ひめはぎのはな

踏青。翠嵐。蒼穹。凛然。…爽やか、山日和。by sanpoiwa1736

己の槍にて功名を・・・一騎当千の豪傑“槍の勘兵衛”

2010-06-23 22:20:11 | 小説.六韜三略

・・・・・・渡辺勘兵衛(1562~1640)

 戦国物や歴史物の書物を探すと、池波正太郎作品にたどり着きます。「錯乱」で直木賞を受賞しており、また「鬼平犯科帳」が有名かと思います。その池波正太郎作品は、なかなかに内容が重厚で面白く、人間味を捉えて味があり、加えて戯言がなく、スムーズに読み進められながらも、その先が気になって、なかなか寝付けず・・・。
 
 第十一回は、渡辺勘兵衛を描いた池波正太郎の“戦国幻想曲”(新潮文庫)です。
 天正十年。織田・徳川連合軍の鉄砲隊が武田の騎馬隊を完膚なきまで討ち負かしてから七年。ついに信長は、武田勝頼を討つべく甲州攻めにとりかかります。阿閉淡路守に仕える渡辺勘兵衛は、阿閉の家老・信時の部隊に編成され、織田信忠を大将とする部隊に従軍します。
木曽伊那口から進軍した信忠軍の前に立ちはだかるは、故・信玄の五男で豪勇と聞えし仁科盛信。その盛信が守備する高遠城攻めが開始されますが、おもうように捗らず、大将自ら塀を飛び越え城内に躍り出ます。しかし、周りはすべて敵兵。その信忠の窮地を救ったのは勘兵衛。
勘兵衛は信忠の、その颯爽となる振る舞いと、甲斐平定後の信長の閲兵時に、功名披露するという破格の名誉によって、生涯、信忠こそが敬慕に値するようになります。しかし、その信忠は本能寺の変によって、父・信長とともに世を去ります。

 天正十八年、時代は秀吉。中村一氏に仕えての北条攻め。天険をもつ箱根の山中城攻めにて、単身で攻め込みます。その勢いを買って中村勢は攻めに攻め、山中城を攻略せしめますが・・・。


「では・・・・・・わしの乗り馬なれば、受けてくるるか」
「ごめん」
と一声。礼もせずに渡辺勘兵衛が幔幕の外へ出て行った。
陣羽織を両手にささげ持ったまま、棒をのんだように立ちつくしている中村一氏の耳へ、幔幕の外からの勘兵衛の声が、
「おれが主人には不足も不足」

(本文抜粋)


 信忠を救った武功によって「槍の勘兵衛」の名は世に轟きます。しかし、主人の器量がなかなか自分の理想に合わず、腹立たしくおもったことでしょう。生涯仕えた主人は五人。ですが・・・。

 まさに時代が生み出した武士の中の武士。しかし、若き日に出会った織田信忠という人物に強い印象を持ち続け、戦国乱世終焉の波に乗れなかったのも事実かもしれません。けれども、一本気な性格と、どこか憎めない情を醸し出している勘兵衛は、たしかに、その時代を代表するに等しい、剛胆さと潔さを持ち合わせた豪傑です。



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