goo blog サービス終了のお知らせ 

但馬出身の作家

2018年02月24日 | 但馬の人物
        神崎郡神河町杉 大年神社 


(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成29年 第12回但馬検定(2級)問題より

【63】養父市関宮町に生まれ、東京医科専門学校在学中、懸賞小説の当選をき
っかけに作家の道へ進み、その後は推理小説など多数の作品を発表したのは、
誰でしょうか。

(a)近藤朔風     (b)森はな     (c)藤井重夫     (d) 山田風太郎


 関宮町出身で、推理小説などをとても多く書いた作家は山田風太郎(やまだ

ふうたろう)です。答えは(d)の山田風太郎です。

本名山田誠也は、関宮町のお医者さんの家に生まれます。幼くして両親を亡く

すなど、家庭環境は不遇な状態が続きました。豊岡中学校から東京医科専門学

校に進みましたが、医師の道には進まず中学時代の悪友仲間と呼びあったあだ

名からとった「風太郎」をペンネームに小説家となります。

ありとあらゆるジャンルの小説に取り組みますが、その中でも一番有名なもの

が「甲賀忍法帖」を皮切りに出した忍法帖シリーズが一世を風靡します。関宮

町の記念館には、自筆原稿や創作ノート、愛用品などが展示されています。


 ちなみに、(a)近藤朔風(こんどうさくふう)は出石町の出身で、桜井勉

の五男、「菩提樹」「野ばら」「ローレライ」「シューベルトの子守歌」など

の訳詞・作詞は名作として絶賛される訳詞家です。

(b)森はなは和田山町出身の児童文学作家として有名です。

(c)藤井重夫(ふじいしげお)は豊岡市出身で、『佳人』で芥川賞候補、『虹』

で直木賞を受賞した作家です。


『いかー』

 じいちゃんが社会人になった頃のことなんよ。寮の一室にみんなと集まって、

そろそろ出発しようとなり「さあ、いかーか」、「準備もできたでいかーで」と

言ったの。

聞いてたみんなは怪訝な顔して「いかーって、イカがどうしたん。イカって何で

すか」と言ったね。但馬弁の「いかー」が分からないと言うのです。

ケンちゃんね、但馬弁て、大阪や東京の人には伝わらない言葉ってたくさんある

の。その一つが「いかー」だったんよ。どこかに行こう、そろそろ行こうかとい

う言葉を、但馬弁で言うと、「どこかにいかー」、「そろそろいかーで」と言う

ふうになるんだね。「豊岡のアイティにいかーか」となるんだね。「さあみんな。

いかー、いかー。忘れもんせんようにして、いかーで」と言うんだね。但馬弁て、

聞く人によってはけったいな田舎の言葉に聞こえるだろね。