これは したり ~笹木 砂希~

ユニークであることが、ワタシのステイタス

卵白のゆくえ

2008年08月24日 21時03分48秒 | エッセイ
 気温の高い夏は、パン作りに向いている。
 ここ何年も作っていないが、かつて私は夏休みになると、早起きしてパンを焼いたものだ。
 教科書代わりに使っていたのは、『すぐできる90分の本格パン』田辺由布子著である。もっとも、手際の悪い私は、実際には2時間ほどかかってしまったのだが。
 この本のよいところは、特別な道具を揃える必要がなく、鍋ひとつ、ボウルひとつあれば、失敗せずに美味しいパンができるという点だ。一次発酵は鍋に50度程度の湯を入れ、その上に生地を載せたボウルを置くだけ、二次発酵は暖めたオーブンに成形した生地を入れるだけという手軽さだから、片付けも楽である。
 ひとつ難を言えば、卵黄だけを材料に使うので卵白の始末に困る。味噌汁に混ぜたり、揚げ物の衣で処理するしかないのだが、我が家では揚げ物を年に数回しか作らない。以前からもっと合理的な活用方法がないものかと思案していた。

 娘のミキが小3のとき、自由研究の宿題をするため、この本を使ったパン作りに挑戦した。手先はあまり器用ではないが、力の強いミキにこの作業は適していたようだ。
 強力粉・砂糖・バター・イースト・牛乳・卵黄を混ぜて、まずは生地を作る。
「うわっ、手にベタベタくっつくんだね」
 ミキは、こんなものが本当にパンになるのか半信半疑だ。
「もう少し混ぜると、手にくっつかなくなるよ。がんばって」
 私はミキを励ました。不思議なもので、生地がまとまってくると、指や手の平にこびりついていた粉がきれいに取れる。が、その前に粗塩を加えなければならない。
「ホントだ、ベタベタしなくなった。手触りが違うよ」
 パン作りは順調に進んでいる。まとまってきたら次は力仕事だ。生地を肩の高さからボウルの中に叩きつける、という作業を10分間繰り返す。結構重い生地を持って、腕を上げたり下ろしたりする作業は重労働だ。
「つ、疲れるね~! いつまでやればいいの?」
 ミキは苦笑しながら生地をバンバン、ボウルにぶつけていた。いつも口うるさく注意する私の顔を思い浮かべていたのかもしれない。
「生地がなめらかになるまでだよ。もうちょっとかな」
 15分くらいかかって、ようやくスベスベした感じになった。
「腕イタ~い! 明日は筋肉痛だよ」
 もっと泣き言を言うかと思ったのだが、乱暴者ミキは、力を発揮する機会を与えられて満足そうだった。
 この作業さえ終われば、あとは一次発酵、成形、二次発酵へと進む。
「すごいね~、どうしてこんなに膨らむんだろう?」
 一次発酵が終わった生地は、柔らかくてとても手触りがよい。赤ちゃんの肌がさらにフワフワになったようだ。
 ミキは、赤ちゃん肌の生地を丸めて、ちょっといびつなロールパンの形にした。

 二次発酵から焼き上げるまでに、私はハンバーグを作ろうと思っていた。ロールパンにはさんで、ハンバーガーにしたら美味しいだろう。玉ねぎをみじん切りにしているとき、ふと思いついた。

 残った卵白をハンバーグに入れたら、どんな味になるんだろう?

 ハンバーグのつなぎになるうえ、卵白の処理もできる一石二鳥のアイデアだ。卵黄がないと味が落ちると予測できたが、試してみたいという好奇心が勝った。
 ハンバーグを焼いていると、ミキが思い出したように言った。
「そういえば、おばあちゃんもミキが作ったハンバーガーを食べたいって~」
 え? 何でもっと早く言わないの?
 一階に住む義母は大正生まれだが、川村学園を出ている正統派お嬢様である。いつもきちんと化粧をし、言葉づかいや立ち居振る舞いにも育ちのよさが表れている。
 果たして、卵白ハンバーグが義母の口に合うかどうか……。
 私は焼きあがったハンバーグを、おそるおそる試食してみた。
 何という、不思議な食感……。まるでゼラチンか寒天でひき肉を固めたような、不自然な柔らかさである。ハンバーグなのに、プルプルっとした感触がある。味は水っぽく、コクがない。食べられないほど不味くはないが、メインディッシュとしては不適切だ。
 これは……ソースをたっぷりかけて誤魔化すしかない……。
 やがて、香ばしい匂いとともにパンも焼きあがり、ミキはわくわく、私はドキドキのランチタイムとなった。
「いただきま~す!」
 焼きたてのパンは、ふわふわしているせいか、つい食べ過ぎてしまう。
「美味しい! ミキが作ったんだよ。結構簡単にできるんだね」
 あの粉やバターがパンに変わる過程を知り、ミキはひたすら感動していた。
 冷や汗もののハンバーガーも、アツアツのパンと一緒ならば、まあそれなりに美味しくなった。私は胸をなで下ろし、やはり卵白の処理は味噌汁しかないのだと決めた。
 食事のあと、義母の部屋に空いた皿を下げに行くと、満面の笑みで話しかけられた。
「すごーく美味しかったわ。やっぱりパンは焼き立てに限るわね。ところで、あのハンバーグはどうやって作ったの? 普通はあんなに柔らかくできないでしょ」
 思いもよらない展開だった。歯の悪い義母には、卵白ハンバーグがウケたのだ!
 しかし、元祖お嬢様にあんなハンバーグを食べさせるわけにはいかない。しどろもどろの、要領を得ない説明をしたあとは、逃げるように戻ってきた。

「大きくなったら、パン屋さんになろうかな~」
 すっかり気をよくしたミキが、将来の夢を語り始めた。



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コメント (4)
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