられる。水面への反射具合や空のグラデーションなど、緻密な計算で配置されており見事だ。

 「ヴァティカンから望むローマ、ラ・フォルナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ」(ポストカードより)


 ターナーがこの絵を発表したのは1820年で、ちょうどラファエロ没後300年にあたる年だというから、2人が実際に出会うことはなかった。ターナーはスケッチブックの数ページを費やして、回廊内部を入念に観察、記録し、たったの3カ月で幅3メートルを超える大作を描きあげたというから尋常ではない。細部まで手を抜かず、奥行きのある素晴らしい作品に声を失った。

 天才だ……。

 天才には天才の苦悩があるのだろう。やがてターナーは、描写対象の輪郭をたんに色で埋めるのではなく、描こうとする水彩画のイメージを、色の固まりや帯の配置によって形成するようになる。絵具を拭き、こすり、洗うなどして格闘し、新たな手法を求めていたそうだ。
 不動の名声を得ながらも、飽くなき探求心で、さらなる前進を続けるプロ意識。つくづく、すごい画家だと感心する。
 「平和―水葬」(ポストカードより)


 これは晩年の作品で、画家仲間のウィルキーがコレラに倒れ、水葬に付される様子を追悼する絵である。空の明るさと対照的に、漆黒に塗られた船、かすれるようにたなびく煙が、死を象徴するようでゾクッとする。

 終わったあとは、いつもの通り、おみやげを買って帰るのだが、私の好きな絵はひとつも売られていない。
 
 ガーン!!

 となれば、図録を買うしかない。重かったけれど、お気に入りの絵を見るために、えっちらおっちらと持ち帰った。



 「ローマの壁とカイウス・ケスティウスの墓(バイロン卿の『作品集』のための挿絵)」(図録より)


 小さな絵なのだが、とても楽しそうで、私もこの中に入れてほしいと思った。
 ターナーの絵の具は、黄色が多く使われ、まずなくなったというから、こんなに柔らかな雰囲気が出せるのかもしれない。
 そして、一番好きな絵はこれだ。
 「逆賊門、ロンドン塔(サミュエル・ロジャーズの『詩集』のための挿絵)」(図録より)
 

 構図、色彩、タッチなど、完璧で申し分ない仕上がりである。クリアファイルやポストカード、ブックマークにしたら、絶対売れると思うのだが、どうして商品化しないのだろう。
「大作ばかりが絵じゃないよ、小さな絵も取り上げて!」と言いたい。
 ターナー展は、残りあと10日となった。
 日中働いている人は、金曜の夜にどうぞ!


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コメント (8)
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