
菅村驛一さん(「わが古里但馬・心に生きるふるさと」を著した、国府出身の文筆家)の本を読んでいますと、「社頭雪(しゃとうのゆき)と題して、こんな一文が出てまいります。
「社頭雪(しゃとうのゆき)」
《昭和六年一月一日の朝刊第一面でした。わたしのひとみは、真っ白な紙面にインキのにおいも新しく、大きく載った風景写真に引きつけられたのでした。
左下に神社の鳥居、右に近くそびえる小高い山、そのいずれもが清らかですっきりとした雪中の景色です。・・・・・・・中略・・・・・・かぎりなく美しい白妙の山、この上なく気高い社頭のすがすがしい画面に、年あらたないやさかを予言するかのような、歓喜と希望に胸躍る感激を受けるのでした。》
と書き始まります。
実は、この「社頭雪(しゃとうのゆき)」と云う言葉は、昭和6年の宮中歌会始の勅題(ちょくだい、注:現在のお題)だったようです。
その日の新聞に載った風景写真というものが、新聞社が公募した、勅題「社頭雪」にふさわしい写真の入選作品だったのです。
文筆家・菅村驛一さんがその写真を見て、大いに感激した理由は、その写真の被写体が国鉄山陰線浜坂駅付近の神社であったからなのです。
雪国・山陰但馬の住民にとって、降雪は食傷気味の存在でこそあれ、感傷的な美意識どころでなかったのです。
ところが、その写真には、勅題にふさわしい、素晴らしい感動を与えるものであったそうなのです。
《わたしは、この写真からわが但馬には、全国に誇り得るすばらしい所があることを初めて教えられ、認識不足に気づいたのでした。
ちなみに、勅題「社頭雪」を、一月二十三日の「歌会始」で詠まれた昭和天皇の御製は
ふる雪に こころきよめて安らけき
世をこそいのれ 神のひろまへ
でありました。》と、
感動の一文を記しておられます。
昭和6年のことですから、ずいぶん昔の話です。
菅村驛一さんにして、感動のあまり書き記した歌会始の様子って、どんなものだったのでしょうね。
今年も、1月16日に皇居・宮殿で歌会始がありますね。今年のお題は「立」だそうです。国内外から寄せられた多くの作品から、10名の入選者の歌が詠まれるそうです。
この歌会始のお題は、昨年の「岸」とか、一昨年の「葉」と云うように、ほとんどが一文字です。
ところが、昭和3年から現在の形の歌会始が始まりました。菅村驛一さんが感動した昭和6年の元旦、新聞に載った山陰但馬の浜坂の写真、その当時の勅題は「社頭雪(しゃとうのゆき)」のように、ほとんどが3文字なのです。
ちなみに前年の昭和5年は「海邊巖」、次の年の昭和7年は「暁鷄聲」、とても難しくって読めませんよ、意味も分からんです。今の「岸」のような、分かりやすいものとは全然格式が違ったのですね。
《新年の 歌会始 おごそかに》