故郷の幕末史

ふるさとの讃岐に誇りを。
気づいたことや、発見したことを幕末史に限らず書いていこうとおもいます

勤王僧 月照・信海の石像見学とグラバー商会が設立した日

2013年03月22日 17時46分25秒 | 幕末史

昨晩寝たのは10時半頃だったが、目が覚めたのは2時半過ぎ、それから眠れず布団の中でじっと我慢。4時ごろにトイレに行ったまでは覚えていたが、目が覚めたのは5時50分。すぐに起きて6時過ぎに歩きに出た。当然外は明るくなっている。帰る頃には小学生が一列に並んで通学している。春休みは明日からだろうか? そんなことを考えながらの歩きでこれといった収穫は無かった。 それでも今日も1時間15分ばかり歩いたことになる。

午後は、善通寺の親戚へ彼岸のお参りに行った帰りに、善通寺市碑殿町の牛額寺に行った。

 

参道案内の碑と、新しい案内図が並んでいる。

 

月照・信海の石像。

 

説明板より。月照は吉原村下所に生まれ、叔父で当時の牛額寺の住職・蔵海に弟子入りして、23歳で後を継ぎ、清水寺成就院の住職となる。近衛家や青蓮院宮のもとへ出入りし国事を論ずる。安政の大獄の時、京都を脱し西郷隆盛と薩摩に逃れるが、島津斉彬公の没後で藩政厳しく、錦江湾で西郷と2人で海に身を投げる。西郷は息を吹き返すが月照は46歳の生涯を終える。 また弟の信海も牛額寺で出家後、京都で修業し兄の後を継ぎ第25世として成就院住職となる。勤王に尽して幕府に捕縛され39歳で獄死した。

 今日は何の日は、NHKが大正14年(1925)の今日、ラジオ放送を始めた。

もう一つは、文久元年(1861)3月22日イギリス人グラバーが長崎にグラバー商会を設立。

グラバーは武器商人として幕末の日本で活躍した人物である。薩摩・長州・土佐ら討幕派を支援し、武器や弾薬を販売。亀山社中とも取引を行った。また、薩摩藩の五代友厚・森有礼・寺島宗則、長澤鼎らの海外留学や、長州ファイブのイギリス渡航の手引きもしている。明治維新後も明治政府との関係を深めたが、武器が売れなくなったことや諸藩からの資金回収が滞ったことで明治3年にグラバー商会は倒産した。グラバー自身は高島炭鉱の実質的経営者として日本に留まった。その後、三菱の岩崎弥太郎が高島炭鉱を買収した後は所長として雇われた。晩年は東京で過ごし明治41年、外国人として破格の勲二等旭日重光章を授与された。明治44年に死去。長崎の邸宅跡がグラバー園として一般公開されて、今は長崎の観光名所となっている。

って事で今日はこの辺で、じゃ~またネ


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