ひめはぎのはな

踏青。翠嵐。蒼穹。凛然。…爽やか、山日和。by sanpoiwa1736

天下に喧嘩を売った“北の鬼”

2010-12-06 22:20:13 | 小説.六韜三略

・・・・・・九戸政実(1536~1591)

 「三日月の丸くなるまで南部領」と詠われし広大な領土を支配した南部家。
第十三回は、その南部家に仕え、北の鬼と恐れられる九戸政実を描いた高橋克彦の“天を衝く (1)(2)(3)”(講談社文庫)です。

 安東愛季軍が南部領を急襲し鹿角長牛城を奪取、南部家に対して反抗の狼煙を上げます。それを政実率いる九戸党が奪い返し、加増によって二戸を与えられます。これによって九戸から本拠を二戸に移すとともに、本家を凌ぐ巨城を造り上げます。

対して南部家当主・晴政は、南部の支柱とも言える石川高信から養子として向い入れた信直を、一度は後継ぎと明言。しかし、幼い倅を世継ぎにしようと信直を遠ざけたことから、内乱が勃発。長期化していきます。
この内乱に生じて南部家の一守将にすぎなかった大浦為信(津軽為信)が、石川高信を攻め石川城を奪取。津軽を切り取りにかかります。

 天正十年。北の名将、南部家二十四代目当主・晴政がこの世を去ります。その葬儀の日。わずか十三の後継ぎ晴継が何者かに暗殺。合議の結果、当主は信直が継ぐことに・・・。これによって南部家を支えた九戸家は孤立。敵は南部信直と、信直を支えた智将・北信愛。しかし、政実の真の敵は信直が誼を通じた秀吉。

 ときは天正十九年。力のない南部がこのまま豊臣の政権下に組み込まれれば、取り潰しは必至。政実はそれを見越し、南部家が生き残るための狼煙を上げます。まずは浅水城。政実の策によって櫛引兄弟が活躍。敵将を討ち取ります。しかし・・・。

 関白秀次を総大将に蒲生氏郷、徳川家康など五万の大軍が二戸を目指し、さらには津軽や松前といった近隣諸国の軍勢が政実を包囲します。
秀吉から采配を委ねられた蒲生氏郷、武者大将・堀尾吉晴、さらに井伊直政や奥州勢が攻め寄せても、政実は策を尽くしてそれらの敵を返り討ちにします。これによって、天下軍が屈辱の和議申し立て。政実の姻戚・薩天和尚を使者として遣わします。


「天を衝いて雷雨を呼び寄せようと思っており申したが・・・・・・秀吉という天はなかなかしぶとい。小雨程度しか降ってくれ申さぬ」
「まだ答えを出すのは早かろう。そのうち激しい雨となるやも知れぬ。そなたがすべてをやり遂げることはなかろう。だれが食うかも知れぬ稲を百姓らは育てておる。仏が割り振りしてくだされた役目と思えばよい」
「和尚こそ立派な和尚でござる。そう言われると今にでも腹を切りたくなってきた。引導を渡すのがお上手だ」

(本文抜粋)


 天を衝く。読み始めると止まりません。結末への過程が丁寧に映写され、且つ、それに至る過程も細かく、政実という人物像がはっきりと描かれている点が気に入りました。

 自らを犠牲にして、南部家の力をして示すため、十万の大軍を相手に喧嘩を売った政実。天正十九年に起こった「九戸の乱」は単なるお家騒動ではなく、奥州の枠を越え、豊臣の柱を揺るがさんとする一大事へと発展します。秀吉の対面を気にする者とは別に、軍監・浅野長政は、「政実こそ南部の棟梁に据えるべき男」と、政実の器量を肌で感じ、蒲生氏郷も化け物を相手に戦をしていることに気付かされます。

伊達政宗や津軽為信などが一目置いた九戸政実。
その政実のもとで鍛えられ武威を示した九戸党。
まさに「北の鬼」。

 なお「三日月の丸くなるまで南部領」の句。南部町に問い合わせたところ、社会教育課史跡対策室の方から返答がありました。しかしながら、誰の句か判明していないとのこと。
南部町としても文献を調べ、人目に触れるようパンフレットに載せるなど、問題蜂起しているようです。



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