南阿蘇村訪問記」その13
~岡城址~
28日15時40分、臼杵港発の八幡浜港行きのフェリーを予約している我々は、8時30分に南阿蘇村を出発した。途中、道の駅に立ち寄ってはお土産を買い足しながら、最初に訪れたのが大分県竹田市にある「岡城址」である。
竹田市教育委員会は、「海抜325mの台地、岡城阯その広さは実面積で100万㎡、その広さは東京ドーム(46.755㎡)の22個分にあたる。 大野川の支流、稲葉川と白滝川が合流する間の舌状台地上に築かれ、川岸からそそり立つその姿はかつて「難攻不落」と言われた天然の要塞であったことを感じさせられる。」と紹介している。
この城の石垣は、穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれ、日本の近世初期にあたる織豊時代(安土桃山時代)に活躍した石工の集団が積み上げたと、この城址のガイドさんから説明を受けた。
~岡城址~
28日15時40分、臼杵港発の八幡浜港行きのフェリーを予約している我々は、8時30分に南阿蘇村を出発した。途中、道の駅に立ち寄ってはお土産を買い足しながら、最初に訪れたのが大分県竹田市にある「岡城址」である。
竹田市教育委員会は、「海抜325mの台地、岡城阯その広さは実面積で100万㎡、その広さは東京ドーム(46.755㎡)の22個分にあたる。 大野川の支流、稲葉川と白滝川が合流する間の舌状台地上に築かれ、川岸からそそり立つその姿はかつて「難攻不落」と言われた天然の要塞であったことを感じさせられる。」と紹介している。
この城の石垣は、穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれ、日本の近世初期にあたる織豊時代(安土桃山時代)に活躍した石工の集団が積み上げたと、この城址のガイドさんから説明を受けた。
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