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但馬の人物

2019年09月04日 | 但馬の人物
              百日紅の花


(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成25年 第8回但馬検定(3級)問題より

【66】次の人物と、職業の組合せのうち正しいのはどれで
しょうか。

(a)堀田瑞松- 造形家     (b)斎藤隆夫- 政治家
(c)河本重次郎- 実業家    (d)前田純孝- 訳詞家

正解は、(b)の斎藤隆夫- 政治家の組み合わせが正しい
です。他の3つの組み合わせは間違っています。

斎藤隆夫は明治3年(1870)、現在の豊岡市出石町中村に生
まれます。弁護士ののち、明治45年(1912)第11回総選挙で
政界に進出、政治家の道をスタートします。
政治家・斎藤隆夫を語る上で最も有名なものは昭和11年(1936)
の粛軍演説、昭和15年(1940)の反軍演説です。
当時タブーとされていた軍部を痛烈に批判した演説は、衆議
院議員を除名処分されてしまうものでした。彼の演説には定
評があり、1時間を超す演説に際しても、原稿を持たず完全に
暗記して行ったといいます。

彼の国会での名演説は3つあります。その一つは、大正14年の
普通選挙法に対する賛成演説、そして2つ目の粛軍演説、3つ目
の反軍演説です。
斎藤孝夫は13回当選、議員生活35年を通じて人気政治家であり
ました。憲政の神様と言われた尾崎行雄につぐ長期議員生活を経
て昭和24年(1949)に没します。尾崎と同様、斎藤隆夫にも
「憲政の神様」の名が称される素晴らしい政治家人生でした。

ちなみに、(a)の堀田瑞松は豊岡市の出身で、明治の彫刻家で
あり発明家でもあります。彼の発明は我が国専売特許第一号の
取得者として記録されています。
(c)の河本重次郎は豊岡市の出身で、明治の日本近代眼科の父
と言われたとても有名な人物です。
(d)の前田純孝は新温泉町諸寄出身の歌人です。31歳という生
涯から薄幸の歌人と言われた彼は、「東の啄木、西の翠渓(純孝
の号)」と並び称された明治末期のとても有名な人物なのです。


『あんな~あ』

子供が、お父さんに話しかける言葉の最初にこう言います。
「あんな~あ、今日やった~で。え~ことがあったんだ~で。聞
いて~な」と話しかけます。
「あんな~あ」は、話す最初に付ける「あのね」の但馬弁なので
す。とても但馬弁らしい響きなのです。

「あんな~あ、ちょっと相談するんだけど、僕の悩みを聞いてく
れる」なんて、大人でも使います。

「あんな~あ」は、但馬弁らしい言葉です。