goo blog サービス終了のお知らせ 

55年前の修学旅行

2015年06月19日 | 社会




 嬉(うれ)しさは   今の平和は  9条かな  安保なのかと  ふと思うとき



今日は何の日?、

今日は、「揺れた日本55年前の記憶」と言う新聞記事に、
昭和35年(1960)6月19日午前0時をもって、日米安全保障条約改定案が国会で自然承認された日だと載っています。

サンフランシスコ講和条約と同時に署名された、
日米安全保障条約は、およそ10年を経て改正交渉が煮詰まります。

昭和35年が明けてから、
日本国内は、安保改正に対する反対運動が、日増しに激しくなってまいります。

「アンポ反対、アンポ反対」の大合唱は、
東京からはるか離れた、兵庫県の田舎のそれも子供たち中学生にだって耳にします。

35年5月20日未明に、
大乱闘の国会で政府・自民党は改定案の強行採決をいたします。

新安保条約案が、衆院を通過したというわけです。

このまま参院で承認されなくても、
一か月後には、国会での自然承認となるのです。

その日が、6月19日午前0時ということです。

5月20日から一か月の間は、
日本の中心東京は、もうムチャクチャ荒れましたね、連日連夜の「アンポ反対、アンポ反対」のデモばかりです。

その、荒れに荒れた6月の真っ最中ですよ、
14歳の田舎の中学生の修学旅行が、「東京・日光」へ夜行の列車の床に寝まして、一泊二日の旅行です。

私が、
55年前の6月4日のことなのです。
    

   写真の裏には「国会議事堂前 中学三年旅行 35年4日 安保反対デモでおちつきなく そう甲車も出都内では 全学連デモも見る」の、55年も時代が過ぎて薄くなったエンピツの文字です。

東京で皇居も見ました。
東京タワーにも上りました。

羽田飛行場(東京国際空港)にも行きました。
そして、国会議事堂も見学します。

バスの窓から見えるのは、生まれて初めて見る大都会の景色、
おまけに見えるものが凄いです。

「アンポ反対、アンポ反対」のデモの列が続きます。
写真を撮っているその先に、やっぱり、なんとなくそわそわ人ごみ怪しいですね。

田舎の子供心にだって、
「嫌~な感じ、都会の胡散臭い嫌~な印象」受けました。

6月4、5日なんて日は、
社会党を始めとする安保改定阻止国民会議の、第17次統一行動で国鉄などの大規模のストライキですよ、

そんなマンの悪い日に修学旅行なんて、田舎の学校は不幸だったのです。

修学旅行から帰って2週間後に、
新安保改定案は、国会を自然承認することになるわけなのです。

「戦争に巻き込まれる~~、アンポ反対、アンポ反対」なんてウソだった。
やっぱり平和の守りは、9条なんかではないです。しっかりとした安保意識が一番ですね。

もうすぐですよ白洲さん、芦田さん

2015年05月03日 | 社会




 楽(たの)しみは   今に見ていろ  言っていた  白洲次郎の  夢かなうとき



本日の朝刊に載っていましたね。
きょうの憲法記念日にあわせて、白洲次郎の話です。

日本は戦争に負けました。
日本に進駐してきたGHQ(連合国軍総司令部)は、とても急いで憲法の改正を迫ってきます。

吉田茂の懐刀であった白洲次郎は、
GHQとの折衝に狂奔していました。

日本政府も、明治憲法をベースに改正案作りを進めています。

GHQの短兵急な「エアウエー(航空路)」のようなやり方ではなく、
議論を尽くし、国情に合った憲法の制定を目指す「ジープウエー」に理解を求めて白洲は訴えます。

GHQは聞く耳など持ちません。

10日にも足りない短時間で作成した、
GHQ民政局の原案を示された日本政府は、それをそのままそっくりに「憲法改正草案要綱」を公表してしまいます。

昭和21年3月7日の白洲の手記には、
「敗戦最露出憲法案は生る。『今に見ていろ』という気持ち抑えきれずひそかに涙す」と記しています。

芦田均の話です。

衆議院帝国憲法改正小委員会の委員長として、9条の2項に「前項の目的を達するため」という文言を挿入するように提案した「芦田修正」、
芦田均だって、日本が主権を回復したのち(昭和27年主権回復)、わずかな期間か数年で憲法は改正できると思っていました。

やっとです。
やっと施行68年たった今年です。

国会での憲法改正の発議も行われ、
数年のうちには憲政史上初の国民投票も行われるでしょう。

もうすぐですよ白洲さん、芦田さん。
本当に本当に長かったですね。夢がかなう時がすぐそこですね。

安倍首相の演説は

2015年04月30日 | 社会




 嬉(うれ)しさは   最後の件(くだり)  演説は  希望の同盟  呼びかけるとき



自分の国を代表する総理大臣が、大切な同盟国に行って堂々として演説した内容に、
「良かった~、ちゃんと誇れるような良い演説だったわ~」と感じられるってことは、自分の国を心から愛してる普通の国民にとっては当たり前の事でしょう。

米国では4月29日ですが、日本時間本日未明の2時16分に、安倍首相は英語で演説をしましたね。

アメリカ議会上下両院の合同会議で、
日本の総理として初めての演説でした。

英語で45分間の演説だったそうですが、
もちろん日本語です。日本語の演説の全文を読んで感じます。

個人的なエピソードを交えてアメリカとの関わりや、
自由と民主主義をいかに大切にしているかの、アメリカを敬う言葉が分かりやすい言葉で続き、

最初から最後まで、
「素晴らしい内容だった、本当に素晴らしい内容だった」の一言に尽きる演説でした。

演説最後の件(くだり)は、
東日本大震災の時、米軍の未曽有の規模の救難作戦を展開してくれた「トモダチ作戦」で、

被災した人々に、一緒に涙を流してくれた出来事から話を起こして、


【そして、なにものにもかえられない、大切なものを与えてくれました。・・・・希望です。米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、将来も、希望であった。希望である。希望でなくてはなりません。

米国国民を代表する皆様。私たちの同盟を、「希望の同盟」と呼びましょう。
アメリカと日本、力を合わせ、世界をもっとはるかによい場所にしていこうではありませんか。希望の同盟・・・・。一緒でなら、きっとできます。ありがとうございました。】と、


議員全員が立ち上がり、スタンディングオベーションで拍手喝采、拍手喝采の演説は終わります。

日米の絆は160年のつみ重ね

2015年04月26日 | 社会




 嬉(うれ)しさは   和親のときから  安保まで  日米絆(きずな)  より強まるとき



安倍首相は米国を公式訪問するため、今日26日に出発しました。

29日には、
日本の首相として初めて、上下両院合同会議で演説をいたします。

日本と米国との繋がりを、
より強固にする、とても大切な訪問なのです。

本日のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」は、
吉田寅次郎(松蔭)が、白洲の上から井伊直弼に直接対決する場面でした。

吉田寅次郎が、ここまで攘夷に狂ったようになった元は、
嘉永七年(1954)にペリーと結んだ日米和親条約なのです。


「不敬? 不敬とは片腹痛い。なれば天子様のお許しも得ずメリケンとの条約を結んだ井伊様こそ、不敬の至りでござる」と寅次郎が訴えます。

「許せん」井伊の手が震えた。

奉行の石谷は「引っ立てよ」と獄使に命じます。


日米和親条約が結ばれた2年後の、
安政三年(1856)に、ハリスの下で日米修好通商条約が結ばれていきます。

160年前の出来事なのです。

日本とアメリカとの間には、不幸な戦争の時期もありました。

昭和26年9月にサンフランシスコ講和条約が調印されまして、
翌年の昭和27年4月28日には発効、連合国の占領から独立が回復いたします。

もちろん、昭和26年の日米安全保障条約、
昭和35年の日米新安保条約の締結と、日米の結びつきと絆は、どんどん強くなってまいります。

安倍首相の訪米も、
ちょうど63年前の日本の独立が回復した日に合わせるように、4月28日をはさんだ時期ですね。

160年の長き歴史の日米の絆、
さらに深まるように願って首相を見送りますね。

校長先生のブログ

2015年02月22日 | 社会




 楽(たの)しみは   素晴らしきかな  彼(か)のブログ  この生徒らが  学び得るとき



今日の新聞に載っていましたね、
愛知県の市立中学校の校長先生が、学校のホームページ上に載せていましたブログのことです。

2月11日の建国記念の日によせて書かれた、原稿の原文です。

9日の朝礼で、
「日本の起源」について校長先生は話をされた後に、日本の建国についての記事を、ブログに掲載されました。

新聞に載せられた校長先生のブログの原文そのままを、
スラっと読んでとても感心いたします。

神話であり、作り話であるという説もありますがと、断りも付け加え乍ら、
2675年前の神武天皇の即位したと言われる日が、建国記念の日になっている2月11日ですと話を始めて、

仁徳天皇の「民のかまど」の話や、昭和天皇とマッカーサー元帥との会見の時の話を繋いで、
日本の国柄は、古代から穏やかな民主主義精神に富んだ国家であったとお話なのです。

「私たちは、日本や日本人のことを決して卑下する必要はありません。
皆さんは、世界一長い歴史とすばらしい伝統を持つこの国に誇りを持ち、

世界や世界の人々に貢献できるよう、一生懸命勉強に励んで欲しいと思います。」と話しを結んでおられます。

じつに素晴らしい、教育としてこれ以上ない内容なのです。

どこをどう読んでも、素直で当たり前の記述なのです。

こんな素晴らしい、校長先生のお話を受けている生徒さん達は、真の教育を受けてるように思います。

ところが、
これが変なことになっているのです。

建国記念の日の翌日に、市教委からの注意が発せられて、
校長先生は自ら記事を削除されてしまいます。

18日の中日新聞によると、
市教組は、教育長宛にブログの内容は不適切だと、抗議文を提出予定だそうなのです。

とってもおかしな話と、考え込んでしまいます。

首相の施政方針演説

2015年02月14日 | 社会




 嬉(うれ)しさは   知行の教え  取り込んだ  演説読んで  意気感ずとき



12日のラジオで聞きました。
次の日の新聞で読みました。

先月26日に召集された第189回国会(通常)、12日の本会議では安倍首相の施政方針演説です。

岩倉具視、岡倉天心、吉田松陰、吉田茂ら先人の偉大な言葉を借りての内容でした。

議場の、
与野党を問わず皆さんに訴えていましたね。

「知と行は二つにして一つ」と、
吉田松陰の言葉を借りての演説でした。

知行合一(ちこうごういつ)の教えです。

どんなに良いことだって、議論だけではいけません。
やるか、やらないか、実践あるなしのことだと言ってます。

知と行が一つになる、その気概が今国会に求められていると、
改革の気概はまず国会議員の心意気からと訴えています。

安倍首相の演説は、いつもの通りに迫力意気込み感じます。

衆議院選挙

2014年12月14日 | 社会




 楽(たの)しみは   一番乗りで  投票を  済ませ日の出を  見て帰るとき



ちょうど二年前は師走の16日でした。

前回の投票日は、
雪こそなかったが、寒い寒い真っ暗けの朝でした。

朝の6時は暗いです。
投票一番乗りをいたしました。

本日です。

第47回衆議院選挙の投票日です。

外は雪景色です。
けっこう積もっています真っ白け、

投票所の公民館前や、
駐車場では除雪機がウンウン唸りをあげてる暗いです。

急いで着替えました。
身支度終えて投票所に向かいます。

油断していたわけではありませんが、
時刻は6時の50分です。

車で乗り付けたお方が一人駐車場からやってくる。
急ぎ足で投票所の入口にセーフです。

今回も一番乗りをいたします。

7時ジャストに投票が始まりました。
田舎の方は真面目です。続いて続々と投票所に人の足音続きます。

帰り道、
東の空が日の出の明かりでパア~~っと明るくなってまいります。

2回続けて一番乗りのさわやかさ、
大事な大事な、国民の参政権の行使ができる喜びを感じて帰ります。

ニュースが伝えています。
午後4時現在の全国平均の投票率は29.11%と伝えます。

前回より5.76ポイントも下回っているとも伝えます。

期日前投票は、
だんだんと増えてはいるようですが、今回の投票率はもしや最低になるかもわかりませんね。

私は成人になった時から、
どんな選挙にも投票は欠かしたことはありません。

総選挙は、
「黒い霧解散」と呼ばれた佐藤内閣の第31回衆議院選挙が初めてで、それから17回の投票ですね。

その間に、
参議院選挙が16回と、知事や町長、町議や市長に市議の選挙が数知れず、もう合計で70回近くの投票ですね。

明治のころから戦後まで、
誰でも投票には行けなかったものを、

今では、
二十歳を過ぎれば国民等しく投票に行ける有難さ、

なのに、どうしてこんなに投票率が低いのでしょうか、実に勿体ないことですね。



万歳・万歳・万々歳

2014年11月21日 | 社会




 嬉(うれ)しさは   解散聞いて  万歳を  二回するよな  人を見るとき



伊吹衆院議長の、慣例を破る解散詔書の読み上げ方がいけなかったのでしょう。

ふつう、
「日本国憲法第七条により、衆議院を解散する」と読み上げて、
「御名御璽(ぎょめいぎょじ)」だの、日付や総理の名前も読まないでしょうに、

「若手の皆さんだから慣れてない」のじゃなくって、
議長が通例どうり読まなかったからですね。

若手だろうが、ベテランであっても、
起立して今か今かと緊張してて、

議長の「衆議院を解散する」の声を聴くと、
反射的に万歳を三唱して、続けて拍手するのが普通でしょう。

今日の国会、
午後1時から始まった衆院解散の宣言で、
二回も万歳を聞くことになりました。

前代未聞の珍事です。

昔から不思議なことでしたね。
自分たちが議員のクビを宣告されたと言うのに、

祝い事に発する「万歳」の言葉を、
ニコニコしながら発声するなんて、実に珍奇ことです。

ただし、
本日の万歳も、政党によっては全然素振りもしてない、拍手もしてない方もおられます。

わけ分かりません。

分かったことは、
何やら議員さんたちが、ひどく軽く感じられて堪りません。

真剣に、
国民のこと国のことを考えていらっしゃる風に思えませんね。

解散によって、良い人良くない人の取捨選別ができますようにと思えば、
今日の珍奇な二度の万歳三唱も、

万歳・万歳・万々歳ではないかと喜びますね。





わからん理屈

2014年11月18日 | 社会




 楽(たの)しみは   ちょっと先まで  増税を  延ばす審判  せよと言うとき



7時からの記者会見で、
安倍晋三首相は、来年10月から予定だった消費税率の10%の再引き上げを、18カ月間延期すると表明しましたね。

さらに、
18カ月後の平成29年4月には、さらに延期することはないと断言しました。

そもそも、
今年の4月に消費税率を5%から8%にすることも、来年の10月にさらに10%にすることも、

野田政権の時の、
民主党、自民党を含む3党合意から成立したものだったのですよ。

もちろん、
10%にする折には景気条項ってなものがあって、上げないことだって構わないと書いてありますね。

4~6月の大幅なGDPのマイナスと、予想に反して7~9月のマイナスで、
そりゃ~、とても消費税率を10%には無理だとわかって、粛々と景気条項に従って「上げません」と言えばよかったのに、なんででしょうね。

18カ月間の延期をすることに決めたい、
さらに、29年4月は景気条項を外して必ず引き上げます。

そのことを国民の皆様に審判してもらいたい。
それが、解散の理由だと首相はおっしゃいました。

そんなことが解散の大義になるのでしょうかね?、
なんか不思議な理屈です。

頭の悪い私には、ちょっと分らん不思議です。

でもいいです。
アベノミクスが成功するための一休みのことならば、

景気が、来年再来年にぐんぐん上がるの楽しみに、ややこしい端数の8%でしばらくしばらく、がんばりましょう。



認識

2014年11月07日 | 社会




 嬉(うれ)しさは   会わぬと言ってた  周さまが  認識二字で  会うと言うとき
 



人と会うのにどうのこうのと条件を付けたりするって、普通しませんわな。

お隣の国の周さまは、
「どこどこの神社には参るな~」と言ったり、

よそんちの庭先に、自分の方から入ったり出たりしながら
「ここは境界でもめとったんや~、知っとるか~、もめとるって認めや~」と言ったり、

それを条件に会わぬと、我が儘なことおっしゃってました。

自分ちで、APECと言う大事な会議を開くことになりました。
大事なお客さまである各国の首脳を迎えます。

首脳とも個別に会っても話します。

日本の総理とだけは会わないなんて、
そんな失礼なことできません。

世界中の笑いものになりますね。

いよいよ、
これは困ったと切羽詰まったのは周さまの方でしょう。

会談する前にこんなものが発表されるなんて、
異例なことでしょうが、仕方がありません。困った周さまのことです。

「若干の認識の一致をみた」とか、「異なる見解を有していると認識し」なんて、
どないでもとれるような文言入れて、それで良いと発表ですね。

あの我が儘な条件とやらは、いったい何だったのでしょうか。

「認識」と言う二文字で良いとは、何やら拍子抜けです。ちょっと分からんけど、ほんの少しは嬉しいですね。




家計も企業も

2014年11月01日 | 社会




 楽(たの)しみは   黒田バズーカの  炸裂で  デフレ退治を  やり通すとき



昨日のことです。
黒田日銀総裁は、

「デフレ下ではリスクを取った行動や、イノベーションが起こらない。
家計も企業も、日本に染みついたデフレマインドを払拭しなければならない」と述べて、

平成25年4月の「黒田バズーガ」と呼ばれた、
大規模金融緩和以来の第二弾追加金融緩和を打ち出しました。

国債の購入を、
年間50兆円から80兆円に増やす。

市場への資金供給量を、
現行60~70兆円を80兆円に増やす。

上場投資信託の買い入れを3兆円、
不動産投資信託を900億円と、それぞれ3倍に増やす。

黒田総裁の発言では、
「デフレ退治の為なら、日銀としてできることは何でもする」、

「何としても、
平成27年度を中心とする期間に、2%程度の物価安定目標を実現する」と、

デフレ脱却をやり遂げ、
さらに、2%のインフレ目標を「絶対やり通すのだ」の意気込み気迫は凄いです。

エコノミストは評価、不評価、甲乙いろいろ出てますが、
私はやっぱり好評価です。

11月17日に公表予定の7~9月のGDP速報値も、
年率2%くらいはなると予想です。
4~6月を底に確実に反転回復いたします。

電気製品だって、
もう安いばかりは売れません。

いいもの少しは高いくらいの、デフレ脱却商売いたします。






うちわで辞任

2014年10月20日 | 社会




 楽(たの)しみは   と思っていたが  同じ日に  うちわ・観劇  辞任劇のとき



平成24年12月に発足した第二次安倍晋三政権は、
9月3日の第二次安倍改造内閣成立まで、
一人の閣僚辞任も出ない、戦後稀に見る安定政権でした。

ところがどうでしょうか、

昨日は同じ日に、
二人の女性閣僚が辞任すると云う、前代未聞の事態です。

期待されていましたね、

社会での女性の活用を強く掲げる安倍政権にとって、
5人も女性を閣僚に取り込む改造内閣、

特に、
将来性を買って入閣させた、小渕優子経済産業相への期待は強かったですね。

それがなんと旧態依然の政治資金の使途、
もう、とんでもなく古い古い政治活動のまんまの、疑惑のオンパレードなんですね。

自民党を支持する人も、そうでない多くの人だって、
小渕さんの活躍は楽しみと感じて眺めていたでしょう。

なのに期待の大外れです。

何とも楽しめない話にガッカリします。