故郷の幕末史

ふるさとの讃岐に誇りを。
気づいたことや、発見したことを幕末史に限らず書いていこうとおもいます

1週間で忘れて

2013年06月08日 10時40分13秒 | 歴史

今朝も良い天気で5時から歩きだした。いつの間にか無意識に丸亀城を目指していた。昨日の朝は、分らなかったが・・・思い出した、昨日(6月7日)から6月9日まで行われる、第32回 全国城下町シンポジウム「さぬき京極大会」がこれだ、6月1日のブログに入れたのに1週間で忘れてしまっている。トホホ…。

 

これは、全国城下町青年会議所連絡協議会の主催で、1982年長野県松本市で第1回目を行った。毎年何処かの城下町で行われている。今会は「おせったいの心、溢れる城下町の創造」をテーマに、丸亀城散策ツアー、橋本大二郎(元 高知県知事)さんの講演会、大交流会(ご当地グルメとアトラクション)などが行われる。

 

明日は、小和田哲男さんの特別講演会「城郭遺産を生かす」が行われる。全国から1万人以上が訪れ、熱心な討議と交流が行われる。(丸亀市ホームページより抜粋)

 

善通寺市の高速道路沿いに神社名に何か?ありそうな「雲気神社」がある。さほど大きくない神社。その拝殿。

 

説明板によると、天霧山より い出し雲により 良く雨が降る とのことから雲気神社と呼ばれたと全讃詩に記されているが真偽のほどは定かでない。と。   また、天正6年(1578)の長宗我部軍の天霧城侵攻の兵火によって社殿が焼失したとある。  丸亀の法幢寺にしろこの雲気神社にしろ、讃岐の名のある神社仏閣のほとんどは高知の長宗我部、徳島の三好軍により焼失された。  香川県では長宗我部氏を語る時悪のイメージで話題になり、高知では知将・聡明や英雄視した話となる。地域によりそれぞれ違った歴史の見方があるようだ。

 

延喜式内讃岐二十四社の一覧がかけてあったが、丸亀市郡家町の神野神社も二十四社の一であるが、名前が無いのは???

 

少し走り、中村町の亀野邸に。この長屋門は明治初期に多度津の武家屋敷から移築したものである。 なまこ壁に武家窓・大木戸がある。      また亀野邸は善通寺第11師団の第2代から5代までの師団長の宿舎として使われていたとも。

 

そんなこんなで今日はこの辺で。じゃ~またネ



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