(おお、今年の11月の祝日は二日とも飛び石連休ですね)
国民の祝日って一年間に15日ありますね。
ひと月に祝日が一日はある月は、2月、3月、4月、7月、10月、12月です。二日ある月は1月、9月、11月で、三日ある月が5月という事になりまして、まったく祝日のない月は6月、8月になっています。
飛び石連休って言葉があります。火曜日から金曜日までのいずれかの平日に、ぽつんと祝日がありまして日曜日と連なっていない休みの事です。
平成10年から13年にかけて、ハッピーマンデーなんて制度が導入され、日曜日に連なって月曜日がお休みとなるようなことになりまして、昔に比べて飛び石連休は少なくなりました。
5月の3,4,5日は元々いつでも三連休、祝日がひと月に二日ありますそのうちの、1月も9月もハッピーマンデーなのでどちらかは日月の連休が当たり前、二日とも飛び石連休になる可能性の月は、今月11月しかありません。
その二日とも飛び石連休が、なんとなんと今年です。おおよそ10年間のうちに3回か4回は巡ってきまして、次回は5年後の平成28年にやってくる。それでも二日とも飛び石連休はちょっと珍しいような気分です。
話はそこまでで、終わりというわけにはいきません。
明日は国民の祝日「文化の日」です。昭和23年の祝日法で決まった、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨としました祝日ですね。
「自由と平和を愛し・・・・」なんて、文化の日の趣としましてはえらい文言だと感じますが、そこには色々深~い訳がありそうですね。
一年前の文化の日に書きました。「マッカーサー占領下での押し付け憲法だって、なんとか意地を張って公布の日を、「明治節」に合わせてしまうその元気がまだありました。」なんてことを書きました。
現在、私たちが使っています日本国憲法は、敗戦の年です昭和20年10月に、マッカーサーが「ポツダム宣言」を確実に実施するための必要な措置として、時の幣原内閣へ大日本帝国憲法(明治憲法)の改正を命じたところからスタートします。
10月25日に憲法問題調査委員会(松本委員会)が設置され、憲法改正案が練られていきまして、紆余曲折の末の改正案を翌年昭和21年2月13日です。GHQに提出します。
ところが中身を見てすぐにです。マッカーサーは簡単に拒否してしまいますね。
占領下の悲しさですね、マッカーサーはこんな改正案は全く問題ならんと、作り直せとメチャクチャでして、バタバタっと一週間足らずでGHQ草案なる改正原案を突き付けました。
国の一番基本の決まりの大切な、憲法もバタバタっと日本側で決めたことにしまして、幣原内閣から続く吉田内閣もほんのちょびっと修正を加え、ほとんどGHQ草案丸写しの「憲法改正草案」が6月8日に決まります。
さあそれから議会の手続きなのです。衆議院と貴族院で審議をしたことにしなきゃあなりません。
どんどん進んで改正案は、いつ「公布」とするかと言う期日、それがうまい具合に段取りを引き伸ばし引き伸ばし、10月6日に貴族院本会議で可決、翌7日に衆議院本会議で可決、12日に枢密院で2回も審査を引き伸ばし29日にやっと決済されます。決済された「帝国憲法改正案」はやっと天皇の裁可を仰ぐ、引っ張って引っ張って「公布」の日を11月3日にしました「日本国憲法」なのです。
国民の祝日の方も、やっぱりマッカーサーがいちゃもんつけて、従来からあった「天長節」だとか「明治節」なんてものは、「ヤメテシマエ~」の大号令ですから仕方がありませんね、もう一遍やり直しの事ですね。
「日本国憲法」が「公布」されました22年11月3日より半年先が、めでたく「施行」となるわけですが祝日法はそれまでの間、国会(文化委員会等)で審議が進みます。
審議の中で、やはり「明治節」に合わせて公布することに成功した11月3日に、記念すべき「憲法記念日」を持ってくるべき、いやいや何か「発明祭」の趣のものはどうかと審議されして、やっぱりと言うかマッカーサーは、「明治節」を何かの別称で祝うなんてもっての外だ、ましてや「憲法記念日」はダメだとなりますね。
結局、憲法施行の5月3日が「憲法記念日」、11月3日は「自由と平和を愛し・・・・」なんて書いちゃって「文化の日」になったわけです。
それでも何でも、そのころの日本の政治家は凄いです。
明治の「天長節」だったものを「明治節」として残し、その日に合わせて憲法を公布するように引き伸ばし、それを「文化の日」だろうがなんだろうが国民の祝日にしてしまう意地と元気があったのですね。
明日は祝日「文化の日」です。じっとその意味思い出し、意義ある一日にしたいものですね。
《文化とは 憲法のこと 真髄の》