故郷の幕末史

ふるさとの讃岐に誇りを。
気づいたことや、発見したことを幕末史に限らず書いていこうとおもいます

軒原庄蔵って人物

2013年09月15日 06時11分27秒 | 幕末史

今朝も4時半に目が覚めて起きたものの、雨がポツリポツリと降ってきた。すぐにテレビのデーターで見ると1日中雨予報。歩きもダメ・畑もダメ。さてさて何をしようかなぁ~と思案を。

 

そんなんで今日の予定は未定。昨日行った『みろく公園』内の軒原庄蔵なる人物の像。私はこの人を初めて知った。 東讃にはこういう人が居たんだ。

 

軒原庄蔵は、文政11年(1828)7月生まれで富田中村(さぬき市大川町)の庄屋である。水不足に困る弥勒池(みろくいけ)の貯水増のため、三ッ石山の岩盤をほりぬき、砕石谷からの導水に成功し多くの農民を救った。  随道工事は、当時田面村の工事監督多田信蔵、富田中村の数学者萩原栄次郎などの協力を得て、安政2年(1855)からほり始め、安政4年(1857)11月14日の夜明けに貫通し、長さ270mの石穴隧道(すいどう)を完成させた。この画期的な工事を完成させた功績により、高松藩から郷侍格にとりあげられた後、明治2年満濃池の閘石穴穿鑿工事を命じられ、明治3年三十間余の石穴を完成させ、讃岐の治水に貢献した。このため、満濃池の恩人とあがめられ、満濃池湖畔の松崎神社に合祀されている。明治23年5月29日死去。63歳。 弥勒石穴は、国の登録有形文化財に指定されている。(さぬき市HP参考) 

 

って事で、今日の予定はまだ? じゃ~またネ


最新の画像もっと見る

コメントを投稿