黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

インド紀行 18(お釈迦様が住んでいたカピラ城)

2020-03-06 15:40:41 | インド紀行

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。

寒い寒い朝でした

赤城山は、この冬こんなに白くなったことはありません

道の突き当たりに、例のミニカーのレース場があります。

牛舎を改造した休憩所と、畑を改造したレース場です。

知る人ぞ知る場所のようです。

いつもは静かなのですけど、この間はたまたま賑わっている所に来てしまったのです。

ハンター獅子丸は、今朝は全く反応しません。

 

 

 

お釈迦様が29歳で出家するまで住んでいた、カピラ城跡(ティラウラコット)に向かいます。

カピラ城は、ネパール説とインド説があるそうですけど、今回はネパールのティラウラコットのカピラ城跡を訪問です。

お釈迦様が29歳まで出家なさるまでお住まいになっていたカピラ  バストゥ城跡。釈迦族の王子として生まれますが、「四門出遊」では東門で老人、南門で病人、西門で死人を目の当たりにし、無常を感じて、北門から愛馬カンタカとともに修行のたびに出発されました。(添乗員さんの旅の記録より)

 

最後にめぐりあった、遺跡内の地図です。

ガイドさんの跡をひたすらついて行ったので、当日はどこを歩いているか分かりません。

カメラにのこった地図と写真をつらつらと見ると、どうも西門辺りから入って、北東の部分を歩いて来たようです。

 

ここが、あのカピラ城(ネパール説)ですね

 

上の地図の真ん中あたりでしょうか?

 

おや、ネパールの犬です。

彼は先達(せんだつ)として、しばらく同行しました。

 

広い遺跡です。

まだどこに向かっているか、分かりませんでした。

 

しばらく行くと、THE SAMAI MAYA TEMPULE とあります。

ゾウの置物がたくさん奉納されています。

下がっている布やひもは、どんな意味があるのでしょう?

絵馬みたいなものかな?

太鼓をたたきながら、読経の声がきこえました。

ここが遺跡の北端部分のようです。

 

 

あまり長居せずに、次に向かいます。

 

 

東門です

何の木かな?

歴史を見つめてきた古木です

 

本来のゲートに、ゲートが付けられています。

ゲートからちょっと出てみます。

牛の放牧が行われているようです。

 

 

さて、もう一ヶ所訪問予定があるので、駐車場の方にもどります

人々の願いが籠もった空間を歩いてもどります

 

 

出口付近で地図と一緒にあった、航空写真というか俯瞰図というかです。

予備知識も方向感覚も全く役立ちませんでした

夢中で歩いてきてしまいましたけど、地図と航空写真(俯瞰図)をカメラに収めていて、ほんとうによかった

 

 

 

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