平家の落人伝説

2019年07月24日 | 但馬の伝説・昔話
            宝塚劇場周辺


(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成26年 第9回但馬検定(1級)問題より

【13】 但馬各地には平家の落人伝説が数多く残っています
が、平盛継(越中次郎兵衛盛継)が潜伏したと伝わる但馬の
場所は、次のうちどこでしょうか。

(a)養父市大屋町横行      (b)新温泉町三尾
(c)香美町香住区余部      (d)豊岡市気比


正解は、(d)の豊岡市気比(けひ)です。

源平合戦に壇ノ浦でやぶれた平家の武将は、日本海の海岸沿
いを逃れます。この但馬の地にも、約40ヵ所くらい平家武将
の落人伝説が伝わっています。(a)の養父市大屋町横行(よ
こいき)にも、(b)の新温泉町三尾(みお)にも、(c)の
香美町香住区余部(あまるべ)にもみんな落人伝説がありま
す。
あることはありますが、余部御崎地区の「百手の儀式」に見
られるような、とても有名な平家落人伝承だって本当の史実
とは言えません。但馬での唯一史実であると言われているの
が豊岡市気比の平盛継(越中次郎兵衛盛継)の潜伏記録です。

平安時代後期、平家の武将平盛継(たいらのもりつぐ)は、
落人として豊岡の気比へ潜伏します。気比の豪族・権守道広
のもとに下男として身をやつして隠れ住みます。
源氏は各地に逃げ延びた平家の残党を探索します。盛継は建
久5年(1193)に捕らえ鎌倉に送られ、将軍頼朝の前に引き
出されて処刑されてしまいます。
この事実は、史実として記録に残り確実なのです。

盛継については、道弘の娘婿となり平穏な暮らしをしていた
話も残り、鎌倉での刑死のあと盛継を供養するために、城崎
町湯島と地元気比に宝篋印塔の供養塔が立てられています。


『ぬきい』

「ぬきい」は但馬弁です。普通なら「ぬくい」と言うところを、
ちょっと但馬の訛りらしく「ぬきい」と言います。
「ぬきい」は「暖かい」の但馬弁なのです。

冬に言います。
「ケンちゃんこの冬はぬきいな~。こんなに雪も少なくってぬ
きい天気って気持ち悪いね。雪が全く降らなくってぬきい冬の
あとはどうなるんだろうね。夏は猛暑になるかな、冷夏かな」
なんて話をいたします。
この記事についてブログを書く
« 但馬の難読地名 | トップ | アウトドアスポーツ »