故郷の幕末史

ふるさとの讃岐に誇りを。
気づいたことや、発見したことを幕末史に限らず書いていこうとおもいます

前原一誠が生まれた日

2013年03月20日 15時23分05秒 | 幕末史

今朝もやはり5時に目が覚めた。起き上がって外を見ても静かだ。やっぱり皆さん祝日ともなるとゆっくりと寝たいもんだ。5時50分頃から歩きに、天気は雨が降るかもって?折りたたみ傘をポケットに入れて出かけた。大体いつもとよく似たコースを歩いたが休日なので車が少ない。帰りに先代池のゴルフ場を取りかかると、船で池の中に散らばっているゴルフボールを集めていた。

 

午前中は自転車で丸亀市内を西に東に、当てもなく走り回った。 キョロキョロ・うろうろ、と『何かを求めて』って感じかな!  でも、収穫は無。昼前から雨が降り出したので午後は車でドライブ。  でも、早々と帰宅し読書に・・・。

今日は何の日は、前原 一誠(佐世八十郎)が生まれた日

天保5年(1834)3月20日、長門国土原村(山口県萩市)で、長州藩士・佐世彦七(大組47石)の長男として生まれ、前原氏を相続した。安政4年(1857)吉田松陰の松下村塾に入門した。松陰の処刑時は一誠26歳であった。松陰の教え子は高杉晋作21歳、久坂玄瑞、山形有朋らが20歳、吉田栄太郎や伊藤俊輔らが19歳、野村和作や増野徳民らが18歳、品川弥二郎や寺島忠三郎らが17歳と若いが一誠だけが、跳びぬけて年長である。維新の十傑の1人といわれる。

    

文久2年(1862)に脱藩し、久坂らと共に長井雅楽の暗殺を計画する。その後、高杉らと下関に挙兵して藩権力を奪取し倒幕活動に尽力した。長州征伐では小倉口の参謀心得として参戦、明治元年の戊辰戦争では北越戦争に出兵し、参謀として長岡城攻略戦など会津戦線で活躍した。維新後は越後府判事や参議を勤めるるが、大村益次郎の方針である「国民皆兵」の徴兵令に反対して木戸孝允と対立し、やがて、徴兵制を支持する山縣有朋に追われるように下野し、萩へ帰郷する。明治9年に奥平謙輔と不平士族を集め萩の乱を引き起こしたが、即座に捕らえられ、明治9年12月3日萩で処刑された。明治維新に貢献した人物でも最後は悲しい最後だった人。

って事で今日はこの辺で。じゃ~またネ


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1 コメント

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めぐみです! (めぐみ)
2013-03-21 11:54:48
めぐみです!このあいだコメントしためぐみです!覚えてますか?覚えていてくれた嬉しいですwヽ(´▽`)/へへっせっかくなのでメールできませんか?私ブログとかやってないのでお話がしたいです、アドは megumi7704あっとyahoo.co.jpです、待ってますね!(*゜ー゜*)ポッ
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