「今年の一枚」
令和3年に数々撮った写真の中で、この一枚を、今年の一枚に選びたい。12月5日に夢ホールで開かれた阿南市人権フェスティバルで上演した「越後母恋情話」の一場面。四国霊場22番札所平等寺の門前町で岡花屋という唐津物の商いをする店の女・お恵、そのお恵に北麻藩から「腕の良い贋金づくりの職人を拉致して北麻藩に送れ」との手紙が届く。自分も30数年前に北麻藩に拉致された身の上、自分と同じように拉致された大勢の仲間のことを思い浮かべ悲痛な表情を見せるお恵。
私は、平成14年から5年間、市職員としてこの人権フェスティバルを担当した経験がある。当時は拉致問題を人権問題として啓発しようという時代ではなかったことから、「越後母恋情話」という私が創作した拉致問題啓発浄瑠璃が、市の人権フェスティバルで上演されることには特別の感慨がある。
手紙を読むお恵の表情は悲しい、その悲しい表情が現実の拉致問題の状況にダブってしまう。
令和3年に数々撮った写真の中で、この一枚を、今年の一枚に選びたい。12月5日に夢ホールで開かれた阿南市人権フェスティバルで上演した「越後母恋情話」の一場面。四国霊場22番札所平等寺の門前町で岡花屋という唐津物の商いをする店の女・お恵、そのお恵に北麻藩から「腕の良い贋金づくりの職人を拉致して北麻藩に送れ」との手紙が届く。自分も30数年前に北麻藩に拉致された身の上、自分と同じように拉致された大勢の仲間のことを思い浮かべ悲痛な表情を見せるお恵。
私は、平成14年から5年間、市職員としてこの人権フェスティバルを担当した経験がある。当時は拉致問題を人権問題として啓発しようという時代ではなかったことから、「越後母恋情話」という私が創作した拉致問題啓発浄瑠璃が、市の人権フェスティバルで上演されることには特別の感慨がある。
手紙を読むお恵の表情は悲しい、その悲しい表情が現実の拉致問題の状況にダブってしまう。
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