故郷の幕末史

ふるさとの讃岐に誇りを。
気づいたことや、発見したことを幕末史に限らず書いていこうとおもいます

黒船来航

2013年06月03日 08時39分33秒 | 幕末史

今朝は何時もより少し遅く、家を出たのが5時10分だった。曇り空で傘を持っての歩きだった。西へ北へと歩き、ここは丸亀市天満町にある「天満天神社」 

 

お参りを終えて由来に目をやると???文章の終り頃に「昭和56年改築、今日に至れり」と、あるが 住所を見ると何と 仲多度郡六郷村 と、ずいぶん昔の地名では? 文章も誰にでも分りやすい現代文にしてほしいなぁ~。

 

同境内にある「天満春日神社」

 

この天満春日神社由来も 仲多度郡六郷村大字今津字天満村社 と、文章も綺麗な文字で書かれているが、何故か難しく書かれているみたい。何でだろう?   勝手なことを言って申し訳ありません。ごめんなさい

 

 7時15分頃に帰宅。 先ずは新聞と。  岐阜県美濃加茂市の市長選が昨日行われたと。  前市議の藤井浩人氏が当選。藤井氏はなんと!28歳。夕張市の鈴木直道市長32歳を抜き、現職の市長で全国最年少となった。  若いね~ぇ 若さから出る行動力と発想力、美濃加茂市の今後の市政に期待と注目したいね。

今日は黒船来航の日だ。嘉永6年(1853)6月3日に浦賀沖に現れた日本人が初めて見た艦は、煙突からもうもうと煙を上げているアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の艦船4隻。その様子から、日本人は「黒船」と呼んだ。  浦賀沖に投錨した艦隊は旗艦「サスケハナ」、「ミシシッピ」、「サラトガ」、「プリマス」の四隻からなっていた。大砲は計73門あり、臨戦態勢をとりながら、勝手に江戸湾の測量などを行い始めた。さらに、アメリカ独立記念日の祝砲や、号令や合図を目的として、湾内で数十発の空砲を発射した。この件は事前に通告があったが、最初の砲撃によって江戸は大混乱となった。浦賀は見物人でいっぱいになり、勝手に小船で近くまで繰り出し、上船して接触を試みるものもあった。が次第に不安が広がるようになり、このときの様子を『泰平の眠りを覚ます上喜撰たつた四杯で夜も眠れず』という歌が詠まれた。上喜撰とは蒸気船という意味であり、「上喜撰の茶を四杯飲んだだけだが夜眠れなくなる」という表向きの意味と、「わずか四杯(4隻の船)の異国からの蒸気船(上喜撰)のために国内が騒乱し夜も眠れないでいる」という意味をかけている。  幕府に対し、船上のペリーは大統領の親書を受け取れるような高い身分の役人を派遣しなければ、江戸湾を北上して、兵を率いて上陸し、将軍に直接手渡しすると脅した。 そして浦賀奉行の戸田氏栄・井戸弘道がペリーと会見した。ペリーは彼等に開国を促すフィルモア大統領の親書、提督の信任状、覚書などを手渡したが、幕府は将軍が病気であって決定できないとして、返答に1年の猶予を求めた。ペリーは返事を聞くため、1年後の再来航を告げ艦隊は嘉永6年6月12日に江戸を離れた。  

日本では、この事件から明治維新までを「幕末」と呼んでいる。  って事で、今日はこれまで、じゃ~またネ



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